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− | {{出典の明記|date=2019年8月}}
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− | <!--「Wikipedia:検証可能性」により、 | |
− | 「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」
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− | 「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」
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− | と規定されています。詳細は「Wikipedia:検証可能性#方針」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7#%E6%96%B9%E9%87%9D)。
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− | 「Wikipedia:信頼できる情報源」により、
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− | 「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます」
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− | 「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」
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− | 「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます」
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− | と規定されています。詳細は「Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90#%E5%81%BD%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%A8%81%E3%81%AB%E6%B3%A8%E6%84%8F)等-->
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− | {{Otheruses2|||日本 (曖昧さ回避)|日本国 (曖昧さ回避)}}
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| {{基礎情報 国 | | {{基礎情報 国 |
| |略名=日本 | | |略名=日本 |
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| |国際電話番号追記= | | |国際電話番号追記= |
| |注記=<references/> | | |注記=<references/> |
− | }}
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− | '''日本国'''(にほんこく、にっぽんこく、{{lang-en-short|Japan}})<!--どちらの呼称も法定ではない。またどちらが有力かについてWikipediaの過去の議論(ノート・過去ログ)では明確な回答や出典は提示されていない。どちらを前に書き、後ろに書くべきかについて投稿者個々に考えがあるだろうが、以上の経緯を踏まえご配慮ください。より有用な議論があればノートでご紹介下さい。-->、または'''日本'''(にほん、にっぽん)は、[[東アジア]]に位置し、[[日本列島]]<ref group="注">[[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]の主要四島およびそれに付随する島々</ref>および[[南西諸島]]・[[伊豆諸島]]・[[小笠原諸島]]などからなる[[民主制]][[国家]]<ref name=kojien5>[[広辞苑]]第5版</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC?dic=daijisen&oid=14065900 松村明ほか 『デジタル大辞泉』 小学館、2013。松村明ほか 『大辞林 第三版』 三省堂、2006。加藤周一ほか 『世界大百科事典』、日立ソリューションズ・ビジネス、1998。]</ref>。首都は[[東京都]]<ref>ブリタニカ『国際大百科事典小項目事典』、小学館『デジタル大辞泉』、平凡社『マイペディア』、コトバンク[https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC-109930]「日本」</ref>。
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− | [[気候]]は[[四季]]の変化に富み、国土の多くは[[山地]]で、人口は沿岸の[[平野]]部に集中している。国内には[[行政区分]]として47の[[都道府県]]があり、[[大和民族]]・[[琉球民族]]・[[アイヌ|アイヌ民族]]・[[外国人]]系の人々などが居住し、事実上の[[公用語]]として[[日本語]]が使用される<ref>『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』「日本」、『大辞林 第三版』「日本」</ref>。
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− | [[内政]]においては、[[明治維新]]後の[[1889年]]に[[大日本帝国憲法]]を制定し[[立憲国家]]となった。その後、[[第二次世界大戦]]後の[[1947年]]には現行の[[日本国憲法]]を施行。[[先進国]]の一つとして数えられており、[[OECD]]、[[G7]]、[[G8]]および[[G20]]の参加国である。[[外交]]においては、[[1956年]]から[[国際連合]]に加盟しており、[[国連中心主義]]を採っている<ref>『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』「日本」、『大辞林 第三版』「日本」</ref>。
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− | == 概要 ==
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− | <!--あくまで概要であることに鑑み、冗長な記述の加筆はご遠慮ください。-->
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− | [[日本語]]を通用する[[日本人]]が[[国民]]の大半を占める。自然地理的には、ユーラシア大陸の東縁に位置しており、[[環太平洋火山帯]]を構成する<ref>『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』「日本」</ref>。[[島国|島嶼国]]であり、[[領土]]の四方を海に囲まれているため地続きの国境は存在しない。日本列島は、[[離島]]も含めて6,848(時代により変動)の島を有する<ref>{{Cite web|title=知る-基本情報-|知る・調べる|日本離島センター|url=http://www.nijinet.or.jp/info/faq/tabid/65/Default.aspx|website=www.nijinet.or.jp|accessdate=2019-08-12}}</ref>。気候区分は、北は[[亜寒帯]]から南は[[亜熱帯]]まで様々な気候区分に属している<ref>{{Cite web|title=気象庁 {{!}} 平年の日本の天候|url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kisetsu_riyou/tenkou/Average_Climate_Japan.html|website=www.jma.go.jp|accessdate=2020-02-09}}</ref>。
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− | 日本は古くから大陸([[中国]])、[[朝鮮半島]]との関係が深く、飛鳥時代・奈良時代には[[遣隋使]]、[[遣唐使]]といった交易を通して[[法]]制度・[[仏教]]・[[儒教]]・[[漢文]]等を輸入し、国家体制の構築に役立てている。また、[[正倉院]]に[[ペルシア]]・[[インド]]を由来とする文化財が複数含まれることを例にとれるように、唐や朝鮮に限らず交易を通じてアジア・シルクロード文化も流入している。[[律令]]体制樹立後の[[平安時代]]末期より[[武家政権]]が成立し、幾度も交替する。[[江戸時代]]に至って交際国を限定する「[[鎖国]]」を行ったが、外圧を受けて開国し、[[アジア]]で2番目の憲法となる[[大日本帝国憲法]]を制定し、[[近代国家]]としての歩みを始めた。
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− | [[太平洋戦争]]敗戦により、[[連合国軍総司令部]](GHQ)の指示を受けて[[国民主権]]、[[基本的人権|基本的人権の尊重]]、[[平和主義]]を謳う日本国憲法が制定され、民主制国家となった。戦後復興ののち、[[1960年代]]から[[高度経済成長]]期に入り、工業化が加速し科学技術立国が推進された結果[[経済大国]]にもなったが、[[1980年代]]末の[[バブル経済]]崩壊後は経済停滞期に入った<ref>『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』「日本」</ref>。現代日本社会は[[少子化]]が進んでおり、[[超高齢社会]]であるとされる。
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− | 文化面では、日本語や[[和食]]などの[[伝統文化]]、[[アニメ]]や[[ゲーム]]といった[[ポップカルチャー]]が海外からの注目を集めている。[[日本国政府|政府]]も[[クールジャパン]]戦略を実行するなど、観光立国を推進している。[[2021年]]には[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]<ref>当初の開催予定は[[2020年]]</ref>が、[[2025年]]には[[大阪万博]]が開催される予定で、国際的イベントの招致にも力を入れる。
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− | == 国号 ==
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− | [[ファイル:Diamond Fuji (from Mount Ryu 2015-12-05 s3).JPG|thumb|right|[[富士山]]から昇る[[日の出]]。「日の本」、「日出処」は日が昇る地域を意味する]]
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− | [[ファイル:General power of attorney to Lee Wan-Yong signed and sealed by Sunjong.jpg|right|thumb|「[[韓国併合ニ関スル条約]]」に関する[[李完用]]への全権委任状。文中に「大日本國」「大日本帝國」と書かれている]]
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− | [[ファイル:Nihon Kenpo03.jpg|thumb|right|[[日本国憲法]]の本文。冒頭に「日本国憲法」とある]]
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− | [[画像:JapanpassportNew10y.PNG|thumb|[[日本国旅券]]。国名として「日本国」、英称として「JAPAN」の文字が記されている]]
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− | 「日本」という[[漢字]]による[[国号]]の表記は、日本列島が[[中国大陸]]から見て東の果て、つまり「'''日の本'''(ひのもと)」に位置することに由来するという説がある<ref>吉村武彦 『古代天皇の誕生』(角川書店、1998)</ref>。近代の二つの憲法の表題は、「[[日本国憲法]]」および「[[大日本帝国憲法]]」であるが、国号を「'''日本国'''」または「'''日本'''」と直接かつ明確に規定した法令は存在しない<ref>国際政治文化研究会『世界の国旗 - 国旗が教えてくれる世界の国々』(創樹社美術出版、2014)</ref>。ただし、[[日本工業規格]](Japanese Industrial Standard)では日本国、英語表記を'''Japan'''と規定。更に、[[国際規格]](ISO)では3文字略号を'''JPN'''、2文字略号を'''JP'''と規定している。また、日本の[[外務省]]から発給される[[パスポート|旅券]]の表紙には「日本国」の表記と[[十六一重表菊]]<ref>外務省によると、1920年の[[国際交通制度改良会議]]で、パスポートの表紙に国章を記すように採択されたが、当時の日本に法定の国章がなかったため、1926年からデザイン化した菊の紋章が採用されたという。[https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_01.html 外務省 外交史料 Q&A その他] より。</ref> を提示している。法令で日本を指し示す表記には統一されておらず「日本」、「日本国」、「本邦」、「わが国」などが混在している。
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− | ===日本語の表現===
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− | ====発音====
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− | 「'''にっぽん'''」、「'''にほん'''」と読まれる。どちらも多く用いられているため、[[日本政府]]は正式な読み方をどちらか一方には定めておらず、どちらの読みでも良いとしている<ref name="kokkai171_570">[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/171570.htm 第171回国会 質問第570号 日本国号に関する質問主意書] 衆議院公式サイト</ref>。
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− | 7世紀の後半の国際関係から生じた「日本」国号は、当時の国際的な読み(音読)で「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測される<ref>岩崎小弥太 『日本の国号』(吉川弘文館、1970)、吉田孝 『前掲書』。</ref>。いつ「ニホン」の読みが始まったか定かでない。仮名表記では「にほん」と表記された。平安時代には「'''ひのもと'''」とも和訓されるようになった。
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− | 室町時代の謡曲・狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代に[[ポルトガル]]人が編纂した『[[日葡辞書]]』や『日本小文典』等には、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた<ref>吉田東朔「国号」節(「日本」項 『国史大辞典』、吉川弘文館、1990)</ref>。このことから[[小池清治]]は、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している<ref>小池清治 『日本語は悪魔の言語か? - ことばに関する十の話』 角川書店、2003。</ref>。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、[[#別称|その他の言語]]も参照。
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− | 近代以降も「ニッポン」「ニホン」両方使用される中、1934年には[[文部省]]臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したこともあったが、不完全に終わった。同年、[[日本放送協会]](NHK)は「放送上、国号としては『にっぽん』を第一の読み方とし、『にほん』を第二の読み方とする」旨の決定をした<ref name="chushaku">[http://www.jicl.jp/urabe/zakki/20160905.html 「ニホン」と「ニッポン」] {{Wayback|url=http://www.jicl.jp/urabe/zakki/20160905.html |date=20170708095456 }} [[浦部法穂]]の憲法雑記帳第4回、法学館</ref>。
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− | その後現在も両方使用されており、2009年6月30日に政府は、「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定している<ref name="kokkai171_570"/>。
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− | 現在、通商や交流の点で自国外と関連のある[[紙幣]]、[[切手]]などには「NIPPON」と描かれ(紙幣発券者も「にっぽんぎんこう」である)ているほか、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]<ref name="にほんとにっぽん">会社登記上の読みおよび英字愛称。日本語での愛称は「にほん」を用いる。</ref>、[[ニッポン放送]]、[[日本武道館]]、[[全日本空輸]]、[[近畿日本鉄道]]、[[西日本鉄道]]、[[日本体育大学]]、[[日本郵便]]、[[東日本高速道路|NEXCO東日本]]・[[中日本高速道路|NEXCO中日本]]・[[西日本高速道路|NEXCO西日本]]<ref group="注">英字社名。日本語での社名では「にほん」を用いる。</ref>、[[日本電気]]、[[日本電信電話]]、[[日本郵船]]、[[日本通運]]、[[東日本電信電話|NTT東日本]]<ref name="にほんとにっぽん" />・[[西日本電信電話|NTT西日本]]<ref name="にほんとにっぽん" />、[[日本特殊陶業]]、[[日本車輛製造]]などで「NIPPON」(にっぽん)表記を用いる一方、
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− | 「NIHON」(にほん)表記を用いる例は、[[日本大学]]、[[日本航空]]、[[日本経済新聞]]、[[日本たばこ産業]]、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]、[[日本ユニシス]]、[[日本相撲協会]]、[[日本交通 (鳥取県)|日本交通]]、[[日本オリンピック委員会]]、[[日本セラミック]]、[[日本ガイシ]]などがある。日本経済新聞が2016年に行った調査によると、社名に「日本」が含まれる上場企業の読み方は、「にほん」が60%、「にっぽん」が40%であり、「にっぽん」と読ませる企業の比率が増加傾向にあった。テレビ番組名では「にっぽん」が使われることが多くなってきている<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03663500W6A610C1000000/ ニホンvsニッポン? 力強さで「ニッポン」派増加] 日本経済新聞 2016年6月17日</ref>。なお、日本国憲法の読みについて、[[内閣法制局]]は、読み方について特に規定がなく、どちらでもよいとしている<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXBZO3762975028122011000000?channel=DF280120166608&style=1 ニホンVSニッポン 「日本」の読み方、どっちが優勢?] 日本経済新聞 2012年1月4日</ref>。日本国憲法制定の際、読みについての議論で、憲法担当大臣[[金森徳次郎]]は「ニホン、ニッポン両様の読み方がともに使われることは、通念として認められている」と述べており、どちらかに決められることはなかった<ref name="chushaku" />。
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− | 日本のオリンピック選手団は入場行進時のプラカード表記を英語表記の『JAPAN』としているが、1912年の初参加となった[[1912年ストックホルムオリンピック|ストックホルムオリンピック]]の[[1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団|選手団]]のみ『NIPPON』の表記を使っていた<ref>[https://www.joc.or.jp/column/olympic/stockholm1912/ JOC - ストックホルム1912 オリンピックコラム]</ref>。
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− | 東京と大阪にある橋の名称と地名になっている[[日本橋]]は、東京(及び[[江戸|旧江戸]])の日本橋は'''"にほんばし"'''、大阪の日本橋は'''"にっぽんばし"'''とそれぞれ読む。
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− | [[日本の政党一覧|日本の政党]]名における読みは、次のとおり(国会に複数の議席を有したことのある政党)。
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− | ;「ニッポン」
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− | :*[[日本社会党]](1945-1996)、[[日本自由党 (1953-1954)|日本自由党]](1953-1954)、[[新党日本]](2005-2015)、[[たちあがれ日本]](2010-2012)、[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]](2012-2014)、[[日本未来の党]](2012)、[[日本を元気にする会]](2015-2018)、[[日本のこころを大切にする党]](2015-2018)、[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]](2016-)
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− | ;「ニホン」
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− | :*[[日本共産党]](1922-)、[[日本労農党]](1926-1928)、[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]](1945-1948)、[[日本進歩党]](1945-1947)、[[日本協同党]](1945-1946)、[[日本農民党 (1947-1949)|日本農民党]](1947-1949)、[[日本民主党]](1954-1955)、[[日本新党]](1992-1994)
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− | [[明仁]]([[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]])は、一貫して「にほん」と読んでいる<ref name="chushaku" />。
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− | ====別称====
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− | 古くから多様である。
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− | ;和語
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− | *あきつしま - 「秋津(あきつ)」は、「とんぼ」の意。[[孝安天皇]]の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
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− | **「秋津島」
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− | **「大倭豊秋津島」(『古事記』本州の別名として)
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− | **「大日本豊秋津洲」(『日本書紀』神代)
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− | *あしはらなかつくに - 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
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− | **「[[葦原中国]]」(あしはらのなかつくに)(『古事記』、『日本書紀』神代)
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− | **「豊葦原(とよあしはら)」
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− | **「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)
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− | **「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)
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− | *うらやすのくに - 心安(うらやす)の国の意。
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− | **「浦安国」(日本書紀・神武紀)
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− | *おおやしま - 国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。古事記では順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。
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− | **「大八島」「太八島」
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− | **「大八洲」(『養老令』)
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− | **「大八洲国」(『日本書紀』神代)
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− | *くわしほこちたるくに - 精巧な武器が備わっている国の意。
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− | **「細矛千足国」(日本書紀・神武紀)
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− | *しきしま - 「しきしま」は、[[欽明天皇]]の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
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− | **「師木島」(『古事記』)
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− | **「磯城島」「志貴島」(『万葉集』)
| |
− | **「敷島」
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− | *たまかきうちのくに
| |
− | **「玉牆内国」(日本書紀・神武紀)
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− | **「玉垣内国」(『神皇正統記』)
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− | *ひのいづるところ - 遣隋使が煬帝へ送った国書にある「日出處」を訓読したもの
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− | **「日出処」(隋書)
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− | *ひのもと - [[雅語]]でこう読むこともある<ref>[[万葉集]]で[[枕詞]]「日の本の」は「大和(やまと)」にかかる枕詞。日の本の大和の国の鎮(しずめ)ともいます神かも([https://dictionary.goo.ne.jp/jn/186682/meaning/m0u/%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%9C%AC%E3%81%AE/ goo辞書「ひのもと-の」])。日の出る本の意味から日本の異名。「ひのもとの末の世に生まれ給ひつらむ([[源氏物語]])」([https://dictionary.goo.ne.jp/jn/186680/meaning/m0u/%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8/ goo辞書「ひのもと」])。また「[https://dictionary.goo.ne.jp/jn/186683/meaning/m0u/%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8/ 日の本の国]」は日の本に同じ。「日の本の国に忍辱(にんにく)の父母あり([[うつほ物語|宇津保物語]])」横浜市歌(森鴎外作詞)に「わが日の本は島國よ」の歌詞あり。</ref>。
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− | *ほつまのくに
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− | **「磯輪上秀真国(しわかみの:ほつまのくに)」(日本書紀・神武紀)
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− | *みづほのくに - みずみずしい稲穂の実る国の意。
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− | **「[[瑞穂]]国」
| |
− | *やまと - [[大和国]]([[奈良県]])を特に指すとともに日本全体の意味にも使われる。『古事記』や『日本書紀』では「倭」「日本」として表記されている。[[魏志倭人伝]]等の中国史書では日本(ヤマト)は「邪馬臺」国と借音で表記されている。また『日本書紀』では「夜摩苔」とも表記されている。「日本」の国号が成立する前、日本列島には、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称される国家ないし民族があった。『日本書紀』は、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、時間と共に「倭」が「大倭」になり「大和」へと変化していく。その後に更に「大和」を「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだとする<ref name="日本書紀"/> が、『旧唐書』など、これを疑う立場もある。
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− |
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− | ;漢語
| |
− | :「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、[[扶桑]][[蓬莱]]伝説に準えた「扶桑」<ref>[{{NDLDC|992482/160}} 寺島良安『和漢三才図会』]</ref>、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に[[瀛州]](えいしゅう)・[[東瀛]](とうえい)と記される<ref>宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁。瀛州は、蓬莱や[[方丈]]ともに東方三神山のひとつである。</ref>。このほかにも、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。
| |
− | :「皇朝」は、もともと[[中原]]の天子の王朝をさす[[漢語]]だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、[[国学者]]はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。[[江戸時代]]の[[儒学者]]などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている<ref group="注">「有漢、皇魏、聖晋、大宋」等。例外として「大元・大明・大清」があり、この3例のみ二文字で正式国名。</ref>。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「[[帝国]]」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。大日本帝国憲法の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる<ref group="注">日本国の公印である「国璽」では、明治時代に作製された「大日本國璽」が使用され続けている。</ref>。
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− | ;倭漢通用
| |
− | :江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』<ref>[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko01/bunko01_01786/bunko01_01786_0001/bunko01_01786_0001_p0003.jpg 『日本書紀神代講述』早稲田大学図書館蔵]</ref> に、倭漢通用の国称が掲載されている。
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− | {{colbegin|3}}
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− | *「倭国」
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− | *「和面国」
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− | *「和人国」
| |
− | *「野馬台国」、「耶摩堆」
| |
− | *「[[姫]]氏国」、「女王国」
| |
− | *「扶桑国」
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− | *「君子国」
| |
− | *「日本国」
| |
− | {{colend}}
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− |
| |
− | ===その他の言語===
| |
− | {{See also|外名#日本の外名|en:Names of Japan}}
| |
− | [[ファイル:MartinBehaim1492.png|thumb|right|[[マルティン・ベハイム]]が想像した欧州大陸西側の詳細。アメリカ大陸の存在が認識されておらず太平洋と大西洋が一つの大海として表現されている。中央上部左にCipanguとある。]]
| |
− | :英語での公式な表記は、{{Lang|en|'''Japan'''}}([[ジャパン]])。形容詞は{{Lang|en|''Japanese''}}([[ジャパニーズ]])。略記は、{{Lang|en|'''JPN'''}}が用いられる。{{Lang|en-US|''JAP''}}([[ジャップ]])は、侮蔑的な意味があるので注意が必要である<ref group="注">一方、ドイツ語やポーランド語などでは侮蔑的な意味を込めずに「JAP」が日本の略称として広く用いられ、両言語版のウィキペディアでも使用されている。</ref>。{{Lang|en|''Nippon''}}(ニッポン)が用いられる例も見られ、具体的には、[[万国郵便連合|UPU]]等によるローマ字表記(1965年以降)、[[郵便切手]]や[[日本銀行券]]などで{{Lang|en|''Nippon''}}表記を用いている。略称は、NPNが用いられる。
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− | :その他、各言語で日本を意味する[[固有名詞]]は、アン チャパイン({{Lang-ga-short|an tSeapáin}})、ヤーパン({{Lang-de-short|Japan}})、ジャポン({{Lang-fr-short|Japon}})、ヤパン({{Lang-nl-short|Japan}})、ハポン({{Lang-es-short|Japón}})、ジャッポーネ({{Lang-it-short|Giappone}})、ヤポニヤ({{Lang-pl-short|Japonia}})、ヤポーニヤ/イポーニヤ<ref group="注">ロシア語のЯпонияでは「о」にアクセントがあるが、「[[Я]]」音はアクセントが無い場合に発音が「/ja/」から「/ji/」に変化する場合がある。[[ソビエト連邦]]時代に事実上の標準語として連邦全土で定着したモスクワ方言ではこの傾向が顕著で、綴りに忠実な前者「ヤポーニヤ」よりも後者「イポーニヤ」の発音になる(語尾変化による格の形を明確にするために後の「я」は「/ja/」のまま)。後者の場合、ポーランド語の[[ラテン文字]]表記とロシア語の[[キリル文字]]表記との相互置換が完全に一致していても、双方の間に発音のずれが生じる。</ref>({{Lang-ru-short|Япония}})、イープン({{Lang-th-short|ญี่ปุ่น}})など、特定の時期に特定の地域の[[中国語]]で「日本国」を発音した「ジーパングォ」を写し取った([[#読み|日本語読み]]の「ジッポン」に由来するとの説もある)、[[ジパング]] (Xipangu/Zipang/Zipangu) ないしジャパング (Japangu) を[[語源]]とすると考えられる。
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− | :[[漢字文化圏]]においては、ジーペン({{Lang-zh-short|Rìběn;日本}})<ref group="注">「Rìběn」表記は中国標準語(または[[北京語]])の場合。なお、中国語のアルファベット表記にはさまざまな形式があり、この場合の「rì(日)」も形式によって「rih」「jih」などとも表記される([[:en:Bopomofo#Comparison]]を参照)。つまり、この子音は「r」にも「j」にも似た音であり、特に[[巻き舌]]をしない地域([[台湾]]南部など)では「j」や「z」に発音が近い。一方、第2音節の「b」は「p」の[[有気音|無気音]]で、いわゆる[[濁音]]の「b」とは異なるが、アルファベットにはそれに相当する文字がないため、「b」が用いられる。「ě」は[[シュワー]]だが、[[英語]]などの'''曖昧母音'''とは性格が異なる、1つの独立した母音(「エ」と「オ」の中間のような音)である。この「bě」に相当する日本語の文字がないため、ここでは便宜上、「ベ」としてある。ただしeの後にnが続いた鼻母音enは、日本語や英語のそれに近い発音になるため、「リ(ジ)ーベン」という転写も間違いではない。</ref>、イルボン({{Lang-ko-short|일본;日本}})、ニャッバーン({{Lang-vi-short|Nhật Bản;日本}})<ref group="注">[[ベトナム]]は、[[フランス]]の[[植民地]]になるまで漢字を使用していたときの名残。ベトナム語大辞典などで実際の発音を確認できる。</ref> など、「日本」をそのまま自言語の発音で読んでいる。
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− | ;欧州発行の古地図上での表記
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− | *「CIPANGU」1300年頃<ref>[[マルコ・ポーロ|Marco Polo]], {{En icon}} {{cite web |url=https://www.japantimes.co.jp/life/2008/07/27/general/cipangus-landlocked-isles/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180825151317/https://www.japantimes.co.jp/life/2008/07/27/general/cipangus-landlocked-isles |archivedate=August 25, 2018 |title=Cipangu’s landlocked isles |publisher=The Japan Times |accessdate=August 25, 2018}}</ref>
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− | *「IAPAM」1560年頃<ref>[http://dpg.lib.berkeley.edu/webdb/dsheh/heh_brf?Description=&CallNumber=HM+44 ハンティントン ライブラリー図書館所蔵「HM44」-2]</ref>
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− | *「IAPAN」1567年頃<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con01.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-3 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006210024/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con01.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPAM」1568年頃<ref>{{Cite web |url=http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |title=カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:139」 |accessdate=2013年1月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327215953/http://www2.crb.ucp.pt/Historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |archivedate=2010年3月27日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「JAPAN」発行年不明<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con27c.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-4 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200008/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con27c.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIAE」1595年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn02.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-5 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195907/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn02.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」1595年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn03.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-6 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200304/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn03.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIÆ」1595年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn04.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-7 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195946/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn04.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」1598年<ref>{{Cite web |url=http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |title=カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:171」 |accessdate=2013年1月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327215953/http://www2.crb.ucp.pt/Historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |archivedate=2010年3月27日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」1598年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn01.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-8 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195931/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn01.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPAO」1628年<ref>{{Cite web |url=http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |title=カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:201」 |accessdate=2013年1月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327215953/http://www2.crb.ucp.pt/Historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |archivedate=2010年3月27日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「Iapan」1632年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con02b.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-9 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200336/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con02b.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」1655年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn05.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-10 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200231/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn05.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPON」発行年不明<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con15e.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-11 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195950/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con15e.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「Iapan」1657年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con28c.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-13 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200417/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con28c.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」1660年頃<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con10a.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-14 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006203524/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con10a.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「NIPHON」1694年頃<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con03c.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-22 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200215/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con03c.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref><ref group="注">1851年に発表された小説『[[白鯨]]』では海図を確認する場面で『Niphon』の表記が登場する。</ref>
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− | *「JAPAM」1628年<ref>{{Cite web |url=http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |title=カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:243」 |accessdate=2013年1月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327215953/http://www2.crb.ucp.pt/Historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |archivedate=2010年3月27日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「YAPAN」1628年<ref>{{Cite web |url=http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |title=カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:197」 |accessdate=2013年1月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327215953/http://www2.crb.ucp.pt/Historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm |archivedate=2010年3月27日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPON」17世紀<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con26c.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-23 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006203531/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con26c.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IMPERIUM IAPONICUM」18世紀初<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con04b.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-24 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200522/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con04b.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IMPERIUM IAPONICUM」1710年頃<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con05c.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-25 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195925/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con05c.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPONIA」18世紀初<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con25b2.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-26 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200033/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con25b2.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IAPON」1720-30年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con22c2.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-27 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200258/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con22c2.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「IMPERIVM JAPONICVM」1727年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn06.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-28 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200239/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn06.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn07.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-29 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006195937/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn07.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | *「JAPANIÆ REGNVM」1739年<ref>{{Cite web |url=http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con12b.html |title=九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-31 |accessdate=2011年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006200340/http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con12b.html |archivedate=2011年10月6日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | {{colend}}
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− | ===国号の由来===
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− | ====概説====
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− | 日本では、[[大和政権]]が統一以降に自国を「[[ヤマト]]」と称していたようであるが、古くから[[中国]]や[[朝鮮]]は日本を「[[倭]]」と呼んできた。[[石上神宮]]の[[七支刀]]の銘や、中国の[[歴史書]](『[[前漢書]]』『[[三国志]]』『[[後漢書]]』『[[宋書]]』『[[隋書]]』など)や、[[高句麗]]の[[好太王|広開土王]]の[[碑文]]も、すべて倭、倭国、倭人、倭王、倭賊などと記している。そこで大和の代表者も、[[外交]]時には([[5世紀]]の「[[倭の五王]]」のように)国書に「倭国王」と記すようになった<ref>下中直人編 『世界大百科事典 21』 [[平凡社]]、387頁。</ref>。
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− | しかし中国との国交が約120年に渡って中絶した後、[[7世紀]]初期に再開された時には、『[[日本書紀]]』では「東の天皇が敬いて西の皇帝に白す」、『隋書』には「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」とする国書を日本側が渡した記述があり、従来のように倭と称する事を避けている。中国側では『旧唐書』の「東夷伝」に初めて日本の名称が登場し、「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」「或いは曰く、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本と為す」「或いは曰く、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併す」のように、倭が名称を日本に変えた理由を説明している<ref>前掲 『世界大百科事典』 387頁。</ref>。また、『新唐書』においては「国日出ずる所に近し、以に名をなす」とあり、隋書の「日出処天子」と共通している。
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− | この7世紀には、[[遣隋使]]に続いて[[遣唐使]]がしばしば派遣されているが、いつから「倭」に変えて「日本」を国号と変えたのかは明らかでない<ref>前掲 『世界大百科事典』 387-388頁。</ref>。使者の毎回の交渉について詳しく記述している『日本書紀』も、8世紀に国号としての日本が確立した後の[[書物]]であり、原資料にあった可能性のある「倭」の字を、国号に関する限りすべて「日本」と改めている。それ以外の文献では、733年(天平5年)に書かれた『海外国記』の逸文で、664年(天智3年)に[[太宰府]]へ来た唐の使者に「日本鎮西筑紫大将軍牒」とある書を与えたというが、真偽は不明である。結局確かなのは『[[続日本紀]]』における記述であり、702年(大宝2年)に32年ぶりで唐を訪れた遣唐使は、唐側が「大倭国」の使者として扱ったのに対し、「日本国使」と主張したという。『旧唐書』の「東夷伝」の記事も、この日本側の説明に基づいているようである<ref>前掲 『世界大百科事典』 388頁。</ref>。
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− | ====詳細====
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− | 『日本書紀』では日本の初代天皇の神武天皇は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と言われ、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。
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− | 『[[倭・倭人関連の朝鮮文献|新羅本紀]]』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。「倭」と「日本」の関係について、『日本書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、当初はこれを「ヤマト」と読んだとする<ref name="日本書紀">{{cite wikisource |wslink=日本書紀/卷第一 |title=『日本書紀』巻第一 神代上 |wslanguage=zh |language=漢文 |show-language=yes |quote=日本、此云耶麻騰。下皆效此(日本、ここにはヤマトと云ふ。下は皆これに傚(なら)へ)}}</ref>。
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− | 「日本」という国号の表記が定着した時期は、7世紀後半から[[8世紀]]初頭までの間と考えられる。この頃の東アジアは、618年に成立した[[唐]]が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。[[斉明天皇]]は658年臣の[[阿倍比羅夫]]に、外国である[[みしはせ|粛慎]](樺太)征伐を命じている。663年の白村江の戦いでの倭国軍の敗戦により、唐は使者を倭国に遣わし、唐と倭国の戦後処理を行っていく過程で、倭国側には唐との対等関係を目指した律令国家に変革していく必要性が生じた。これらの情勢を契機として、668年には[[天智天皇]]が日本で最初の律令である近江朝廷之令([[近江令]])を制定した。そして672年の[[壬申の乱]]を経て強い権力を握った[[天武天皇]]は、天皇を中心とする体制の構築を更に進め、689年の[[飛鳥浄御原令]]から701年([[大宝 (日本)|大宝]]元年)の[[大宝律令]]の制定へと至る過程において国号の表記としての「日本」は誕生したと考えられる。
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− | 具体的な成立の時点は、史料によって特定されていない。ただし、それを推定する見解は以下の2説に絞られる。
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− | (1)天武天皇の治世(672年 - 686年)に成立したとする説<ref>熊谷公男 『大王から天皇へ 日本の歴史03』(講談社、2001年)、[[吉田孝]] 『日本誕生』(岩波新書、1997年)など</ref>。これは、この治世に「天皇」の号および表記が成立したと同時期に「日本」という表記も成立したとする見解である。例えば吉田孝は、689年の飛鳥浄御原令で「天皇」表記と「日本」表記と両方が定められたと推測する<ref>吉田孝 『日本の誕生』(岩波新書、1997年)</ref><ref group="注">天武天皇は、飛鳥浄御原令が成立する以前の686年に没している。</ref>。
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− | (2)701年(大宝元年)の大宝律令の成立の前後に「日本」表記が成立したとする説。例えば神野志隆光は、大宝令公式令詔書式で「日本」表記が定められたとしている<ref>[[神野志隆光]]『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)</ref>。ただし、『日本書紀』の[[大化]]元年(645年)七月条には、高句麗・百済からの使者への詔には「明神御宇日本天皇」とあるが、今日これは、後に定められた大宝律令公式令を元に、『日本書紀』(720年([[養老]]4年)成立)の編者が潤色を加えたものと考えられている<ref>古田東朔「国号」節(「日本」項、『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年)</ref>。
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− | 8世紀前半の唐で成立した『[[唐暦]]』には、702年(大宝2年)に「日本国」からの遣使(遣唐使)があったと記されている<ref>『続日本紀』[[慶雲]]元年(704年)七月条に、[[粟田真人]]を執節使とする遣唐使が唐(大周)から帰国したとの記述がある:“秋七月甲申朔、正四位下粟田朝臣眞人自唐國至。初至唐時、有人來問曰:「何處使人?」答曰:「日本國使。」…問答畧了、唐人謂我使曰:「亟聞、海東有大倭國、謂之君子國、人民豐樂、禮義敦行。今看使人、儀容大淨、豈不信乎?」語畢而去。”</ref>。後代に成立した『旧唐書』<ref>{{cite wikisource |wslink=舊唐書/卷199上#日本 |title=『舊唐書』卷一百九十九上 列傳第一百四十九上 東夷 |wslanguage=zh |language=漢文 |show-language=yes |quote=倭國者、古倭奴國也。…日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本爲名。或曰:倭國自惡其名不雅、改爲日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。(倭国は、古の倭奴国なり。…日本国は、倭国の別種なり。其の国、以って日辺に在り。故に日本を以って名と為す。或は曰う:倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本と為すと。或は云う:日本は旧(もと)小国にして、倭国の地を併せたりと。)}}</ref><ref>『旧唐書』には倭・日本伝があり、「日辺にあるゆえに日本をもって名となす」(日本国者、倭国之別種也、以其国在日辺、故以日本為名)とあり、これを「ニッペン」「ニッポン」の語源と推理する史家もいる。『律令時代の日本』今井欣一(PDF-P.194)<!--より適切な出典情報を求む--></ref>、『新唐書』<ref>{{cite wikisource |wslink=新唐書/卷220#倭,日本 |title=『新唐書』卷二百二十 列傳第一百四十五 東夷 |wslanguage=zh |language=漢文 |show-language=yes |quote=日本、古倭奴也。…後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以爲名。或云日本乃小國、為倭所幷、故冒其號。(日本は、古の倭奴なり。…後に稍(やや)夏音を習い、倭の名を悪(にく)み、更(あらた)めて日本と号す。使者自ら言う、国日出ずる所に近き、以って名と為すと。或は云う、日本は乃ち小国、倭の并す所と為す。故に其の号を冒すと。)}}</ref> にも、この時の遣唐使によって「日本」という新国号が唐([[武則天]]、大周)へ伝えられたとの記述がある。両書とも「日の出の地に近いことが国号の由来である」とする。国号の変更理由については「雅でない倭国の名を嫌ったからだ」という日本国側からの説明を記載するものの、倭国と日本国との関係については、単なる国号の変更ではない可能性について言及している。すなわち、『旧唐書』は「小国だった日本が倭国を併合した」とし、『新唐書』は、日本の使者は「倭が国号を日本に変えたとか、倭が日本を併合し国号を奪った」と言っているが疑わしいとしており<ref group="注">これらの記述は、天武天皇が大友皇子の近江朝廷を滅亡させた壬申の乱を示すとする説がある。</ref>、同書でも、日本は、隋の開皇末(600年頃)に初めて中国と通じた国であり、古くから交流のあった倭国とは別と捉えられている。また、日本の王の姓は阿毎氏であること、筑紫城にいた神武が大和を征服し天皇となったことなどが記載されている。いずれにせよ、これらの記述により、702年に初めて「日本」国号が唐によって承認されたことが確認できる。
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− | これまでに発見されている「日本」国号が記された最古の実物史料は、[[開元]]22年(734年、日本:[[天平]]6年)銘の[[井真成]]墓誌である<ref group="注">井真成墓誌は、[[中華人民共和国]]の[[陝西省]][[西安市]]内工事現場で発見されたと、2004年10月に発表された。</ref>。但し2011年7月、祢軍という名の百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表された。墓誌は678年制作と考えられており、もしこれが事実であるならば日本という国号の成立は従来説から、さらに遡ることになる<ref>[https://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html 「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化] - 朝日新聞 2011年10月22日 {{webarchive|url=https://archive.is/20120718141536/www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html |date=2012年7月18日 }}</ref>。
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− | 『[[旧唐書]]』・『[[新唐書]]』等を理由として「日本」国号は、日本列島を東方に見るという中国大陸からの視点に立った呼称であるとする説がある<ref>網野善彦『「日本」とは何か』(講談社、2000年)、神野志前掲書など。</ref>。[[平安時代]]初期に成立した『[[弘仁私記]]』序にて、日本国が中国に対して「日の本」、つまり[[東方]]に所在することが日本の由来であると説明され、平安時代に数度に渡って行われた『日本書紀』の講読の様子を記す『[[日本書紀私記]]』諸本においても中国の視点により名付けられたとする説が採られている<ref group="注">神野志隆光は、日本の称が中国の世界観の中から生まれた可能性を指摘した上で、故に日本の国号が唐に受け容れられたのではないかと考察している。</ref>。
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− | 『隋書』東夷伝に、倭王が[[隋]]皇帝への国書に「日出ずる処の天子」と自称したとあり、このときの「日出ずる処」という語句が「日本」国号の淵源となったとする主張もある。しかし、「日出ずる処」について、仏典『大智度論』に東方の別表現である旨の記述があるため、現在、単に文飾に過ぎないとする指摘もある<ref>東野治之『遣唐使と正倉院』(岩波書店、1992年)や神野志前掲書など。</ref>。
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− | == 歴史 ==
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− | {{seealso|日本の歴史}}
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− | {{日本の歴史|日本の位置図.svg}}
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− | 通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「日本」の成立は、[[#国号|国号]]にあるように7世紀後期であり、それまでは「倭国」と呼び記されていた。この倭国がどのような地理的範囲あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては史料に明確にされておらず、多くの学術上の仮説が提出されている。倭国と日本国との関係は諸説あり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている<ref>網野善彦『「日本」とは何か 日本の歴史00』(講談社、2000)など</ref>。
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− | 時代の区分は、[[考古学]]上のものと[[歴史学]]上のものとがある。
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− | (1)考古学上は、[[日本の旧石器時代|旧石器時代]](先土器時代)、[[縄文時代]]、[[弥生時代]]、歴史時代、とするのが一般的である。
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− | 一方、(2)歴史学上は、[[古代]]([[古墳時代]]から・[[飛鳥時代]]・[[奈良時代]]・平安時代)、[[中世]]([[鎌倉時代]]・[[室町時代]]・[[戦国時代 (日本)|戦国時代]])、[[近世]]([[安土桃山時代]]・江戸時代)、[[近代]]([[明治維新]]から1945年8月14日まで)および[[現代 (時代区分)|現代]](1945年8月15日以降)の五分法が通説である<ref>「広辞苑」([[岩波書店]]、2008年1月第6版発行)によれば、「近代」とは「広義には近世と同義で、一般には[[封建制]]社会のあとをうけた[[資本主義]]社会についていう。日本史では明治維新から[[太平洋戦争]]の終結までとするのが通説。」と、「現代」とは「日本史では太平洋戦争の敗戦以後または[[保守合同]]の1955年以降、世界史では19世紀末の[[帝国主義]]成立期以後、[[ロシア革命]]と[[第一次世界大戦]]以後、[[第二次世界大戦]]後など、さまざまな区分が行われている。」とそれぞれ定義されている。</ref>。
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− | ===日本の黎明===
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− | 日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3.5万年前に始まったとされる<ref group="注">現生人類の到達は3.5万年前。それ以前の遺跡は[[デニソワ人]]などの旧人が遺したものである。</ref>。当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで<ref group="注">近年の研究では氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡には海が残り陸続きにならなかったことが分かってきている。</ref>、西方の[[華北]]や北方の[[シベリア]]との文化交流も見られた。約3万年前には朝鮮半島と海峡で隔たり、約1万2千年前の前後に[[最終氷期]]が終わると6千年前頃まで100m以上の海進が進んだ([[縄文海進]])。この時期の住民が縄文人である。この後も列島と大陸との間に小規模ながらも広範囲に通交・交流が行われ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった<ref>[[山形県]]において[[紀元前10世紀]]頃の[[青銅器]](刀子)が出土しているが生産は[[紀元前2世紀]]頃から始まる。横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』p.21-22</ref>。だが、東アジアの最東方に所在する大きな島国、という地理的条件により、黄河・長江流域の文明を中心に早期から発展していた中国と比べると、文明の発達度という意味では後進地域となっていた。
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− | [[紀元前8世紀]]頃以降、中国南部から[[稲作]]を中心とする文化様式を持つ弥生人が流入すると、各地に「クニ」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に形成される。これらの地域的政治集団により、朝鮮半島南部から南西諸島までの範囲で海上交易で結びついた緩やかな倭人の文化圏が構成されていった。こうした文化圏の中で、[[勾玉]]などが[[紀元前6世紀]]以降日本から朝鮮半島へ伝搬したほか、紀元前2世紀頃に青銅器および鉄器の製造法が日本へ伝わった。[[1世紀]]・[[2世紀]]前後に各クニが抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。中でも北九州から本州にかけて存在していた国家群から、最も有力であったヤマトを盟主として統一王権([[ヤマト王権]])が形成され、これが王朝に発展したとする説が有力である。王権の[[首長]]([[王]])はのちに[[大王 (ヤマト王権)|大王]](おおきみ)と呼ばれ、[[豪族]](地方首長)を従えて統一国家建設を進めた。
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− | [[ファイル:King of Na gold seal.jpg|thumb|[[漢委奴国王印]]]]
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− | ===律令国家の成立と貴族政治の展開===
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− | 朝鮮半島における覇権争いが[[倭国]]の国家体制を変化させた。それまで、ヤマト王権は、同じ文化圏に属していたツングース系中国人の国家である[[百済]]や[[新羅]]に対して、度重なる出兵を行い[[任那]]に日本領を築くなど、[[朝鮮半島]]に影響力を持っていたが、[[663年]]、百済復興のために援軍を送った[[白村江の戦い]]で新羅・唐の連合軍に敗れて半島への影響力を後退させる。その後間もなくヤマト王権は「倭国」号に代わる「日本国」号、「大王」号に代わる「[[天皇]]」号を設定して、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする[[冊封体制]]からの自立を明確にした。これは、他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。日本は7世紀後半に中国の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国家([[律令国家]])としての完成を見た。また古墳時代後期の日本列島には、倭国の他に沖縄諸島に「流求国」が存在した。しかし[[隋]]との関係が悪化した結果軍事侵攻を受け、[[610年]]に滅亡した<ref>田中聡 『蝦夷と隼人・南島の社会』「日本史講座」第1巻 東アジアにおける国家形成 東京大学出版会 2004年5月、275‐276頁。</ref>。
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− | 日本は、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に[[中華]]王朝に対して独自の「[[天子]]」を称し、8世紀には[[渤海使|渤海を朝貢国とした]]。[[武家政権]]成立後も、[[13世紀]]の[[元寇]]、[[16世紀]]のヨーロッパのアジア進出、[[19世紀]]の[[欧米列強]]の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。
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− | 成立当時の倭の支配地域は、日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれた([[隼人]])が、抵抗の強かった東北地方の全域が平安時代後期に([[延久蝦夷合戦]])領域に組み込まれ、倭人、隼人、蝦夷人が日本人となった。特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。
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− | [[9世紀]]から[[10世紀]]にかけて、地方豪族や有力農民は、勢力の維持・拡大を図り、武装するようになった。彼らはしばしば各地で紛争を起こすようになり、政府は制圧のために中下級の公家を[[押領使]]や[[追捕使]]に任じて、各地に派遣したが、中には[[在庁官人]]となってそのまま定着するものも現れるようになった。これが[[武士]]の起こりである。武士は[[家子]]や[[郎党]]を率いて戦を繰り返したが、やがて東日本を中心に、連合体である[[武士団]]へと成長した。中でも中央貴族の系譜を引く[[桓武平氏]]と[[清和源氏]]は、軍事貴族である[[武家]]となって、武士を二分する勢力に成長し、やがて政権を巡って対立することとなる。
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− | また、中央政治においては[[11世紀]]に[[藤原北家]]が皇族の外戚として政権中枢を担う[[摂関政治]]が成立した。[[白河天皇|白河上皇]]が[[治天の君]]として実権を握って以降は、藤原北家と直接の血縁を持たない天皇が早くに[[譲位]]し、[[太上天皇]](上皇)となって政を取り仕切る[[院政]]がしばしば見られるようになった。
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− | ===武家政権の時代===
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− | [[ファイル:Samurai.jpg|thumb|[[当世具足]]を身に着けた[[侍]]<br />[[手彩色絵葉書|手彩色]]写真。元の写真は[[フェリーチェ・ベアト]]による[[1860年代]]の撮影。]]
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− | 10世紀から[[12世紀]]にかけて、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制、更に武士の[[清和源氏]]や[[北条氏]]が実権を掌握する[[鎌倉幕府]]が王朝・貴族勢力と拮抗しながら国内を統治する中世国家へと移行した([[荘園公領制]]・[[職の体系]])。12世紀頃(平安末期)から[[起請文]]などの古文書に「日本」や「日本国」の表記が見られ始め、「日本」や「日本人」の意識が強く意識されるようになったことの表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となり、併せて「[[神国]]」観念を定着させた。[[網野善彦]]は、このような「日本」・「日本人」意識は、外国のみならず神仏などをも含む「異界」に対する関係性の中で醸成されたとしている<ref>網野善彦 『前掲書』。</ref>。[[1333年]]に鎌倉幕府を滅亡させた[[後醍醐天皇]]は古代の天皇親政に回帰する[[建武の新政]]を行ったがほどなく失敗し、[[1336年]]に成立した[[足利氏]]の[[室町幕府]]がその後の[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の騒乱を抑えて中世武家政権の支配を継続した。この室町時代までには、[[安東氏]]の活動を通じて「日本」の領域が北海道の南部まで及んだ([[道南十二館]])。また、15世紀には[[足利義満]]による[[日明貿易]]が行われ、形式的には足利将軍が「日本国王」として中国の[[明|明朝]]から冊封を受けることになったが、その後の日中関係ではこの関係は定着しなかった。
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− | [[14世紀]]から[[15世紀]]までの時期には社会の中世的な分権化が一層進展したが、[[応仁の乱]]による室町幕府の衰退を決定機として15世紀後半頃から[[戦国大名]]勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。この地域国家の形成は中世社会の再統合へと繋がり、16世紀末に[[豊臣秀吉]]によって日本の統一政権が樹立されるに至り、近世へと移行した。日本の領域は、この時期にも変動している。16世紀末に[[蠣崎氏]]が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太・カムチャッカを含む[[蝦夷地]]の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、[[17世紀]]に[[シャクシャインの戦い]]や[[ロシア帝国]]の進出によって北方への関心が強まると、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて[[喜界島|鬼界島]]・[[硫黄島 (鹿児島県)|硫黄島]]までが西の境界と意識された。17世紀初めに[[薩摩藩]]の[[島津氏]]は[[琉球王国]]に侵攻して、かつて[[北条氏]]の[[得宗]]領であり、[[鎌倉幕府]]滅亡後島津氏の支配下に入った[[千竈氏]]の采配地であった[[奄美群島]]を直轄地とし、[[沖縄諸島]]および[[先島諸島]]([[宮古列島]]および[[八重山列島]])の琉球王府の支配地から米・砂糖を上納させた<ref>[[高柳光寿]]・[[竹内理三]]編『角川日本史辞典 第二版』([[角川書店]]、1974年12月発行)の「琉球王国」の項目によれば、「1609(慶長14)薩摩藩が大軍をもって征服し、以後薩摩は琉球の王国体制を温存し、琉球王国に貢納を課し、[[那覇市|那覇]]に在番奉行を置いた。」と記されている。</ref> が、朝貢貿易は続けさせたため、その後も琉球王国は、日本・明朝(後に[[清朝]])両属の状態に置かれた。
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− | 一方、豊臣秀吉が[[李氏朝鮮]]に侵攻した[[文禄・慶長の役]]の失敗後、[[1603年]]に[[徳川家康]]が開いた[[江戸幕府]]は薩摩を通じた琉球侵攻以外はおおむね消極的な外交政策をとり、後に「[[鎖国]]」とも称される[[海禁|海禁政策]]によって外国文物の流入が強く制限された。18世紀末以降、江戸幕府は[[千島列島]]などでロシア勢力と接触し、北方での防衛強化が課題となったが、ロシアとの正式な外交条約や国境画定は「開国」後まで行われなかった。[[幕藩体制]]の確立は日本国内の安定化をもたらし、緩やかな経済成長の継続は大都市の発展や商業資本の蓄積として近代化の基盤の一つになった。一方、17世紀以降に発展した[[国学]]は日本の伝統宗教である[[神道]]の復権をもたらし、その後の日本に大きな思想的影響を与えた。
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− | ===明治維新と近代日本の展開===
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− | [[ファイル:Emperor Taishō.jpg|thumb|[[大正天皇]]]]
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− | 19世紀中葉に入り、欧米[[列強]]との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。[[大航海時代]]以降、アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、後の[[国民国家]]意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の[[近代国家]]建設がスムーズに行われる基礎となった。
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− | [[1853年]]に起きた[[アメリカ合衆国]]の[[マシュー・ペリー]]による[[黒船来航]]以来、江戸幕府は「[[開国]]」政策に転換したが、不平等条約による経済危機や[[尊王攘夷]]による討幕運動に抗しきれず、[[1867年]](慶応3年)に[[大政奉還]]を行って自ら幕を下ろした。[[1868年]]以降、[[明治天皇]]を戴きながら[[長州藩]]や薩摩藩出身の中下級武士が実権を掌握した新政府の元で[[明治維新]]が遂行され、[[近代化]]・欧米化路線による国民国家の建設を急速に進めた。同時に近隣国と国境の確定を行い、[[1875年]]に[[樺太]]全域をロシア領とする代わりに[[占守島]]以南の[[千島列島]]全域を日本領とし([[樺太・千島交換条約]])、[[1876年]]に小笠原諸島の領有を宣言<ref>前掲の「小笠原諸島」によれば、「1827(文政10)[[イギリス]]軍艦が探検、占領。その後[[アメリカ]]人が移住。」と記載されている。</ref> し、また、[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]を行うとともに[[1885年]]に[[大東諸島]]、[[1895年]]に[[尖閣諸島]]を編入し、南西諸島方面の実効的な支配を確立した。ここに一旦、近代国家としての日本国の領域が確定した。
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− | ==== 帝国主義への傾倒 ====
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− | [[自由民権運動]]を経て1885年に[[内閣制度]]を確立し、[[1889年]]に大日本帝国憲法を制定し、[[1890年]]に第1回[[衆議院議員総選挙]]を実施して[[帝国議会]]を設置した。こうして、アジアで初めて[[憲法]]と[[議会]]とを持つ、近代的な[[立憲国家]]となった<ref name="autogenerated2">『歴史、未来をみつめて』[[教育出版]]</ref>。(正確には、オスマン帝国で[[1876年]]に制定された[[オスマン帝国憲法|ミドハト憲法]]の方が先であるが、短期間で停止された)
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− | 19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られ、[[日清戦争]]や[[日露戦争]]を経て勢力圏の確保を進めた。日露戦争の勝因として[[1902年]]イギリスと[[日英同盟]]を締結したことが大きかった。両戦争を通じ、台湾・[[澎湖諸島]]および南樺太を領土に収め、[[関東州]]の[[租借]]権を獲得した。その後、[[1910年]]に[[韓国併合]]が実施された。
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− | [[1914年]]、第一次世界大戦がヨーロッパで勃発すると、日本は日英同盟に基づいて[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側について参戦し、[[ドイツ帝国]]・[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に対して宣戦布告した。ドイツの[[租借地]]であった[[青島市|青島]]や[[ドイツ領ニューギニア]]を攻略した。青島占領の後、日本は[[対華21ヶ条要求]]を[[袁世凱]]政府に提示し、中国側の反発を招いた。日本は戦勝国として[[1919年]]の[[パリ講和会議]]に参加し[[人種差別撤廃案]]を提出した([[アメリカ合衆国]]などが反対)。また、発足した[[国際連盟]]において常任理事国となり、旧ドイツ領の[[南洋群島]]を[[委任統治]]することとなった。一方、このパリ講和会議に際してアメリカから出された[[十四か条の平和原則]]は日本が併合した朝鮮で[[三・一運動]]を誘発した。時を同じくして[[大正デモクラシー]]が起こり、本格的な[[政党政治]]や男子[[普通選挙]]が実現した。一方で日本はロシアでの[[社会主義]]革命成功を強く警戒し、[[ロシア内戦]]に乗じた[[シベリア出兵]]では[[極東ロシア]]地域や北樺太などを一時占領した。[[1925年]]、男子普通選挙の成立と同時に制定された[[治安維持法]]は設立間もない[[日本共産党]]や社会主義勢力、後には自由主義なども広く弾圧した治安機関、[[特別高等警察]]の法的根拠となった。
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− | [[ファイル:Generals Pyongyang MigitaToshihide October1894.jpg|thumb|「平譲(ママ)大捷清将生捕ノ図」([[右田年英]]画)。[[日清戦争]] 年月日:1894年 – 1895年]]
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− | [[ファイル:Bank run during the Showa Financial Crisis.JPG|thumb|[[昭和金融恐慌]]時の取り付け騒ぎ]]
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− | [[1926年]]に[[昭和天皇]]が即位すると、翌1927年に[[昭和金融恐慌]]、[[1929年]]には[[世界恐慌]]が起き、日本経済は大きな打撃を受けた。世界恐慌以後、植民地を「持てる国」である英米仏などが[[ブロック経済]]化を進めて、日独伊などの「持たざる国」を締め出す動きを強めると、日本国内では対外進出によって、状況を打破しようとする動きが強まった。[[対支一撃論]]を主張する[[関東軍]]は日本が権益を持つ[[満洲]](中国東北部)への侵略を強め<ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「[[満州事変]]」の項目によれば、「1931年9月18日の[[柳条湖事件]]によって開始された日本の[[満州]](中国東北部)侵略戦争。」と記されている。</ref>、[[1934年]]に[[満洲国]]を建国して一定の支配権を得るに至った<ref>日中韓3国共通歴史教材委員会編『日本・中国・韓国共同編集 [[未来をひらく歴史]] 東アジア3国の近現代史』([[高文研]]、2005年5月発行)の「第3章 侵略戦争と民衆の被害」の「1節 日本の[[中国東北部|中国東北地方]]への侵略」の「1 満州事変」の105ページの左上に掲載されている「[[リットン調査団|リットン調査書]](一部)」によれば、「満州の主権は中国に属する。日本軍の軍事行動は正当なる自衛行動とは認められない。([[満州国]])政府の指導者は名目上[[満州民族|満州人]]であるが、実権は日本の官僚と顧問が掌握している。現地の[[中国人]]の目には、[[日本人]]の道具になっていると映っている。」と記載されている。</ref>。[[若槻礼次郎内閣]]は不拡大方針を打ち出し事態の収拾を図ったが、対外強硬的な世論を背景とする軍部の台頭を抑えきれなくなった。若槻内閣が総辞職すると、[[犬養毅]]に組閣の大命が下り、引き続き経済状況の打開と満州事変の処理にあたったが、[[五・一五事件]]で過激派海軍青年士官達によって暗殺された。これによって、[[憲政の常道]]は幕を下ろした。
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− | ==== 太平洋戦争 ====
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− | [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-L09218, Berlin, Japanische Botschaft.jpg|thumb|left|180px|同盟締結を記念してベルリンの日本大使館に掲げられた三国の国旗(1940年9月)]]
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− | [[1930年代]]に入ると、政府・軍部による[[帝国主義]]は[[大日本帝国憲法]]における[[天皇]]の名を借りた暴走を開始した。日本政府による対立思想の弾圧も始まり、もはや日本人では誰にも日本の[[帝国主義]]を止められなくなった。[[1937年]]に[[盧溝橋]]にて日本軍と[[蒋介石]]の[[国民革命軍]]が衝突すると([[盧溝橋事件]])、双方の軍事行動により[[支那事変]]([[日中戦争]])へと発展した。翌1938年には、[[新体制運動]]を主導する[[近衛文麿]]首相のもと、[[国家総動員法]]が制定され議会は有名無実化した。[[1940年]]の[[日独伊三国同盟]]締結で特に[[ナチス・ドイツ]]との協力関係を強め、[[第二次世界大戦]]において[[枢軸国]]陣営への参加を明確にした日本の対外志向は、特に[[南進論]]に基づいた[[進駐]]によって、アメリカとイギリスを筆頭とする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、[[1941年]]には[[マレー作戦|イギリス領マレー]]および[[真珠湾攻撃|アメリカ自治領ハワイ準州(真珠湾)]]以下各地を攻撃し([[南方作戦]])、太平洋戦争へ突入した。一時期は北は満洲と[[アリューシャン列島]]の一部、西は中国内陸部や[[ビルマ]]、南は[[ニューギニア]]の一部や[[ソロモン諸島]]、東は[[ギルバート諸島]]まで広がる地域まで進出・占領したものの、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]との圧倒的戦力差という状況を顧みず[[根性論|精神論]]で突き進んだため、1942年半ば以後は敗走を重ねた。形勢逆転のために[[召集令状]]の乱発で[[国民]]を次々に戦地に投入したが、それでも戦力は不足した。戦争の激化を受けて、[[大政翼賛会]]と複数の新聞社が国民決意の標語を募集し、「欲しがりません勝つまでは」という戦時標語が作られた。最終的に政府・軍部はアメリカに勝つためには手段を選ばなくなり、[[大本営発表]]で虚偽の発表を行って国民の士気の低下を防いだり、[[特別攻撃隊]]を結成して兵士に自爆攻撃を行わせるまでに至った。また、追い詰められた日本兵による[[バンザイ突撃]]も各地で行われた。その後、[[1945年]]に[[沖縄戦]]による沖縄本島の喪失、[[東京大空襲]]をはじめとした全国各地への空襲に続いて、8月には[[広島市への原子爆弾投下|広島]]・[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]に[[原子力爆弾]]による攻撃、さらには[[日ソ中立条約]]の残存期間中に対日戦を開始したソビエト連邦による[[ソ連対日宣戦布告|対日宣戦布告]]を受けて帝国政府は戦争継続を断念し、[[ポツダム宣言]]を受諾して連合国に降伏した。一連の戦争で日本国民は天皇の名の下に戦争の駒として徹底的に酷使され、約300万人の日本人が命を落とし、日本経済の破綻と社会の混乱はその後にも深刻な影響を与えた。対外的にもアジア諸国との信頼関係回復や戦時賠償問題が戦後の深刻な問題として残された。
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− | ===現代===
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− | アメリカ・イギリスなどの[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]により、日本は史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領土・権益の全てを失った。日本の占領統治は、日本政府に対して[[連合国総司令部]](GHQ)が指令を出し、日本政府がその指令に沿って統治するという間接統治によって行われ、中央政府が有効に存続したため、中央政府不在を宣言され国家の消滅が確認された[[ドイツ国]]とは異なり、戦前と戦後とで同一の国家としての継続性が認められており、帝国憲法下で制定された一部の法令は戦後においても有効とされる。GHQの指令のもと、国制の改革が進められ、[[憲法改正|大日本帝国憲法の改正手続き]]によって日本国憲法を制定し、1947年施行の同憲法によって「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の三大原則を確立した<ref group="注">この手続きについては異論もある。[[憲法無効論]]を参照。</ref>。これによって主権は天皇から国民に移行し、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」と規定された一方、国会は「国権の最高機関」とされた。[[昭和天皇の戦争責任論]]は棚上げされ、退位論もあったものの、結果的にその地位に留まった。
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− | [[国共内戦]]における[[中国共産党]]の優勢が明らかになると、アメリカは対日政策を転換させ、東アジアにおける友好国とする政策を採るようになった。一方で、急激なインフレを抑制するべく実施された超均衡財政政策である[[ドッジ・ライン]]の強行により、[[中小企業]]の倒産が増大するなど深刻な不況に陥ったが、1950年に勃発した[[朝鮮戦争]]は戦場の後背地である日本で[[朝鮮特需]]を生み、経済復興への足がかりとなった。同時に[[レッドパージ]]が実施されて共産党が衰退し、[[親米]]・[[反共主義]]を掲げる[[吉田茂]]首相を中心とした保守勢力が政権を独占し、戦前の政治・経済指導者も次々と[[公職追放]]から復帰した。1952年、[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]発効によって日本は全権を回復し、資本主義陣営([[西側諸国]])の一角として国際社会に復帰したが、同時に成立した[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約]]によって日本への[[在日米軍]]駐留は継続された。[[1955年]]に講和条約への対応を巡り分裂していた[[社会党再統一|社会党の再統一]]が実現すると、財界の強い要望を背景として、保守合同により、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が成立した。これにより形式的に[[二大政党制]]が実現したが、その後の[[日本社会党]]の弱体化や多党化にも助けられた自由民主党優位の政治体制はその後も続いた(この体制を[[55年体制]]という)。1956年、[[日ソ共同宣言]]により[[ソビエト連邦]]との国交を回復し、同年[[国際連合]]に加盟した。対ソ国交回復では1945年にソ連が占領した地域の一部返還を求めた日本側の要求が実現せず、その後も[[北方領土問題]]として両国関係の改善を阻害した。一方、[[1960年]]に[[岸信介]]首相は日米安全保障条約の改定を実現させたが、目標としていた日本国憲法の改定は果たせずに退任し、その後の自民党政権は[[池田勇人]]による[[所得倍増計画]]に象徴される「経済中心路線」を採った。一方、東京通信工業(現在の[[ソニー]])による[[トランジスタラジオ]]対米輸出の大成功などは「安くて粗悪」というかつての日本製品の海外イメージを払拭し、外需拡大は経済成長をさらに加速させた。
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− | [[ファイル:Tokyo Montage 2015.jpg|thumb|right|[[東京都]]]]
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− | [[ファイル:Kyoto montage.jpg|thumb|right|[[京都市]]]]
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− | 戦後、復興と共に1970年代半ばまでに目覚しい[[高度経済成長#日本の高度経済成長|経済発展]]を遂げ、日本は世界有数の[[経済大国]]となった。[[1964年]]には[[経済協力開発機構]](OECD)に加盟すると[[1968年]]には[[西ドイツ]]を抜いて世界第2位の[[国民総生産]](GNP)を計上し、アジアでは唯一の先進国として特に経済面で大きな影響を世界に与え、多くの[[開発途上国]](発展途上国)から経済建設の先行モデルとされるようになった。1964年には[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]が開催され、[[1970年]]には[[日本万国博覧会]]が[[大阪府]]で催された。交通網の整備も急速に進み、1964年には[[東海道新幹線]]が開通、[[1965年]]に[[名神高速道路]]、[[1969年]]には[[東名高速道路]]が完成した。マイカーブームの到来により、[[モータリーゼーション]]を迎えるとともに、[[トヨタ自動車]]や[[日産自動車]]など国産自動車メーカーの品質が向上し、[[先進国]]への輸出もなされるようになったが、大幅な貿易黒字を背景としてアメリカなどとの間で[[貿易摩擦]]も生じた。[[第一次産業]]の比率が下がり[[第二次産業]]や[[第三次産業]]の比率が拡大する[[産業構造]]の高度化が見られ、国際競争力を持てない農山漁村地域や[[エネルギー革命]]に直撃された産炭地域での急速な過疎化と、大規模製造業の存在と都市化による商業活動の急拡大が連動した三大都市圏での過密化も進行した。自民党政権は[[全国総合開発計画]]や[[新産業都市]]政策で重工業拠点の全国展開を進め、経済格差の是正をめざした。農村部でも多くの工場が建設され、一方で[[公害]]問題の拡大が深刻となり、[[住民運動]]の高まりも見られた。一連の高度成長は[[1973年]]の[[オイルショック]]で終止符が打たれ、日本経済は低成長時代へと移行した。
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− | 1952年から1953年にかけて[[トカラ列島]]や奄美群島、1968年に小笠原諸島、1972年に[[沖縄県]]の施政権がそれぞれアメリカから返還された([[本土復帰]]、[[沖縄返還]])。アメリカ施政下の日本領土は解消されたが、ソビエト連邦との北方領土問題は解決の目処が立たず、[[冷戦]]を背景とした両国間の厳しい対立は続いた。朝鮮半島に対しては、1965年に南部の[[大韓民国]]との間に[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]が締結されて国交が回復したが、経済関係の強化とは裏腹に[[竹島 (島根県)|竹島]]問題は解消されなかった。また、北部の[[朝鮮民主主義人民共和国]]との間では国交回復交渉が難航し、[[在日韓国・朝鮮人]]の地位や権利の確認、さらには後に発覚した[[北朝鮮による日本人拉致問題]]などもあり、両国関係は改善しなかった。1972年の[[日中国交正常化]]で国家承認をした[[中華人民共和国]]とは1978年に[[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中平和友好条約]]を締結し、緊密な外交・経済協力関係を結んだが、[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]を終了した後も実務関係を維持した中華民国([[台湾]])との関係や、1970年代から中国側が領土主張を始めた[[尖閣諸島問題]]は、戦争についての歴史認識問題などと合わせて日中間の懸案として残った。
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− | [[21世紀]]に至り、[[少子化|少子]][[高齢化社会]]に伴う人口減少、国内産業の[[空洞化]]など先進国特有の問題が生じている。1979年以降の[[改革開放]]路線を皮切りに中国経済は急成長を続け、[[2010年]]に日本は中国に抜かれてGNPでソビエト連邦時代以来となる世界3位に後退した。経済力を背景にした中国の対外進出は尖閣諸島問題の激化を招き、日中関係はかつての「蜜月」から大きく様変わりした。さらには[[情報工学]](IT)分野におけるアメリカ産業の復活や韓国・台湾企業のシェア拡大、[[インド]]・[[ブラジル]]をはじめとする[[新興国|新興大国]]の政治的・経済的台頭のなか、日本は相対的に不利な立場に立たされている。1995年の[[阪神淡路大震災]]や[[2011年]]の[[東日本大震災]]などの[[巨大地震]]の発生は[[福島第一原子力発電所事故]]を含む甚大な被害をもたらしており、[[防災]]・[[減災]]行政の整備は目下緊急の課題となっている。情報通信技術の急速な発展による[[インターネット]]や[[携帯電話]]の普及に伴う[[ユビキタス社会]]の到来や[[グローバル化]]の進展は、新たな需要を創出するとともに、人々の生活に大きな変化を生じさせつつある。
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− | 1993年から1994年にかけて史上初の下野を経験した後に与党へ返り咲き、2001年に首相となった[[小泉純一郎]]が進めた[[新自由主義]]政策によりその経済政策を大きく変えた自民党は、2009年に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に政権を奪われたが、2012年に[[安倍晋三]]によって[[公明党]]との連立政権を復活させた。安倍は自らの名を冠した[[アベノミクス]]による経済再生を掲げ、憲法改正の意欲も強く示しているが、経済格差の拡大を指摘し、[[日本の集団的自衛権|集団的自衛権]]の容認などにも反対する国民も多く、政権の是非を巡る議論や対立が続いている。そんな中、2020年に行われる[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]を目標とした新たな技術やサービスの開発も各分野で進められていたが、[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルスのパンデミック発生]]により[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]は1年延期を余儀無くされた。それ以後、世界的に[[パンデミック]]収束の見通しが立っていないため、先行き不透明な状況となっている。世界的な災禍の煽りを受けて日本経済も大きく混乱し、資金繰りの悪化から日本企業の連鎖倒産の危険性が大きく高まるなど、コロナ禍後のV字回復が難しくなる局面に至っている。
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− | ===建国をめぐる議論===
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− | [[ファイル:Emperor Jimmu.jpg|thumb|left|180px|日本の初代天皇とされる[[神武天皇]]]]
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− | [[ファイル:Takachiho-gawara Kirishima City Kagoshima Pref02n4050.jpg|thumb|right|180px|[[天孫降臨]]の舞台・[[高千穂河原]]]]
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− | {{see also|神国|皇国史観}}
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− | 国家としての日本、日本の民族・文化は、有史以前からの長い年月を経て段階的に形成されて来ていて、明確な建国の時期を示す記録は存在しない。[[建国記念の日]](旧[[紀元節]])は、[[記紀]]で[[神武天皇]]が即位したとされる日(紀元前660年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)となっている。
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− | 『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が[[辛酉]]年春[[1月 (旧暦)|正月]][[庚辰]][[朔]](1月1日)に即位したとの記述があり、古代以来、これが日本建国の画期と広く考えられていた。明治5年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1872年12月15日)には、[[神武天皇即位紀元]]が[[西暦]]紀元前660年に始まると定められ、これを元年とする[[紀年法]]・「[[皇紀]]」が明治6年1月1日(1873年1月1日)から使用された<ref>[[那珂通世]]は、『[[緯書]]』の[[鄭玄]]注に、1260年に一度([[干支]]一運の60年(「1元」)×21元=「1蔀」)の辛酉年には大[[革命]]が起こるとあり、これをもって[[推古天皇]]9年(601年)の辛酉年から1260年前で当たる紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を唱えた。なお、神武天皇に殺された[[長髄彦]]の兄[[安日彦]]が津軽に亡命したことをもって日本の建国とする古文書・古文献(『中尊寺文書』、『平泉雑記』など)が東北地方に伝わる。</ref>。
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− | 公的には、この神武天皇即位紀元をもとに1957年頃から「建国記念日」制定に関する法案が9度に渡り提出されてきたが、歴史学の立場から見る神武天皇の即位は、当の記紀に何人もの人が100歳以上生きていたなどの記述もあることから神話と見られ事実でないとするのが戦後の大勢であったため、いずれも成立には至らなかった。しかし1966年[[s:建国記念の日となる日を定める政令|建国記念の日となる日を定める政令]](昭和41年政令第376号)により、2月11日が「建国されたという事象そのものを記念する日」として「建国記念の日」が定められた。神武天皇の存在については実在論もあり、議論は続いている。戦後、皇紀の使用は、一部を除きほとんど見られなくなった<ref>一部の現行法では有効。「[[閏年]]ニ関スル件」(明治31年勅令第90号)などの法律文書に記載されている</ref>。
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− | 建国の時期として、この他に「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や大政奉還がなされて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。しかし、国家としての日本は、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。
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− | == 地理 ==
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− | {{Main|日本の地理|日本の山一覧|日本の島の一覧|都道府県の面積一覧}}
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− | [[ファイル:Satellite View of Japan 1999.jpg|thumb|250px|日本の衛星写真]]
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− | [[ファイル:Japan topo en.jpg|thumb|250px|日本列島の地形図。国土は6,852の島から構成され、約70%が山岳地帯である。]]
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− | 日本は明治以来、憲法における領土規定がなく、これは比較法学の観点では特殊なものであった{{refnest|日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。[[明治憲法]]には領土規定がなく、[[ヘルマン・ロエスレル|ロエスレル]]案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」([[上杉慎吉]]「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた<ref>{{cite journal|和書|author=石村修|http://hdl.handle.net/10191/6089|journa =法政理論|publisher=新潟大学法学会|date=2007|volume=39|issue=4}}</ref><ref>「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム){{cite web|url=http://www.law.ntu.edu.tw/east-asia2006/EA-Home/PD/%E6%97%A5%E6%9C%AC/2006032608.pdf|title=アーカイブされたコピー|accessdate=2010年5月17日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110829092621/http://www.law.ntu.edu.tw/east-asia2006/EA-Home/PD/%E6%97%A5%E6%9C%AC/2006032608.pdf|archivedate=2011年8月29日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>}}。島嶼部についての領有宣言、あるいは周辺諸国との条約がおもに領土領陸の法規範であり、第二次大戦後は日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が主要な[[法 (法学)|法規範]]を形成している。
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− | ===地勢===
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− | [[ファイル:Mt Fuji from Mt Ninoto 02-edit1.jpg|thumb|250px|right|日本最高峰「[[富士山]]」(標高3,776m)]]
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− | 日本の領土は、6,852の[[島]]([[本土]]5島+[[離島]]6,847島)からなる<ref>国土交通省サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識){{cite web |url=http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2015年8月22日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071113053915/http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html |archivedate=2007年11月13日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。
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− | [[アジア]]・東アジアの中でも東方にあり、[[ユーラシア]]の東端近くにあたるため、[[東洋]]や[[極東]]などと呼ばれる地域に含まれる。領土の大部分が、[[島弧]]をなす日本列島である。これは本州・[[北海道 (島)|北海道]]・九州・四国などからなる。このほか、南に延びる伊豆・小笠原諸島、南西に延びる南西諸島([[沖縄本島]]など)、および北東に位置する[[北方四島]](北方領土)なども有する。
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− | 領土[[面積]]は約37.8万[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]](日本政府が領有権を主張する領域)で世界第60位である。国土の約70%が山岳地域であり、森林率は約67%である。
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− | [[埋立地]]は古くから造成されてきたが、その多くは[[港湾]]を形成・整備することが目的であった。これによる[[埋立地]]が[[ポートアイランド]]、[[六甲アイランド]]、[[神戸空港]]などである。最近では[[関西国際空港]]、[[横浜市|横浜]][[八景島]]や[[和歌山マリーナシティ]]などがあり、総[[面積]]は国土の約0.5%に相当する。また、[[諫早湾干拓事業]]と[[八郎潟]]のような大規模事業のような例もある。
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− | 離島が多数存在し、その中には様々な理由で(多くは重要な施設があるため)立入禁止の島もある。[[琉球諸島]]や[[伊豆諸島]]は離島の内でも交通の便が良く、南方の島々は「日本のハワイ」等と称され、日帰りもできることから観光客に人気である。
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− | ;最東端
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− | :東京都[[小笠原村]] [[南鳥島]] (北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒)
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− | ;最西端
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− | :沖縄県[[八重山郡]][[与那国町]] [[トゥイシ]]<ref name="kyodo" /><ref name="yaeyama">[https://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/7447 日本最西端、260メートル先へ 与那国島の岩を地形図に] 八重山日報、2019年6月11日閲覧。</ref> (北緯24度27分05秒・東経122度55分57秒<ref name="yaeyama" />)
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− | :日本最西端は長らく[[与那国島]]の[[西崎]](いりざき)とされてきたが、2019年に基本図とされる国土地理院の2万5千分の1地形図が改訂され、与那国島北北西260mに位置するトゥイシが日本最西端の地点となった<ref name="yaeyama" /><ref name="kyodo">[https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-933982.html 日本最西端、北北西へ 沖縄県・与那国島の岩を地形図に] 琉球新報、2019年6月11日閲覧。</ref>。
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− | ;最南端
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− | :東京都小笠原村 [[沖ノ鳥島]] (北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒)
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− | ;最北端
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− | :北海道[[稚内市]] [[弁天島 (稚内市)|弁天島]] (北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)(日本政府の[[実効支配]]下にある領域の最北端)
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− | :北海道[[蘂取郡]][[蘂取村]] [[択捉島]][[カモイワッカ岬]] (北緯45度33分28秒・東経148度45分14秒)(日本政府が領有権を主張する領域の最北端)
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− | 周囲を[[太平洋]]、[[日本海]]、[[東シナ海]]、[[フィリピン海]]、[[オホーツク海]]などの海洋に囲まれる。本州と四国との間の海は[[瀬戸内海]]と呼ばれる。陸上の[[国境]]線が無く、[[ロシア]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、台湾、[[大韓民国|韓国]]、中国、[[フィリピン]]、アメリカと[[排他的経済水域]]が接している。また、南方に[[パラオ]]共和国、小笠原諸島の延長線上に[[ミクロネシア連邦]]があり、太平洋を挟んで[[アメリカ大陸]]がある。沖合を[[暖流]]の[[日本海流]](黒潮)、[[対馬海流]]、[[寒流]]の[[千島海流]](親潮)、[[リマン海流]]が流れる。
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− | {{枠の始まり|青}}{{seealso|#領土問題等}}[[領土問題]]のある地域が数箇所存在する。
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− | * [[北方地域|北方領土]]
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− | * [[竹島 (島根県)|竹島]]
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− | * 尖閣諸島{{枠の終わり|青}}
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− | 自然地理的区分は、地質構造を基準に、本州中部を南北に縦断する[[糸魚川静岡構造線]]を境に、南西日本と東北日本とに大別される。付近では、[[ユーラシアプレート]]、[[フィリピン海プレート]]、[[太平洋プレート]]、[[北アメリカプレート]]がせめぎ合い、[[環太平洋造山帯]]・[[環太平洋火山帯]]・[[環太平洋地震帯]]と呼ばれる帯の一環をなしている。そのため、世界全体で放出される[[地震]]エネルギーのうち1割から2割が日本の周辺に集中すると言われているほど地震が頻発し、震度1や2クラス程度の地震なら、どこかで毎日のように起きている。また、[[火山活動]]が活発なことから火山性土壌が多く、これが日本列島の自然を豊かにした面もある。[[温泉]]が多いことも[[火山]]の恵みと言える。一方で日本史では大きな噴火活動が何度も記録され、さらに近年の地質学研究によって先史時代に何度かの[[破局噴火]]が起きていたことが分かっている。
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− | {{Double image stack|right|Hotaka Mountains.JPG|Mt.Kitahotakadake 01.jpg|250|[[穂高岳|穂高連峰]](上)と[[北穂高岳]]の尾根(下)}}
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− | [[ファイル:Tsubakurodake and Enzanso 1996-10-6.jpg|thumb|250px|[[燕岳]]の尾根]]
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− | 山岳は、最高峰は[[富士山]](標高3,776m)の他、[[南アルプス]]、[[北アルプス]]など、2500m超えの山が本州中央に集中している。他、[[大雪山]]、[[磐梯山]]、[[阿蘇山]]などが有名である。富士山はその優美な風貌から数多くの芸術作品の題材とされることで芸術面でも大きな影響を与え、日本の象徴として広く世界に知られている。
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− | 河川は、[[利根川]]・[[最上川]]などが代表的であるが、大陸河川と違い、源流から河口までの距離が大変に短いこと、[[海抜]]高低差が急なこともあり、比較的流れが速い。[[集中豪雨]]が発生すると堤防が決壊し、人家・田畑に甚大な被害を及ぼすという短所もあるが、比較的新鮮な水が取水しやすいのも特色である。
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− | 周囲を海に囲まれた島国であることから、海上交易・[[漁業]]ともに盛んな[[海洋国家]]である。[[内海]]を含む[[領海]]を入れた領域の面積は約43万km<sup>2</sup>である<ref>{{Cite web|last=海上保安庁海洋情報部|title=日本の領海等概念図|url=https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html|accessdate=2007年9月13日 }}</ref>。
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− | 日本政府が主張する[[日本の排他的経済水域]] ([[EEZ]]) は領土面積の約12倍である約405万km<sup>2</sup>、領海とEEZを合計すると約447万km<sup>2</sup>であり世界では第6位となる<ref>{{Cite web|date=|url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/jpam.pdf|title=海上保安庁パンフレット|publisher=海上保安庁|accessdate=2012-04-28}}</ref>。ただし日本が領有権を主張しているが韓国に不法占拠されている竹島と日本が実効支配しているが近年になって中国が領有権を主張している尖閣諸島周辺海域についてはそれぞれの国家間で重要な外交問題となっている。また、九州西方と東シナ海の領域については中国と韓国が自国の領海から延伸する大陸棚に関して国際法を無視して権利を主張している。
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− | EEZとは別に[[国連海洋法条約]]において排他的な海底資源権益が与えられる法的な[[大陸棚]]については、2012年4月に国連[[大陸棚限界委員会]]が「四国海盆海域」、「小笠原海台海域」、「南硫黄島海域」、「沖大東海嶺南方海域」の4海域を日本の大陸棚と認定した<ref>{{cite news|title=日本の大陸棚拡張、国連が認定 沖ノ鳥島周辺など|author=|newspaper=日経新聞|date=2012/4/28|url=https://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE6E2EBE2E6E0E1E2E0EAE2E6E0E2E3E09C9CEAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000|accessdate=2012-04-28}}</ref>。
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− | === 国土の変遷 ===
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− | <!-- この記事はセンシティブな内容を含んでいます。記事の加筆・訂正には必ず出典を明記して下さい。-->
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− | '''古代'''
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− | [[ファイル:20090329阿武隈大堰.jpg|thumb|right|200px|古代日本国家の北限、阿武隈川]]
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− | [[弥生時代]]後期、西日本の各地に広域の地域勢力が勃興した<ref>岸本直文 「[http://doi.org/10.15024/00000274 倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス]」『国立歴史民俗博物館研究報告』185 国立歴史民俗博物館、2014年2月、376頁。</ref>。2世紀末には[[畿内]]を中心として、西日本広域を支配する[[邪馬台国]]連合が創設された。邪馬台国連合は3世紀には東海・北陸のほか東日本も支配下に置き倭国が成立した<ref>女鹿潤哉 「[http://hdl.handle.net/10129/3283 「えみし」社会の成立と倭国]」『弘前大学國史研究』113号 弘前大学國史研究会、2003年10月、7頁。</ref>。[[古墳時代]]前期前半には、現在の九州の[[宮崎県]]から[[東北]]の[[宮城県]]の範囲まで国土が拡大されたことが、古墳造営の消長から明らかになっている<ref>河野一隆 「[https://doi.org/10.14989/shirin_91_33 <論説>国家形成のモニュメントとしての古墳]」『史林』91巻1号 史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)、2008年1月、58-60頁。</ref><ref group="注">古代の境界については、「ツマ」の語源を通して古代の国家領域を探る研究も存在する。即ち古墳時代「ツマ」とは[[ひな|鄙]]の外側に存在する辺境を意味し、「[[薩摩国|サツマ]]」と「[[東 (曖昧さ回避)#あずま|アヅマ]]」が倭国にとっての辺境であったとするものである。(永田一 「[http://hdl.handle.net/10114/10889 古代の「アヅマ」と「エミシ」についての一試論]」『法政史学』71巻 法政大学史学会、2009年3月、17‐18、22頁)</ref>。ただし倭国は東北など各支配領域を確保・維持しようとする考えを持っておらず<ref>藤沢敦 「不安定な古墳の変遷」『倭国の形成と東北』 吉川弘文館、2015年10月、132頁。</ref>、6世紀には、経済基盤が脆弱な[[阿武隈川]]以北を倭国の支配地から切り離し<ref>八木光則 「古墳時代併行期の北日本」『倭国の形成と東北』 吉川弘文館、2015年10月、156頁。</ref>古墳時代後期には太平洋側では現在の宮城県南部、日本海側では現在の[[新潟県]]中部までが倭国の支配領域となった<ref>藤沢敦 「[http://doi.org/10.15024/00002078 古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけての東北地方日本海側の様相(第4部 異文化と境域)]」『国立歴史民俗博物館研究報告』179 国立歴史民俗博物館、2013年11月、381頁。</ref>。
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− | またこの間、400年(履中天皇元年)と404年(履中天皇5年)に倭は朝鮮半島で百済・加耶諸国と共に高句麗・百済連合軍と2度にわたって合戦を行っている<ref>熊谷公男 「[http://id.nii.ac.jp/1204/00000525/ 倭王武の上表文と五世紀の東アジア情勢]」『東北学院大学論集. 歴史と文化』53号 東北学院大学学術研究会、2015年3月、16頁。</ref>。
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− | [[奈良時代|奈良]]・[[平安時代]]の日本国は、北は[[津軽海峡]]まで、南は[[喜界島]]までを国土と認識していた<ref>山中章 「[http://doi.org/10.15024/00001709 光仁・桓武王権の国境政策に関する一考察(第1部 古代の権威と権力の研究)]」『国立歴史民俗博物館研究報告』152 国立歴史民俗博物館、2009年3月、165-166頁。</ref>。しかし東北地方に対しての関心の希薄さは変わることがなく、東北地方北部を完全な形で支配する必要性は感じていなかったため<ref>山中、2009年、152頁。</ref>、実際には[[大崎平野]]までが8世紀における日本国の北限であった<ref>藤沢敦 「[https://doi.org/10.14989/shirin_90_4 <論説>倭と蝦夷と律令国家 : 考古学的文化の変移と国家・民族の境界]」『史林』90巻1号 史学研究会 (京都大学文学部内)、2007年1月、22頁。</ref>。9世紀、陸奥・出羽からの徴税の京進が行われなくなると<ref>鈴木拓也 「[https://doi.org/10.24471/shigaku.105.6_492 陸奥・出羽の調庸と蝦夷の饗給]」『史学雑誌』105巻6号 史学会、1996年、67-68頁。</ref>関心は更に希薄になり、東北北部の経営は現地の官人任せになっていった<ref>鈴木、1996年、81頁。</ref>。また、[[南西諸島]]への関心も薄れていった<ref>大高広和 「[https://doi.org/10.24471/shigaku.122.12_1985 大宝律令の制定と「蕃」「夷」]」『史学雑誌』122巻12号 史学会、2003年、24頁。</ref>。
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− | 古代の日本では、[[畿内]]と言われる行政区が設けられていた。[[大化の改新]]によって設置された当時から機内は支配者にとっての特別な地域と認識されていたが<ref>西本昌弘 「[https://doi.org/10.24471/shigaku.93.1_37 畿内制の基礎的考察 : 日本における礼制の受容]」『史学雑誌』93巻1号 史学会、1984年、49頁。</ref>、律令制施行後は直轄地として国家を支える役割を担った<ref>吉川聡 「[http://hdl.handle.net/2433/239389 <論説>畿内と古代国家]」『史林』79巻5号 史学研究会 (京都大学文学部内)、1996年9月、696-697、703頁。</ref>。
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− | '''中世'''
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− | [[File:九州高速船から対馬 Tsushima Island from Kyushu Ferry - panoramio.jpg|thumb|right|200px|15世紀前半、帰属を巡って日本と朝鮮の間で揺れた対馬島]]
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− | 中世後期の日本は、室町将軍との間に<主-従の関係>を築くことが出来ているか、室町将軍を頂点とした階層的な秩序の内に居るか、あるいは外に居るかで境界が引かれていた<ref>黒嶋敏 「室町時代の境界意識」『歴史評論』767 校倉書房、2014年3月、48頁。</ref>。将軍に反逆し命令の届かない地域は支配権の外に置かれ、<主‐従の関係>の有無によって境界が明瞭化された<ref>黒嶋、2014年、50頁。</ref>。
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− | 歴史学において室町幕府3代将軍・足利義満は初の公武統一政権との評価を得ているが<ref>小川剛生 「[https://doi.org/10.24604/chusei.54_25 シンポジウム 画期における中世文学 足利義満の時代 ―政治と文化]」『中世文学』54 中世文学会、2009年、25頁。</ref>、室町幕府は地方への関心が殆ど無かったため<ref>小川、2009年、30頁。</ref>、九州の統治は[[九州探題]]に、[[東国]]は[[鎌倉府]]に統治を委託していた。
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− | 15世紀前半、[[永享の乱]]によって将軍と鎌倉公方との<主ー従の関係>が崩れると、
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− | 幕府は日本国の東側の境界は駿河国までであると規定するようになり、東国を日本国から切り離した<ref>黒嶋敏 「[https://doi.org/10.24471/shigaku.122.1_101_1 境界論と主従の関係(報告,シンポジウム「中世史学の未来像を求めて」,日本史部会,第一一〇回史学会大会報告)]」『史学雑誌』122巻1号 史学会、2013年、101頁。</ref><ref>黒嶋、2014年、54頁。</ref><ref>新田英治「[http://hdl.handle.net/10959/2493 中世後期の東国守護をめぐる二、三の問題]」『学習院大学文学部研究年報』40号、1994年、56頁。</ref>。一方で当時は独立国だった[[琉球国]]は室町将軍との間に<主‐従の関係>を結んでおり、将軍による<主‐従の関係>は国家間においても成立しうる概念でもあった<ref>黒嶋敏 「[https://doi.org/10.24471/shigaku.123.10_1846 村井章介著, 『日本中世境界史論』]」『史学雑誌』123巻10号 史学会、2014年、1851頁。</ref>。
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− | 1419年(応永26年)、[[李氏朝鮮]]は[[倭寇]]の拠点壊滅を目的に[[対馬]]を攻撃したが作戦は失敗に終わった([[応永の外寇]])。その後対馬を李氏朝鮮領とするため対馬-李氏朝鮮間で交渉が行われたが、交渉は不調に終わり対馬は引き続き日本国に所属することになった<ref>関周一 「[https://doi.org/10.20712/kotsushi.67.0_25 中世の日朝交流と境界意識]」『交通史研究』67巻 交通史学会、2008年、36-37頁。</ref>。
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− | [[文明 (日本)|文明]]年間、大和[[興福寺]]・別当の[[尋尊]]は「[[大乗院寺社雑事記]]」で、中世後期の日本国の範囲は現在の近畿・東海・北陸・中国・四国の各地域であるとしている<ref>有光友學編 『戦国の地域国家』 吉川弘文館〈日本の時代史12〉、2003年、16頁。</ref>。一方、戦国時代末期の天正9年(1581年)、[[織田信長]]は毛利氏との決戦の意思を明らかにした際、「今度、毛利家人数後巻として罷り出づるに付いては、信長公御出馬を出だされ、東国・西国の人数膚を合せ、御一戦を遂げられ、悉く討ち果たし、本朝滞りなく御心一つに任せらるべきの旨、上意にて、各其の覚悟仕り候」と語り、東国(織田領)と西国(毛利領)が合戦し西国を討ち果たせば本朝(日本国)は滞りない状態になるだろう、と日本国の範囲を規定している<ref>太田牛一 「八月朔日御馬揃への事」『信長公記』巻14。</ref>。
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− | '''近世'''
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− | [[File:Toyotomi hideyoshi.jpg|thumb|right|200px|豊臣秀吉の時代、日本国の支配は初めて本州の北端に到達した]]
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− | [[織田政権]]を継承した[[豊臣政権]]は、[[四国平定]]・[[九州平定]]を経て1588年(天正16年)日本国の統一を成し遂げた<ref>白峰旬 「[http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=gk01702 『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀頼・徳川家康・徳川秀忠に関するイエズス会宣教師の認識について]」『別府大学大学院紀要』 No.17 別府大学会、2015年3月、p.1-16(p.8), {{naid|120005618575}}。</ref>。豊臣政権はその後東日本にも支配を拡大し<ref>高橋富雄 「[http://hdl.handle.net/10129/2956 日本中央と日之本将軍]」『弘前大学國史研究』70号 弘前大学國史研究会、1980年4月、27頁。</ref>、1590年(天正18年)の[[奥羽仕置]]により初めて本州北端までを日本の国土に組み込んだ<ref>長谷川成一 「[https://hdl.handle.net/10129/2731 前近代古地図にみる津軽の位置とその特質]」『北奥文化』5号 北奥文化研究会、1984年3月、23-24頁。</ref>。更に秀吉は「唐入り」と称して朝鮮半島に2度に亘って攻め込むが、中国大陸・朝鮮半島へ支配を拡げるには至らなかった([[文禄・慶長の役]])。
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− | 豊臣政権を継承した[[徳川幕府]]は、豊臣政権とは一転して国際的孤立主義の道を選び<ref>兼光秀郎 「[https://doi.org/10.5995/jis.2006.1 徳川幕府の対外政策 (鎖国) と現代の国境問題に占める意義]」『島嶼研究』2006巻6号 日本島嶼学会、2006年、2頁。</ref>、長崎・対馬・琉球(薩摩)・松前の4地域を窓口として対外交渉を行った<ref>兼光秀郎、2006年、3頁。</ref>。
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− | 1609年(慶長14年)、[[薩摩藩]]が琉球に侵攻し冊封関係を築き支配下に置いたが、琉球は中国とも朝貢関係を持ち続け、日本国と中国([[明]]・[[清]])との間で両属的な関係を維持した<ref>岡本弘道 「[https://hdl.handle.net/10112/6271 近世琉球の国際的位置と対日・対清外交]」『周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』 』 2012年3月、関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)、97頁。</ref>。また、徳川政権期、蝦夷地(北海道)は松前藩が支配する渡島半島の南部の「和人地」以外は日本国の外と認識していた<ref>エドワード・キーラン・ボイル 「[https://hdl.handle.net/2115/49790 徳川幕府による蝦夷地の創造 : 国家、領域及び地図]」『北大法学論集』63巻2号 北海道大学大学院法学研究科、2012年7月、175頁。</ref>。
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− | '''近代以降'''
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− | {{Main|大日本帝国#領土}}
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− | 辺境地域の領土確定を課題としていた明治新政府は1870年(明治3年)、北海道を日本国に組み込み、1879年(明治12年)には[[清]]との帰属交渉が未決のまま、琉球を[[沖縄県]]として公式に日本国に編入した<ref>山城智史 「[http://id.nii.ac.jp/1188/00003098/ 1870年代における日清間の外交案件としての琉球帰属問題]」『研究年報社会科学研究』第35号 山梨学院大学大学院社会科学研究科、2015年2月、95頁。</ref>。
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− | 19世紀末以降、日本国は対外戦争により国土を拡げていき、20世紀前半には日本史史上最大規模に拡大した。1895年(明治28年)に[[日清戦争]]の結果、清から台湾を獲得([[下関条約]])し<ref>*林春吟 「[https://doi.org/10.11518/hgeog.2006.0.2.0 台湾における国境の形成 -「中国」や日本の地図作成を手がかりとして-]」『人文地理学会大会 研究発表要旨 2006(0)』 人文地理学会、2006年、33頁。</ref>、1905年(明治38年)には、[[日露戦争]]後の交渉で、ロシアより南樺太の割譲を受けた<ref>内山正熊 「[http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-19791215-0033 ポーツマス条約成立秘史]」『法學研究 : 法律・政治・社会』52(12) 慶應義塾大学法学研究会、1979年、p.33-57(p.39}, {{naid|120006028022}} 。</ref> ([[ポーツマス条約]])。更に1910年(明治43年)にはそれ以前より日本国の保護下にあった朝鮮を併合した<ref>糟谷憲一 「[http://hdl.handle.net/10086/26045 「韓国併合」一〇〇年と朝鮮近代史]」『朝鮮学報』219号 朝鮮学会、2011年4月、2頁。</ref>。その後、1922年(大正11年)には[[南洋諸島]]の委任統治も開始し<ref>千住一 「[http://id.nii.ac.jp/1447/00001037/ 委任統治期南洋諸島における内地観光団(1925-1927年)]」『奈良県立大学研究季報』23(1) 奈良県立大学、57頁。</ref>、太平洋側へも支配地域を拡大させた。
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− | 1932年(昭和7年)には[[満州国]]を建国し<ref>兼橋正人、安冨あゆみ 「[http://hdl.handle.net/2344/00007063 1940年国勢調査にみる「満州国」の実相]」『アジア経済』52巻2号 日本貿易振興機構アジア経済研究所、2011年2月、5頁。</ref>。1937年(昭和12年)、[[盧溝橋事件]]をきっかけに開戦した[[日中戦争]]により中国大陸に占領地を拡大。1940年(昭和15年)9月、フランス領インドシナ北部へ進駐を開始し([[仏印進駐]])<ref name="tachikawa21">立川京一 「[http://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000020940 南部仏印進駐とフランス]」『国際学論集』41巻、上智大学国際関係研究所、1998年1月、21頁, {{naid|120005882896}}。</ref>、翌年7月には南部仏印進駐、翌年7月には南部にも進駐を開始した<ref name="tachikawa21"/>。
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− | 1939年(昭和14年)2月、[[台湾総督府]]は海軍と共に[[海南島]]を占領した<ref>河原林直人 『1939年・「帝国」の辺境から』「日本史研究」600 日本史研究会、2012年8月、184、188頁。</ref>。台湾総督府は台湾の重工業化を企図し、「台湾の植民地」として海南島を支配下に置くことを目論んだものだった<ref>河原林、2012年、186頁。</ref>。だが占領後の海南島支配は海軍が主導することになり、台湾総督府は海軍に協力することでしか関与できなかった<ref>河原林、2012年、189頁。</ref>。
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− | 1941年(昭和16年)12月、日本は太平洋戦争の開戦と共に[[南方作戦]]を発動し、翌年5月には東南アジア一帯を国土に組み込んだ<ref>中里成章 「[https://doi.org/10.15083/00026966 日本軍の南方作戦とインド : ベンガルにおける拒絶作戦(1942‒43年)を中心に]」『東洋文化研究所紀要』151号 東京大学東洋文化研究所、2007年3月、154頁。</ref>。しかし太平洋戦争に敗れると、日本はそれ以前からの各植民地を失い満州国も消滅。1951年(昭和26年)に締結された[[サンフランシスコ条約]]により南樺太、千島列島の領有権も放棄することになった<ref>トカチェンコ B. I.、バールィシェフ エドワルド 「[http://id.nii.ac.jp/1377/00001228/ 南クリル諸島に対する日本の領土的要求について : ロシアからの視点]」『北東アジア研究』23巻 2012年3月、6頁。</ref>。
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− | 1972年(昭和47年)には、太平洋戦争末期からアメリカの占領状態にあった沖縄が日本に返還され<ref>小林武、「[http://id.nii.ac.jp/1082/00007345/ 沖縄施政権返還と日本国憲法]」『愛知大学法学部法経論集』208号 愛知大学法学会、2016年9月、112頁。</ref>現在に至っている([[沖縄返還]])。
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− | ===気候・動植物===
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− | [[ファイル:Japan climate classification 1.png|thumb|250px|日本の[[気候区分]]]]
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− | ;[[気候]]
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− | {{main|日本の気候}}
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− | :[[ケッペンの気候区分]]によると、本州以南沖縄諸島大東諸島以北の大半が[[温暖湿潤気候|温帯多雨夏高温気候]] (Cfa)、宮古諸島・八重山列島([[石垣島]]・[[西表島]]・与那国島・[[波照間島]])・[[沖大東島]]などでは[[熱帯雨林気候]] (Af))に属する一方、北海道などが[[亜寒帯湿潤気候|亜寒帯湿潤夏冷涼気候]] (Dfb) を示す<ref>帝国書院編集部『新編標準高等地図 最新版』([[帝国書院]]、2003年9月発行)の「気候(二)」の「(2) 日本におけるケッペンの気候区」(102ページ右上)による。</ref>。[[モンスーン]]の影響を受け四季の変化がはっきりしているものの、全般的には[[海洋性気候]]のため大陸と比較して冬の寒さはそれほど厳しくなく温和な気候である。[[飛び地]]や[[海外領土]]などを別にすれば、一国の領土内に[[熱帯]]から[[亜寒帯]]までを含む国家は珍しい。[[北半球]]では他にアメリカ合衆国と中華人民共和国ぐらいである。(標高の高さによる寒冷地域は除く)
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− | :冬季は、[[シベリア高気圧]]が優勢となり北西の季節風が吹くが、その通り道である日本海で暖流の対馬海流から大量の水蒸気が蒸発するため、大量の雪を降らせる。そのため、日本海側を中心に国土の約52%が世界でも有数の豪雪地帯となる。太平洋側では、空気が乾燥した晴天の日が多い。
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− | :夏季は、[[太平洋高気圧]]の影響が強く、高温多湿の日が続く。台風も多い。但し、北部を中心に[[オホーツク海高気圧]]の影響が強くなると低温となり、しばしば農業に影響を与える。
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− | :比較的、降水量の多い地域である。主な要因は、日本海側での冬季の降雪、6・7月(沖縄・[[奄美地方]]は5・6月)に[[梅雨前線|前線]]が停滞して起こる[[梅雨]]、夏季から秋季にかけて南方海上から接近・上陸する[[台風]]など。年間降水量は、約1,700mmで地域差が大きい。南鳥島を除く日本全域がモンスーン地域で、山がちな日本列島の西岸および南岸の周りを暖流が流れている為に雲が発達しやすく、日照時間は約1800時間程度と世界の他の温帯地域と比べても少なめである。
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− | ;[[生態系]]
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− | :南北に長く、また、[[森林限界]]を越える[[高山帯]]や広い海洋、四季の変化により、面積の広さに比べ、生息する[[動物]]や[[植物]]の種類が豊富である。[[津軽海峡]]以北の北海道の生態系は[[沿海州]]の生態系に似ており、[[ブラキストン線]]という境界が提唱されている。[[屋久島]]と南西諸島の間には、温帯と亜熱帯の生態系の[[分布境界線]]である渡瀬線が提唱されている。このほか海峡を主に複数の分布境界線が提唱されている。
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− | :四方が海で囲まれているため、外部から新しい生物が侵入してくる可能性が低かった。それに加え、多くの離島があるため、その島独自の生態系が維持されてきた土地が多数ある。特に小笠原諸島や南西諸島は、古くから本土と比べて孤立した生態系を築いてきたため、その島に固有の動植物が多く生息している。小笠原諸島は、「東洋の[[ガラパゴス諸島|ガラパゴス]]」と呼ばれるほど特殊な生態系を持つ。南西諸島でも、西表島の[[イリオモテヤマネコ]]、[[奄美大島]]・[[徳之島]]の[[アマミノクロウサギ]]をはじめ、固有生物が島ごとに生息している例がある。だが、近年の開発や人間が持ち込んだ[[外来種|外来生物]]により、生態系は激変し、固有の動植物の生息が脅かされている場所が多い。
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− | ;植物・[[森林]]
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− | :熱帯のものから亜寒帯のもの、さらには高山[[ツンドラ]]に生育する[[高山植物]]に至るまで植物の種類が豊富で多様性に富む。降水に恵まれ、高湿度に適した植物が多く分布している。[[コケ植物]]や[[シダ植物]]などが特に豊富。大陸から離れた地形から、[[スギ]]などの日本固有種が広く分布する。慣習的に[[サクラ|桜]]と[[キク|菊]]が[[国花]]と同等の扱いを受ける。この他、各[[自治体]]でも独自の木や花を制定している。
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− | :陸地の約3分の2が森林([[森林率]]66%<ref group="注">1970年代以降、横ばい状況にある。ブラジル57%、[[カナダ]]51%など、減少傾向にある世界各国の森林率に比べると突出した数値である。</ref>・森林面積:2,512万[[ヘクタール|ha]]・2009年現在)である。[[亜熱帯]]から亜寒帯に渡る、どの地域でも年間の雨量が十分で、森林の成立が可能である。平地の[[植生]]は、南の約3分の2が[[常緑広葉樹林]]、いわゆる[[照葉樹林]]という型であり、北の約3分の1が[[落葉広葉樹林]]、[[ブナ林]]を代表とする森林である。標高の高い地域では、更に[[常緑針葉樹林]]、一部に[[落葉針葉樹林]]がある。南西諸島の一部は熱帯に属し、沿海の干潟には[[マングローブ]]が発達する。
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− | :この森林面積の内訳は、[[天然林]]が53%(1,335万ha)、[[人工林]]が41%(1,036万ha)、その他([[標高]]などの条件で未生育の森林など)が6%、となっている。内、人工林は、第二次世界大戦後の[[拡大造林]]の影響を受けたことから、スギ林が多数(452万ha)を占める。これは、高度経済成長期に木材需要の逼迫から大量の天然林が伐採され、木材の生産効率のみを考えたスギ・[[ヒノキ]]林に更新されたためである。その後海外からの輸入量が急増し、一転して木材の価格が暴落した結果、採算の取れない人工林の多くが取り残される結果となった。放棄されたスギ林では、下層植生が発達せず貧弱な生態系となり、防災や水源涵養の面でも問題が多い。また、スギやヒノキの大量植樹は時に「国民病」とも呼ばれる[[花粉症]]の蔓延を招いている。
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− | <div style="text-align:center"><gallery>
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− | ファイル:Miharu Miharu-Takizakura Front 1.jpg|春の[[桜]]([[福島県]][[三春町]] [[三春滝桜]])
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− | ファイル:Yonahamaehama Miyakojima Okinawa Japan02bs3s4592.jpg|[[与那覇前浜]](沖縄県[[宮古島市]])
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− | ファイル:Hogon-in.jpg|秋の紅葉([[京都府]][[京都市]] [[嵐山]]・[[宝厳院]])
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− | ファイル:Yamagata-zao ski 1 (200712).jpg|冬の樹氷(山形県[[山形市]])
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− | </gallery></div>
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− | ;動物
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− | [[ファイル:Jigokudani hotspring in Nagano Japan 001.jpg|thumb|right|雪の中温泉につかる[[ニホンザル]]([[長野県]][[地獄谷野猿公苑]])。]]
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− | :;[[哺乳類]]
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− | ::{{Main|日本の哺乳類一覧}}
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− | ::100種強が生息し、その内、[[固有種]]が3割を超え、7属が固有属である。日本の哺乳類相は、北海道と本州との間にあるブラキストン線、また、南西諸島のうち、トカラ列島と奄美群島との間にある[[渡瀬線]]で区切られ、これらを境に異なる動物群が生息している。
| |
− | ::大型哺乳類では、北海道の[[ヒグマ]]、[[エゾシカ]]、本州の[[ツキノワグマ]]、[[シカ|ニホンジカ]]、[[ニホンカモシカ]]などがいる。
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− | ::固有種である[[ニホンザル]]のうち、[[下北半島]]に住む[[個体群]]は、世界で最も北方に棲息する[[サル]]である。[[ニホンオオカミ]]、[[エゾオオカミ]]、[[ニホンアシカ]]、日本の[[ラッコ]]個体群、および、[[ニホンカワウソ]]は絶滅。
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− | :;[[鳥類]]
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− | ::{{Main|日本の野鳥一覧}}
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− | [[ファイル:Phasianus versicolor in Japan.JPG|thumb|right|日本の国鳥の[[キジ]]]]
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− | ::500種を越える鳥類が観察される。四方の海に加え、水源が豊富な日本では、河川や池、湖が多く、それに棲む[[水鳥]]の種類が豊富である。日本列島はシベリアで繁殖する鳥の越冬地であり、[[東南アジア]]など南方で越冬した鳥が繁殖する地であり、さらに北方から南方に渡る[[渡り鳥]]が通過する中継地としても重要で、季節によって多彩な渡り鳥を観察することができる。近年、乱開発による[[干潟]]の減少や、東南アジアの森林の破壊が、日本で見られる鳥類の存続の脅威となっている。水鳥の生息地として国際的に重要な[[ラムサール条約#日本の登録湿地|37の湿地]]が、[[ラムサール条約]]に登録され保護されている<ref>{{Cite web|url=https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/2-3.html|title=日本のラムサール条約湿地|publisher=[[環境省]]|accessdate=2011-04-04}}</ref>。
| |
− | ::渡りをしない留鳥としては、[[国鳥]]の[[キジ]]などがあげられる。人家の近くには、[[カラス]]、[[スズメ]]、[[ハト]]、[[ツバメ]]、[[ハクセキレイ]]などが生息し、古来より文化の中で親しまれてきた。最近では[[ヒヨドリ]]や[[ムクドリ]]が人家周辺に多い。
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− | ::固有種は、[[メグロ]]などがある。[[トキ]]の個体群は、絶滅。現在、[[佐渡市]]で人工的に繁殖されているトキは、中国の個体群から借り入れたものである。
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− | :;[[爬虫類]]・[[両生類]]
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− | ::いずれも亜熱帯に種類が多く、南西諸島に半分以上の種が集中する。これは、島ごとの種分化が進んでいるためでもある。本土における島ごとの種分化は、さほど見られない。例外は、[[サンショウウオ]]類で、南西諸島に見られないが、本土の各地方での種分化が進み、多くの種を産することで世界的にも知られる。また、現存する世界最大の両生類である[[オオサンショウウオ]]は、日本を代表する両生類として世界的に知られる。
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− | :;[[魚類]]
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− | ::{{Main|日本の淡水魚一覧}}
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− | ::近海の魚類は、種類、数、共に豊かで、[[三陸海岸]]沖から千島列島に掛けてが世界三大漁場の一つに数えられる。近海を暖流と寒流とが流れ、これらの接点である潮境で[[プランクトン]]が発生しやすいことや、周辺に広い大陸棚や多様で複雑な[[海岸]]を持つこと、などが好条件となっている。[[淡水魚]]の種は、大陸に比べて[[河川]]の規模が小さいため、多くない。[[古代湖]]である[[琵琶湖]]などに多彩な種が棲息するものの、[[アユ]]など食用に供される種の人為的な放流や[[外来魚]]の勢力拡大により、希少種の絶滅や淡水魚類相の激変が問題となっている。他方、雨量の多い気候のために河口域に[[汽水域]]が出来やすく、[[貝類]]も豊富である。
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− | ::また、2010年に海洋生物センサス (Census of Marine Life) が出した報告により、日本近海は、世界25箇所の代表的な海の中で最多となる、約3万3000種の海洋生物が生息していることが明らかとなった<ref>{{Cite web|date=2010-07-26|url=https://www.jamstec.go.jp/jcoml/reference/presentation01.pdf|title=日本近海は生物多様性のホットスポット、全海洋生物種数の14.6%が分布|format=PDF|publisher=[[海洋研究開発機構]]|accessdate=2010-10-16}}</ref>。これは日本の気候が南北に渡って非常に多彩であり、同時に大きな海流に恵まれ、海水が多くの栄養を持っていることを示している。例えば北海道は流氷の南限であるのに対し、南西諸島および小笠原諸島はサンゴ生育の北限である。
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− | :;[[昆虫]]
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− | ::亜熱帯のものから亜寒帯のものまで種類が豊富で多様性に富む。森林が多いため、数も多い。[[都市]]部でも多くの昆虫が見られる。雨が多く、湿地や水田が各地にあるため、特に[[トンボ]]の種類が多い。また、[[カブトムシ]]など[[里山]]に暮らす昆虫も多く見られたが、暮らしの変化と共に少なくなった。江戸時代頃から[[スズムシ]]や[[コオロギ]]の鳴き声を楽しむために飼育が行われてきた。愛玩対象として昆虫を飼う文化は、世界的にも珍しい。[[オオムラサキ]]が国蝶。
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− | [[ファイル:Mount Komekura Photovoltaic power plant Jan2012.JPG|thumb|left|メガソーラーとして建設された[[米倉山太陽光発電所]]]]
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− | ===環境問題===
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− | :{{Main|日本の環境と環境政策}}
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− | :1950-60年代、[[四大公害病]]に代表される大規模な[[公害]]の発生から、1967年の[[公害対策基本法]]を始めに水質汚濁や大気汚染などの規制法が相次いで成立した。これを受け、日本企業は、[[オイルショック]]のためにマイナス成長下にあった1973年-1976年の前後に集中して公害の防止への投資を行い、1970年代以降、大規模な公害の件数が急速に減少した。また、この投資は、オイルショック下の日本経済の下支えの役割を果たしたため、「日本は[[公害対策]]と経済成長を両立させた」と言われる<ref>三橋規宏『環境経済入門』日経文庫:2007</ref>。
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− | :しかし、[[日本列島改造論]]が叫ばれた1970年代以降、地域振興を名目に道路建設や圃場整備などの[[公共事業]]、[[リゾート]]開発などの大型開発が盛んに行われ、日本固有の風致や生態系は大きく損われてしまった。また、ゴミ問題のために富士山の[[世界遺産]]登録を断念したことに象徴されるように、[[環境]]管理においても多くの課題を抱える。人工林の荒廃や[[ダム]]建設などによって河川や山林の生態系が衰退していることにより、ニホンザルや[[イノシシ]]が市街地に出没するなど、人間の生活への影響も出ている。
| |
− | :[[高度経済成長期]]以降、日本人の食卓の変化や、海外の農産品の輸入増加、[[東京一極集中]]、天然林の伐採、地域振興における公共事業偏重など様々な要因により、農山村や農林水産業が衰退した。これに伴い、[[耕作放棄地]]の増加、人工林の荒廃、水産資源の減少などの問題が発生している。
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− | ===地域区分===
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− | {{Main|日本の地域}}
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− | [[都道府県]](1都1道2府43県)という広域行政区画から構成される。但し、それよりも広域の地域区分(地方区分)には、揺れが見られる。都道府県の内部には、[[市町村]]や、町村をまとめた[[郡]]、特別区等がある([[日本の地方公共団体一覧]]参照)。一部の[[市]]は、行政上、別途[[政令指定都市]]、[[中核市]]、[[特例市|施行時特例市]]に定められている。
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− | {{日本の都道府県 imagemap}}{{clear}}
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− | ;[[北海道地方]]
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− | :1.'''北海道'''
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− | ;[[東北地方]]
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− | :2.'''[[青森県]]''' - 3.'''[[岩手県]]''' - 4.'''[[宮城県]]''' - 5.'''[[秋田県]]''' - 6.'''山形県''' - 7.'''福島県'''
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− | ;[[関東地方]]
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− | :8.'''[[茨城県]]''' - 9.'''[[栃木県]]''' - 10.'''[[群馬県]]''' - 11.'''[[埼玉県]]''' - 12.'''[[千葉県]]''' - 13.'''東京都''' - 14.'''[[神奈川県]]'''
| |
− | :上記は「一都六県」。「[[首都圏 (日本)|首都圏]]」はこれに[[山梨県]]を、「[[広域関東圏]]」には関東地方1都6県に[[糸魚川浜名湖線|親不知浜名湖線]]以東の[[新潟県|新潟]]・山梨・[[長野県|長野]]・[[静岡県|静岡]]の4県を、それぞれ加える。
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− | ;[[中部地方]]<ref>[[谷岡武雄]]・[[山口恵一郎]]監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』([[三省堂]]、1989年12月発行)の「中部地方」の項目によれば、「北陸・東山(中央高地)・東海の3地方に区分される」と記載されている。</ref><ref>『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「中部地方」の項目にも、「北陸・中央高地・東海の3地方にも区分される。」と記載されている。</ref>
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− | :;[[北陸地方]]<ref>谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「北陸地方」の項目によれば、「北陸3県:富山・石川・福井, 北陸4県:北陸3県に新潟県を加える。普通4県の総称。上代からの北陸道の地域。」となっている。</ref><ref>『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「北陸」の項目によれば、「(1)富山・石川・福井・新潟4県の総称。北陸地方。(2)北陸道の略」となっている。</ref><ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「北陸道」の項目によれば、「愛発(あらち)の関以北の日本海に面した若狭・越前・越中・越後・加賀・能登・佐渡の7国からなる。」となっている。</ref>
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− | ::15.'''新潟県''' - 16.'''[[富山県]]''' - 17.'''[[石川県]]''' - 18.'''[[福井県]]'''
| |
− | ::福井県[[嶺南|嶺南地域]]を近畿地方に含める場合がある。
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− | ::新潟県を北陸地方に含めず、長野県、山梨県とともに'''[[甲信越]]'''と称する場合も多い。
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− | :;[[東山地方]]<ref>谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「東山地方」の項目によれば、「岐阜・長野・山梨3県の地。地理的には岐阜県では北部の飛騨(ひだ)のみを含み, 南部の美濃(みの)は東海地方に属する。」となっている。</ref>
| |
− | ::19.'''山梨県''' - 20.'''長野県'''
| |
− | ::中央高地<ref group="注">前掲の「中央高地」の項目によれば、「山梨・長野・岐阜3県にまたがる本州中央部の高地地域の称。(中略)地理区としては東山地方と同義で, 東海地方・北陸地方に対する。」となっている。</ref> ともいう。岐阜県[[飛騨国|飛騨地域]]を加える場合もある。
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− | :;[[東海地方]]
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− | ::21.'''[[岐阜県]]''' - 22.'''静岡県''' - 23.'''[[愛知県]]'''
| |
− | ::普通、「[[東海3県]]」というと、静岡県ではなく[[三重県]]を含めることが多い。なお、静岡県については関東甲信越各県と併せて広域関東圏とする場合も多い。
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− | ;[[近畿地方]]
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− | :24.'''三重県''' - 25.'''[[滋賀県]]''' - 26.'''京都府''' - 27.'''大阪府''' - 28.'''[[兵庫県]]''' - 29.'''奈良県''' - 30.'''[[和歌山県]]'''
| |
− | ::但し、三重県は近畿地方に含めず中部地方もしくは東海地方に含まれることも多い。なお、近畿地方のことを「[[関西地方]]」と呼ぶ場合は通常、三重県を除く2府4県のことを指す(場合によっては三重県のうち[[伊賀国|伊賀地域]]を加えることもある)。
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− | ;[[中国地方]]
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− | :31.'''[[鳥取県]]''' - 32.'''[[島根県]]''' - 33.'''[[岡山県]]''' - 34.'''[[広島県]]''' - 35.'''[[山口県]]'''
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− | :鳥取県と島根県、そして場合によっては山口県の一部や兵庫県・京都府の一部をも含む地域を、[[山陰地方|山陰]]と呼ぶ。岡山県と広島県に山口県の多くを含めた地域を、[[山陽地方|山陽]]と呼ぶ(兵庫県の一部を含むこともある)。また、山口県を[[九州地方]]と併せて九州・山口地方とする場合もある。
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− | ;四国地方
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− | :36.'''[[徳島県]]''' - 37.'''[[香川県]]''' - 38.'''[[愛媛県]]''' - 39.'''[[高知県]]'''
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− | :[[四国山地]]より北を[[北四国]]、南を[[南四国]]とする。また、中国地方とあわせて[[中国・四国地方]](中四国地方)とする場合もある。その場合、山陽と北四国とをあわせて[[瀬戸内]]と呼ぶ。
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− | ;九州地方
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− | :40.'''[[福岡県]]''' - 41.'''[[佐賀県]]''' - 42.'''[[長崎県]]''' - 43.'''[[熊本県]]''' - 44.'''[[大分県]]''' - 45.'''[[宮崎県]]''' - 46.'''[[鹿児島県]]'''
| |
− | :山口県とあわせて九州・山口地方とする場合や、沖縄県とあわせて九州・沖縄地方とする場合もある。
| |
− | :奄美群島は、歴史・文化・自然等の面において九州よりも沖縄に近い<ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「琉球」の項目には「1609(慶長14)薩摩藩領として分割される以前の奄美諸島を含む。」と記されている。</ref><ref>柴田武編『世界のことば小事典』([[大修館書店]]、1993年6月初版発行)の「29 沖縄語」([[船津好明]]執筆)の「主な使用地域」によれば、「広い意味では奄美から[[八重山諸島|八重山]]までの、いわゆる琉球語圏を、狭い意味では首里を指す。」と記されるほか、114頁の地図によると、トカラ列島と奄美群島との間に「言語境」が引かれている。なお、「ことばの背景」の冒頭には「沖縄語は日本語であり、共通語に対して方言として位置づけられます。」と明記している。</ref><ref>猪川倫好監修・三省堂編集所編『三省堂生物小事典 第4版』(三省堂、1994年2月発行)の「渡瀬線」の項目によれば、「哺乳類・両生類・爬虫類・[[シロアリ]]などについて調査した結果、旧北区と旧東洋区との分布境界線として提唱した奄美大島と屋久島の間の線」と記されている。</ref> ため、奄美群島を沖縄県とあわせて沖縄・奄美地方とする場合もある。
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− | ;[[沖縄地方]]
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− | :47.'''沖縄県'''
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− | :沖縄県は九州地方に含む場合もある。九州地方に含める場合は九州・沖縄地方と呼称することもある。
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− | :沖縄県は奄美群島と文化的、自然的に近い<ref>例えば[[東京外国語大学]]語学研究所編『世界の言語ガイドブック 2 アジア・アフリカ地域』(三省堂、1998年3月発行)の「日本語」([[早津恵美子]]執筆)の「1 使用人口・分布地域」の294頁に掲載されている地図によれば、琉球方言は奄美・沖縄・先島の3方言から構成されている描き方となっている。なお、「2 系統・歴史」には「琉球諸島で話されている言語と本土で話されている言語とが同系であることは、言語学的には明らかだとされ、日本語の方言としてまず大きく、琉球方言と本土方言に分けるのが一般的である。」とも明記している。</ref><ref>帝国書院編集部編『標準高等地図-地図で読む現代社会-新訂版』(帝国書院、2004年1月発行)の「統計資料」のうち「(12)日本のおもな都市の月平均気温・月降水量」によると、「南西諸島の気候」の気候区として[[奄美市]][[名瀬市|名瀬]]と那覇が列挙されている。</ref> ため、奄美群島とあわせて沖縄・奄美地方とする場合もある。
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− | ====都市====
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− | {{Main|日本の市の人口順位|都市圏 (総務省)|都市雇用圏}}
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− | <div style="text-align:center">
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− | {|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;"
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− | |+ 法定人口による政令指定都市の順位付け<br>{{small|参考のため、東京都区部を併記}}
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− | |-style="line-height:1.4em"
| |
− | !順位!!class="unsortable"|都道府県!!class="unsortable"|市(区)!!法定人口!!推計人口!!増減率 (%)!!class="unsortable"|種別!!style="text-align:left;padding-left:14px;"|推計人口の<br>統計年月日
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− |
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− | {{citypop|{{0|00}}特|東京都|特別区部|8949447|特別区部}}
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− | {{citypop|{{0}}1|神奈川県|横浜市|3689603|政令指定都市}}
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− | {{citypop|{{0}}2|大阪府|大阪市|2666371|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}3|愛知県|名古屋市|2263907|政令指定都市}}
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− | {{citypop|{{0}}4|北海道|札幌市|1914434|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}5|兵庫県|神戸市|1544873|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}6|京都府|京都市|1474473|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}7|福岡県|福岡市|1463826|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}8|神奈川県|川崎市|1425678|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|{{0}}9|埼玉県|さいたま市|1222910|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|10|広島県|広島市|1174209|政令指定都市}}
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− | {{citypop|11|宮城県|仙台市|1045903|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|12|福岡県|北九州市|977288|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|13|千葉県|千葉市|962130|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|14|大阪府|堺市|842134|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|15|新潟県|新潟市|812192|政令指定都市}}
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− | {{citypop|16|静岡県|浜松市|800912|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|17|熊本県|熊本市|734294|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|18|神奈川県|相模原市|717561|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|19|静岡県|静岡市|716328|政令指定都市}}
| |
− | {{citypop|20|岡山県|岡山市|709584|政令指定都市}}
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− | |}</div>
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− | {{日本の都道府県庁所在地}}
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− | {{日本の政令指定都市}}
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− | {{日本の中核市}}
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− | {{日本の特例市}}
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− | == 政治 ==
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− | === 法制 ===
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− | {{Main|日本法|日本の刑事司法|日本の民事司法|日本の政治|日本国政府|日本政治史}}
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− | 日本国憲法を最高法規とし、この下に、国会が制定する[[法律]]、内閣が制定する[[政令]]や[[日本の行政機関|各省庁]]が制定する[[省令]]などの[[命令 (法規)|命令]]、[[地方公共団体]]が制定する[[条例]]など、各種の[[法令]]が定められる。この他、日本国憲法改正以前の[[勅令]]や大日本帝国憲法以前の[[太政官布告・太政官達]]は新たに制定されることはなくなったが、憲法に違反しない限り有効である<ref group="注">大日本帝国憲法以前の[[太政官布告・太政官達]]については、大日本帝国憲法第76条第1項により、引き続き有効とされた。さらに日本国憲法施行により、勅令という法形式は廃止されたが、[[日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律]]により政令として効力を有するとされた。</ref>。2019年現在において国立国会図書館のデータベースである[https://hourei.ndl.go.jp/#/ 日本法令索引]は、有効な勅令としては[[s:本初子午線経度計算方及標準時ノ件|本初子午線経度計算方及標準時ノ件]](明治19年勅令第51号)、[[s:閏年ニ關スル件]](明治31年勅令第90号)など57件、太政官布告・太政官達は改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)など9件を収録している。憲法上、裁判所は、全ての法令や[[行政行為]]などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する[[違憲審査制|違憲法令審査権]]を有し、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]を終審裁判所とする。もっとも、いわゆる[[司法消極主義]]に基づき、国会や内閣など政治部門の判断への干渉は、控えられることが多い。
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− | ==== 憲法 ====
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− | {{main|日本国憲法}}
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− | 現行の[[憲法]]は日本国憲法であり、[[国家]][[形態]]および[[統治]]の[[組織]]・[[作用]]を規定する{{sfn|Britannica Japan Co., Ltd.|2018a|p=「日本国憲法」}}。[[1946年]](昭和21年)11月3日に公布され、[[1947年]]([[昭和]]22年)5月3日に[[施行]]された{{sfn|Britannica Japan Co., Ltd.|2018a|p=「日本国憲法」}}。
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− |
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− | 形式的には[[大日本帝国憲法第73条]]を適用して、[[大日本帝国憲法]]の[[改正]]手続を経て制定された。以降、[[2019年]]現在に至るまで、改正されたことは一度もなく、[[硬性憲法]]に分類される。
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− | 日本国憲法の根底には[[日本国憲法第13条|第13条]]「'''[[個人の尊厳]]'''」の理念があり<ref>[https://www.lsclaw.jp/kenpou/#q50 LSC綜合法律事務所 日本国憲法とは?] </ref>{{sfn|樋口陽一|1992|p=69}}、以下の三つを三大原理とする<ref>[https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html あたらしい憲法のはなし(青空文庫)]</ref><ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113070 あたらしい憲法のはなし(国立国会図書館デジタルコレクション)]</ref><ref>[https://www.insightnow.jp/article/9648 「富山県人は極力採らない」が危機レベルにアウトなワケ]</ref>。
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− | *'''[[基本的人権|基本的人権尊重主義]]'''([[自由主義]]) ― 国民の基本的権利保持と[[平等]]の両立を目指す。
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− | *'''[[民主主義]]'''([[国民主権]]主義)― [[主権]]が[[国民]]に由来する。
| |
− | *'''[[平和主義]]''' ― [[戦争]]の放棄([[交戦権]]の放棄)、戦力([[軍隊]])の不保持を規定する。
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− | 長らく、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた[[日本国憲法第9条|第9条]]と[[自衛隊]]の存在意義などを巡って[[憲法改正論議]]が行われている。なお、一部には、現行憲法の制定に法的瑕疵があったとして日本国憲法自体の無効を主張し、今も大日本帝国憲法が有効であるとする者もいる。
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− | {{see also|押しつけ憲法論|日本国憲法無効論}}
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− | ==== 法律 ====
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− | [[明治維新]]以来、[[信託]]等一部の[[民法 (日本)|民法]]の規定を除き、[[大陸法]]系(特に[[ドイツ法]]及び[[フランス法]])を基礎としているが、[[立憲君主制]]や[[議院内閣制]]に[[英国法]]、最高裁判所以下司法についての規定につき[[アメリカ法|米国法]]の影響を強く受けているなど、憲法を中心として[[英米法]]の影響も見られる<ref>[[伊藤正己]]・[[木下毅]]『アメリカ法入門(4版)』2頁 日本評論社</ref>。日本国憲法、民法、[[商法]]、[[刑法 (日本)|刑法]]、[[民事訴訟法]]、[[刑事訴訟法]]を総称して[[六法]]と称する。この六法が日本の法令の基本を成し、日本の[[法学]]の基本的な研究分野と考えられてきたことによる。商法のうち、[[企業]]に関する定めの多くは、[[会社法]]に分けられた。刑法には、[[日本における死刑|死刑]]、[[懲役]]、[[禁錮]]、[[罰金]]、[[拘留]]、[[科料]]、[[没収]]が[[刑罰]]として定められている。私法分野においては一定の範囲内で[[慣習法]]は効力を有するが([[法の適用に関する通則法|法適用通則法]]3条)<ref group="注">[[b:民法第263条]]は、「[[共有]]の性質を有する[[入会権]]については、各地方の慣習に従う」と定めるなど、ほとんど慣習法に委ねる規定が民法上に散見される他、[[b:商法第1条]]2項は「この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法 (明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。」とし、商慣習法を民法より優越させる。</ref>、刑法については[[罪刑法定主義]]を採り、慣習法を排除する。
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− | [[死刑]]制度のあり方を巡っては、憲法制定の当時から議論がある([[死刑存廃問題#日本での動き]]を参照)。ただし、判例は死刑制度を合憲としており([[死刑制度合憲判決事件]])、いわゆる「永山基準」を「死刑選択の許される基準」としている<ref>[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50235 最高裁判所昭和58年7月8日・刑集第37巻6号609頁] 最高裁判例</ref>。2009年より、[[刑事事件]]につき重大な犯罪について[[裁判員制度]]が導入されている。
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− | ==== 報道の自由 ====
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− | 戦後、憲法によって[[表現の自由]]・[[報道の自由]]が保障され、建前上、[[報道]]に関する政府からの介入は存在しない。
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− | [[記者クラブ]]制度によって加盟している[[マスメディア]]のみが記者会見を独占し政府や行政機関などからの情報を受けるメリットを享受している。記者クラブが開催している会見は、加盟マスコミ以外を排除しており、報道の自由を侵害していると[[フリージャーナリスト]]や外国メディアなどからの批判が多い。[[テレビ]]放送・[[ラジオ]]放送については[[放送法]]により、中立な内容が義務付けられており、政府が発行する免許が必要である。[[総務省]]所掌の[[公共放送]]である[[日本放送協会]](通称:NHK)の予算は、国会の承認が必要である。[[新聞]]については、[[再販制度]]の存廃など、様々な形で事実上の介入が行われている。また、収入源の広告料収入を大企業に頼る大手マスメディアは、スポンサーとなりうる大企業を批判することに慎重であり、また[[中華人民共和国|中国]]をはじめ経済的に[[大企業]]が依存する国家に対しても慎重な態度を取る。一方、一部団体の抗議の対象になるのを避けるため、「放送禁止用語」や「出版禁止用語」を定めて差別的な表現や下品な表現を「自粛」・「自主規制」することが行われている。また、現在進行中の誘拐事件など人命に関わる場合などにも「自主規制」の対象になる。
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− | なお、近年に発生した報道機関を狙った[[テロ]]としては、未だ解決に至っていない[[赤報隊事件]]がある。[[国境なき記者団]]が作成する報道の自由度を示すランキングでは、調査対象国180ヶ国中、第61位(2015年)である。各国を5段階に分けた分類では、上から3番目の『顕著な問題のある国』にカテゴライズされる。国境なき記者団は日本における課題として、記者クラブ制度により外国人ジャーナリストやフリージャーナリストによる情報のアクセスが妨げられていること、「[[東日本大震災]]で発生した[[東北地方太平洋沖地震#津波|津波]]や[[福島第一原子力発電所事故|原発事故]]に関しての過剰な報道規制」などを挙げている。また2007年度の調査では「過激な[[ナショナリズム|ナショナリスト]]による報道機関への襲撃の減少が見られる」と述べていた<ref name="annual_report_2007">[http://www.rsf.org/article.php3?id_article=20787 Reporters sans frontières - Japan - Annual report 2007]</ref><ref>[http://www.rsf.org/article.php3?id_article=24025 Reporters sans frontières - Annual Worldwide Press Freedom Index - 2007] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071017110631/http://www.rsf.org/article.php3?id_article=24025 |date=2007年10月17日 }}</ref>。また、2018年には[[放送法]]第4条(政治的公正・事実の報道・多角的な報道について規定されている)の撤廃が検討されている<ref>{{Cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASL3Q6TVRL3QUTIL084.html|title=放送法の「政治的公平」撤廃を検討 政府、新規参入促す|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。
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− | ===元首===
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− | {{main|日本の元首}}
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− | 日本国憲法に「日本国の元首」についての規定がないため、現在元首については様々な見解がある{{sfn|田中浩|2016|p=「元首」}}。[[政治学]]者の[[田中浩 (政治学者)|田中浩]]、[[憲法学]]者の芦部信喜、[[総合政策学]]者の長野和夫によると[[学説]]の多数は、権限を持つ[[内閣]]または[[内閣総理大臣]]を元首としている{{sfn|田中浩|2016|p=「元首」}}{{sfn|芦部信喜|2016|p=47}}{{sfn|長野和夫|2006|p=170}}(内閣・内閣総理大臣元首説)。また、現行憲法施行後も変わらず天皇が元首であるとする説(天皇元首説)、国権の最高機関たる[[国会]]の長である[[衆議院議長]]を元首とする説(衆議院議長元首説)や、そもそも日本には元首が存在しないという説さえある。
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− | === 天皇 ===
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− | <!--「Wikipedia:検証可能性」により、
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− | 「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」
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− | 「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」
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− | と規定されています。詳細は「Wikipedia:検証可能性#方針」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7#%E6%96%B9%E9%87%9D)。
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− | 「Wikipedia:信頼できる情報源」により、
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− | 「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます」
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− | 「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」
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− | 「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます」
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− | と規定されています。詳細は「Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90#%E5%81%BD%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%A8%81%E3%81%AB%E6%B3%A8%E6%84%8F)等-->
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− | <!--===天皇・皇室===--><!--「天皇制」は学術資料で用いられる用語(社会科学用語)です。Wikipediaでは、学術的情報源は「信頼できる」と定義されています。詳細は「Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意」(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90#%E5%81%BD%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%A8%81%E3%81%AB%E6%B3%A8%E6%84%8F)等。また、この節の出典に「皇室」という語は掲載されていません-->
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− | <!--記述は写真の説明ではなく項目内で行う-->
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− | {{see also|天皇|象徴天皇制|君主制|立憲君主制|皇室|天皇の一覧|皇位継承|三種の神器|宮内庁}}
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− | [[File:皇居・正門石橋.jpg|thumb|right|[[皇居]]・正門石橋<br>([[東京都]][[千代田区]][[千代田 (千代田区)|千代田]])]]
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− | [[ファイル:The Tea Reception at the Imperial Palace (48646857568).jpg|thumb|[[徳仁|天皇徳仁]]と[[皇后雅子]]([[2019年]]〈[[令和]]元年〉撮影)]]
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− | 「天皇」は、[[日本国憲法第1条]]に規定された日本国および[[日本国民]]統合の[[象徴]]たる地位、または当該地位にある個人<ref name=daijirin>{{Cite book |和書 |author=[[松村明]]編 |year=2006 |title=[[大辞林]] |edition=第三版|page=1758頁 |publisher=三省堂 |isbn=4-385-13905-9 }}</ref>。現行憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と記載されている。大日本帝国憲法では[[大日本帝国憲法第4条|第4条]]で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)」するとの明記があったが、現行の日本国憲法には天皇を元首とする旨の規定はない。『日本大百科全書』は、天皇には通常の立憲君主の権限は無いとし、『法律用語辞典(第4版)』は、象徴天皇と元首天皇を別としている<ref name="ndhy">[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6-102684#%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6 安田浩 『日本大百科全書』 小学館、2016年、「天皇制」の項。]<br>{{Cite book|和書|author=法令用語研究会|year=2015|title=法律用語辞典|edition=第4版|page=「天皇」の項|publisher=JapanKnowledge}}</ref>。また『国史大辞典』は[[法制]]上、象徴天皇は君主ではないとしている<ref name=kokushi>{{Cite book|和書|author=家永三郎|title=国史大辞典|year=2015|publisher=JapanKnowledge|page=「天皇」の項}}</ref>。
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− | 『岩波 日本史辞典』によると、「日本の君主制」は「天皇制」という{{sfn|永原|石上|1999|p=803}}。[[戦後]]に「[[社会科学]]用語として定着」したとされる{{sfn|永原|石上|1999|p=803}}。憲法で天皇を「象徴」と称することから、「象徴天皇制」ともいう。「象徴天皇制は天皇が元首でないので君主制としない説もある」とされる{{sfn|永原|石上|1999|p=362}}。憲法学者の[[野中俊彦]]、[[中村睦男]]、[[高橋和之]]、[[高見勝利]]の共同著作『憲法I』(第5版)によれば、「象徴にすぎなくなった天皇は君主といえるか」という問題は、君主の[[定義]]による{{sfn|野中|中村|高橋|高見|2012|p=108}}。民主主義の浸透後は、君主制が維持された国でも、君主権は名目化した{{sfn|野中|中村|高橋|高見|2012|p=108}}。こうなると、君主制か[[共和制]]かの区別は無意味に等しい{{sfn|野中|中村|高橋|高見|2012|p=108}}。天皇が君主かどうかは、憲法学上「ほとんど議論の実益のない問題」とされている{{sfn|野中|中村|高橋|高見|2012|p=108}}。
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− | [[東洋史学]]者[[岡田英弘]]の『[[倭国]]』および『[[日本史]]の誕生』によると、[[720年]]に完成した日本最古の史書『[[日本書紀]]』では、「[[高天原]]」より[[日向国|日向]]([[宮崎県]])の[[高千穂峰|高千穂山]]に下った([[天孫降臨]])太陽の女神[[アマテラス]]の孫[[ヒコホノニニギ|ニニギノミコト]]の孫の[[神武天皇]]を初代とする一つの[[皇室の系図一覧|皇統]]が、一貫して日本列島を統治し続けてきたとされる<ref>岡田英弘「第五章 最初の王朝」(『倭国』中央公論社,1977, pp.147-183)、「神話が作った大和朝廷」(『日本史の誕生』[[筑摩書房]],2008)pp.245-267。</ref>。『[[百科事典マイペディア]]』によると、神武天皇は「もとより[[歴史学|史実]]ではない」とされている<ref>{{Citation |url=https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87-82633#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 |author=[[平凡社]] |title=『百科事典マイペディア』|contribution=神武天皇|publisher=VOYAGE GROUP・朝日新聞社 |accessdate=2018-03-06}}</ref>。また、皇統が分裂して、二系統が交互に皇位に就いた「[[両統迭立]]」<ref>{{Citation |url=https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E7%B5%B1%E8%BF%AD%E7%AB%8B-150055#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |author=[[新田英治]] |title=『日本大百科全書(ニッポニカ)』|contribution=両統迭立|publisher=VOYAGE GROUP・朝日新聞社 |accessdate=2018-08-18}}</ref>、皇統が分裂抗争した「[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]」という語が存在している<ref>{{Citation |url=https://kotobank.jp/word/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3-108982 |author=[[VOYAGE GROUP]]・[[朝日新聞社]] |title=『コトバンク』|contribution=南北朝時代 |publisher=VOYAGE GROUP・朝日新聞社 |accessdate=2015-05-24}}</ref>。『[[NEWSポストセブン]]』では、「現存する[[世界最古の一覧|世界最古]]の[[王室]]として[[ギネスブック]]に登録される日本の[[皇室]]」と記述されている<ref>{{Cite web|url=https://www.news-postseven.com/archives/20181220_828877.html?PAGE=1#container|title=退位イヤーを前に池上彰氏が解説「天皇とはどんな存在か」|accessdate=2018-12-20|language=ja}}</ref>。
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− | {{main|日本神話|神武東征|両統迭立|[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]|}}
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− | {{-}}
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− | === 内政 ===
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− | 日本は[[単一国家]]であり、その[[政治体制]]としては、「[[間接民主制|議会制民主主義]]体制」・「[[象徴天皇制]]」<ref>『[[ブリタニカ国際大百科辞典]]』で、象徴天皇制は「日本国憲法において、『日本国の象徴であり日本国民の象徴』と規定される天皇を頂く政治体制をいう。」と解説されている。</ref><ref group="注">天皇を君主とすれば「[[立憲君主制]]」や「[[象徴君主制]]」とする説もある。</ref>・「[[議院内閣制]]」を採るとされる。
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− | ==== 中央政府 ====
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− | [[日本国政府]]([[統治機構]])は、憲法上、[[立法]]権を[[国会 (日本)|国会]]に、[[司法権]]を[[裁判所]]に、[[行政権]]を[[内閣 (日本)|内閣]]に、それぞれ分配する[[権力分立制]](三権分立)を採る。また、内閣が国会の信任に拠って存在する[[議院内閣制]]を採用する。[[日本国憲法第41条|41条]]は、国会を「国権の最高機関」と定めるが、この意味につき学説は分かれ、国政の中心的位置を占める機関であることを強調する政治的美称であるとする説(政治的美称説)<ref>[[芦部信喜]]『憲法 第5版』285頁 岩波書店 (2011) ISBN 978-4000227810</ref>、「国家諸機関の権能および相互関係を解釈する際の解釈準則となる」とする説(総合調整機能説)<ref>[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]『憲法 第3版』145頁 青林書院 (1995) ISBN 978-4417009122</ref> が有力である。
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− | <div style="text-align:center"><gallery>
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− | ファイル:Diet of Japan Kokkai 2009.jpg|[[国会議事堂]]
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− | ファイル:PMO cropped.jpg|[[内閣総理大臣官邸]]
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− | ファイル:Saikosaibansho.jpg|[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]
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− | </gallery></div>
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− | [[ファイル:Politics Under Constitution of Japan 03.png|thumb|300px|[[日本国憲法]]下の権力分立]]
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− | =====立法府=====
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− | [[国会]]は、[[衆議院]]([[下院]])と[[参議院]]([[上院]])との二院から構成される[[二院制]]の議会(立法府)である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる(憲法41条)。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する[[選挙]]([[衆議院議員総選挙]]・[[参議院議員通常選挙]])により選出された[[国会議員]](衆議院議員・参議院議員)によって組織される。ただし、法律や[[予算]]、[[条約]]の議決、内閣総理大臣の指名、[[内閣不信任決議]]などにおいて、衆議院に参議院よりも強度な権限が付与されている([[衆議院の優越]])。これは、[[衆議院解散]]があり、任期も短期間であるため、より民意を反映しているため、と説明される。
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− | =====行政府=====
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− | 行政府である[[内閣]]は、その首長たる[[内閣総理大臣]]と、その他の[[国務大臣]]から構成される合議制の機関である。内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。なお、日本国憲法施行以来、慣例として衆議院議員が内閣総理大臣に指名されている。国会から指名された人物は、天皇により国事行為として、儀礼的・形式的に内閣総理大臣に任命される。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が[[認証]]する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣、その他の国務大臣は、[[文民]]でなければならない。内閣は、[[行政権]]の行使について、国会に対し連帯して責任を負う一方、衆議院の実質的な解散権(解散決定権)を持つとする見解が多数説となっている(日本国憲法7条3項および69条を参照のこと)。
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− | {{現在の内閣総理大臣}}
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− | 国会では、国会議員のみが法案提出権を保持する。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する内閣提出法案(政府立法、閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に設置される省庁が国会議席の多数を占める与党との調整を経て作成するため、[[キャリア (国家公務員)|省庁の幹部公務員(キャリア官僚)]]の国政に対する影響力が強い。選挙には地盤・看板(知名度)・カバン(選挙資金)の「3バン」が必要とされることから、[[世襲政治家]]が多い。1970年代以降は[[中曽根康弘]]や[[小泉純一郎]]といった例外を除いて、内閣総理大臣の任期はせいぜい2年にとどまり、2006年(平成18年)以降は1年前後の任期が続いた。
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− | ;55年体制とその後
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− | :国会では、[[1955年]](昭和30年)に結党された[[自由民主党 (日本)|自由民主党]](通称:自民党)が、一貫して最多の議席を占めていた。同年に統一された[[日本社会党]](通称:社会党、現在の[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]])と共に、両政党が結党した西暦年の下2桁をとって「[[55年体制]]」と呼ばれる政治体制を形作った。この体制は、自民党が[[与党]]として党の総裁(党首)を国会で内閣総理大臣に指名し、同党議員の中から国務大臣を任命して内閣を組織し、社会党が野党として自民党と対立・協調しながら、国政を運営するものである。[[新自由クラブ]]と[[連立政権]]を組んだ1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)までの一時期を除き、1993年(平成5年)までの約40年間、自民党の単独政権が続いた。
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− | :1993年(平成5年)に自民党[[改革フォーラム21|羽田派]]が離党して[[新生党]]を結党し、[[非自民・非共産連立政権]]である[[細川内閣]]([[細川護熙]]首相)が成立したことで自民党が政権を離脱し、これをもって戦後長年の日本政治を構築してきた「55年体制」が崩壊した。翌1994年(平成6年)6月に自民党・社会党・[[新党さきがけ]]の[[自社さ連立政権]]である[[村山内閣]]([[村山富市]]首相)が成立して自民党が政権に復帰した。次の[[第1次橋本内閣|橋本内閣]]([[橋本龍太郎]]首相)以後、自民党は連立相手を組み替えながら[[自由民主党総裁|総裁]]が内閣総理大臣に就任する時代が再度継続されたが、2009年(平成21年)8月の[[第45回衆議院議員総選挙|衆議院議員総選挙]]で大敗、衆議院第1党から転落し、翌9月に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]・[[国民新党]]からなる[[民社国連立政権]]、[[鳩山由紀夫内閣]]([[鳩山由紀夫]]首相)が成立。民主党を中心とする連立政権は[[野田内閣 (第3次改造)|野田第3次改造内閣]]([[野田佳彦]]首相)を最後に2012年(平成24年)12月の[[第46回衆議院議員総選挙|衆議院議員総選挙]]での敗北で終焉を迎え、自民党と公明党の両党が再び政権に復帰し、[[自公連立政権]]が復活した。
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− | =====司法府=====
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− | 日本国憲法により、司法権は裁判所(最高裁判所及び[[裁判所法|法律]]に定めるところの下級裁判所)が行使する。各地方公共団体には司法府は存在せず、各地に設置される下級裁判所([[高等裁判所]]、[[地方裁判所]]、[[家庭裁判所]]、[[簡易裁判所]])が裁判を行う。また、日本国憲法により[[特別裁判所]]([[皇室裁判所]]や[[軍法会議]]など)の設置は禁止されている。
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− | [[司法制度]]として、[[刑事裁判]]に市民感覚を反映させる[[陪審制]]と[[参審制]]を折衷した制度である[[裁判員制度]]や、[[検察官]]の[[公訴権]]に民意を反映する[[検察審査会|検察審査会制度]]などがある。
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− | ==== 地方政府 ====
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− | [[地方自治]]は、基礎的な団体である市町村、広域的な団体である都道府県の二段階から成る、[[地方公共団体]]([[地方政府]])が担う。
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− | ;市区町村
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− | :市が795、[[町]]が743、[[村]]が183、合計1718<ref>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/municipalities/number-of-municipalities|title=市区町村数を調べる|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref><ref group="注">ロシアが実効支配している6村は数に含まれていない。</ref>。北海道と沖縄、および一部の離島地域を除く日本国内では1889年(明治22年)にこの市町村制が施行された。他に、[[特別地方公共団体]]として、2016年10月10日現在、首都たる東京都に23の特別区([[東京都区部]])が設置されており、これらは市に準じた権限を持つ([[s:地方自治法 第三編 特別地方公共団体#281|地方自治法第281条]]第2項・第283条)。<ref>[http://www.soumu.go.jp/main_content/000283329.pdf 市町村数の推移表(詳細版)]</ref><ref>http://www.soumu.go.jp/kouiki/kouiki.html</ref>かつては1万を超えた市町村数は、1950年代後半の[[昭和の大合併]]と2000年代の[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]によって激減し、市町村の再編が進んだ。
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− | :[[執行機関]]たる[[市町村長]]、[[議決機関]]たる[[地方議会|市町村議会]]<ref>[[町村総会]]の場合もある。</ref> が置かれ、いずれも住民から選挙される。
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− | :財産を管理し、地域の事務を取り扱い、行政を執行する。法律の範囲内で条例を定める。特に規模が大きい市は、政令指定都市として、農林水産行政に関する権能などを除いて都道府県並みの権限を有する。
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− | :「市」は「し」と読まれるが、「町」は「まち」・「ちょう」、「村」は「むら」・「そん」の読みが混在している。
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− | ;[[都道府県]]
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− | :都が1、[[道 (行政区画)#日本|道]]が1、[[府]]が2、[[県]]が43、合計47[[都道府県]]。1871年(明治4年)の[[廃藩置県]]により全国に行政区画として府・県が置かれた。[[市町村]]と異なり、県自体の合併・分立は1888年(明治21年)を最後に行われていない<ref group="注">1945-72年に行われた沖縄県のアメリカ統治を除く。また、東京府から[[東京都]]、北海道庁から[[北海道]]への改称、都道府県間の境界変更などはしばしば行われている。</ref>。
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− | :都は特別区に関する一定の調整機能を有するが、府県の間には法律上の違いはなく、名称の差異は歴史的なものである<ref>[[塩野宏]]『行政法Ⅲ第3版』137頁 [[有斐閣]] 2006年</ref>。道も地方自治法上は府県と同格であるが、[[特別法]]に道について若干の特例を定める(警察組織につき[[警察法]]第46条・51条など)。
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− | :執行機関たる[[都道府県知事]]、議決機関たる都道府県議会が置かれ、いずれも住民から選挙される。
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− | :市町村を包括し、より広域的な行政を行う。法律の範囲内で条例を定める。
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− | 現在、東京一極集中を緩和して[[地方分権]]を進めるため、都道府県を解消して更に広域的な道州を置く[[道州制]]の導入が検討されている([[日本の道州制論議]])。また、[[大阪都]]や[[中京都]]のように特別区をつくる運動もある([[大都市地域特別区設置法]])。
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− | === 外交 ===
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− | [[ファイル:Diplomatic missions of Japan.png|thumb|350px|[[日本国在外公館の一覧|日本国在外公館]]が設置されている国]]
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− | {{Main|日本の国際関係|Category:日本の国際関係史}}
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− | [[File:JapanpassportNew10y.PNG|thumb|[[日本国旅券|日本の旅券]](パスポート)は[[国交]]数や[[偽造]]の難しさから世界で最も信頼度が高い<ref>[https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/293822.html 「日本のパスポートが『世界最強』!?」 NHK解説委員室]</ref>]]
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− | 現在、世界の195か国に日本の[[大使館]]が設けられており、155か国が日本に大使館を設け38の[[国際機関]]が日本に事務所を設けている。<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/world.html 世界と日本のデータを見る 外務省]</ref>
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− | 2019年には日本から[[査証|ビザ]]なしで渡航できる国の数が190ヶ国でシンガポールと並び世界一位となった。調査対象となった200の国と地域の中で最多だった<ref>{{Cite web|url=http://japan.hani.co.kr/arti/international/34854.html|title=韓国「パスポート・パワー」米国抜いて世界2位|accessdate=2019年11月9日|publisher=ハンギョレ新聞}}</ref>。
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− | 唯一の軍事同盟国であり、国内に軍隊の駐留([[在日米軍]])をさせている[[アメリカ合衆国]]との関係を最も重視し、世界中の国と友好関係を築いているといわれている。外交の基軸として[[国際連合]](通称:国連、UN)を中心に各国と幅広い外交を展開し、援助や貿易を実施している。伝統的に地理的に近距離にある[[東アジア]]各国と強い関係を保持してきた。更に、[[第二次世界大戦]]敗戦後から[[日本国との平和条約]](通称:サンフランシスコ講和条約)締結・発効までに[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)を通してして日本の間接的占領統治を担った主要国で、その解除後も軍隊の駐留継続をはじめとして多大な影響力が行使される[[アメリカ合衆国]]([[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]])を最重視している。その他、[[アジア太平洋経済協力]](APEC)の参加国の一国として、[[東南アジア]]のASEAN([[東南アジア諸国連合]])諸国や[[オーストラリア]]、かつての[[冷戦]]下の[[西側諸国]]の一員として[[西ヨーロッパ]]各国、[[欧州連合]](EU)主要構成国との関係も深い。また、日本は[[G7]]、[[G8]]、[[G20]]、[[経済協力開発機構]](OECD)、[[世界貿易機関]](WTO)加盟国であり、いわゆる[[列強]]に数えられる国家の一つである<ref>{{cite web|url=https://www.the-american-interest.com/2015/01/04/the-seven-great-powers/|title=The Seven Great Powers|publisher=American-Interest|accessdate=August 27, 2015}}</ref><ref>{{cite encyclopedia|author=Peter Howard|encyclopedia=Encarta|title=Great Powers|url=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761590309/Great_Powers.html|archivedate=2009年11月1日|accessdate=August 27, 2015|publisher=MSN|archiveurl=https://www.webcitation.org/5kwqEr8pe?url=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761590309/Great_Powers.html|deadurl=yes|deadlinkdate=2017年10月}} {{WebCite|url=https://www.webcitation.org/5kwqEr8pe?url=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761590309/Great_Powers.html |date=20091101005751 |dateformat= }}</ref>。
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− | イギリス公共放送局[[英国放送協会|BBC]]の国際放送[[BBCワールドサービス]]が2005年より毎年公表している、10前後の特定の国・地域が世界に与える影響の印象を尋ねる世界規模の[[世論調査]]では、日本が質問対象国となった2006年 - 2008年の各年いずれも「好影響を与えていると思う」との回答率が最も高い国の一つとなるなど、国際的に非常に高い評価を得ている<ref name="bbc">共同通信「世界に「好影響」日本1位 ワーストはイラン、アメリカ」2006年2月4日配信(この配信のインターネットソースとしてはTOKYO自民党ホームページなどを参照のこと、[http://www.tokyo-jimin.jp/kobo/goikenban/goikenban5.html http://www.tokyo-jimin.jp/kobo/goikenban/goikenban5.html])、「[https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080402-OYT1T00195.htm 日本『世界に良い影響』、独と並びトップ…BBC・読売調査]{{リンク切れ|date=2010年3月}}」『読売新聞』2008年4月2日。調査の実施は調査専門機関である GlobeScan および[[メリーランド大学]]国際政策観プログラム (PIPA) による。調査の詳細およびデータについては、GlobeScan, "[https://globescan.com/news_archives/bbc06-3/index.html Global Poll:Iran Seen Playing Negative Role," (BBC Poll:Attitudes towards Countries)] (n.d.[2006年]、最終アクセス2008年4月2日)、同 "[http://www.globescan.com/news_archives/bbccntryview/ Israel and Iran Share Most Negative Ratings in Global Poll]" (2007年3月6日、最終アクセス2008年4月2日)、同 “[https://globescan.com/news_archives/bbccntryview08/ Global Views of USA Improve]” (2008年4月2日、最終アクセス2008年4月2日)(いずれも英語)。</ref>。2006年公表の調査では、33カ国、約39500人に調査し、ヨーロッパに次いで最も「好影響を与えている」との回答率が高い結果となった。2007年の調査では、27カ国、28000人に調査し、日本はカナダ、EU諸国と並び、もっとも高い評価を受けている国の一つにあげられた。2008年の調査は、34カ国、17457人に調査し、日本は[[ドイツ]]と並んでもっとも「好影響を与えている」との回答率が高い結果となった。2010年に[[読売新聞社]]とBBC放送が共同実施した世論調査では、「日本は世界に良い影響を与えている」という評価が53%で、「悪い影響を与えている」の21%を上回り、「良い影響」が59%のドイツに次ぎ、日本は[[欧州連合]](EU)と並んで2番目となった<ref>{{cite news
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− | |url=https://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100418-OYT1T00861.htm
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− | |title=「世界に良い影響」日本2位…BBC・読売調査
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− | |newspaper=[[YOMIURI ONLINE]]([[読売新聞]])
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− | |date=2010-04-19
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− | |accessdate=2010-04-19
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− | }}</ref>。
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− | ====国際連合====
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− | {{UN}}:日本はかつて[[第一次世界大戦]]の戦勝国である[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]の一国として、[[国際連盟]](League of Nations)の原加盟国ならびに安全保障理事会常任理事国を務めていたが、やがて脱退し、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]](United Nations)を相手に[[枢軸国]]の一国として第二次世界大戦を戦い敗れたという経緯がある。国際連合は戦後も継続し、日本は[[敵国条項]]によって現在もあくまで「敵国」の位置づけである。1956年(昭和31年)にソ連との国交を回復し加盟を果たした。これまでに[[国際連合安全保障理事会]]の[[非常任理事国]]として最多選出されている。また敵国の位置づけにありながら世界第2位の国連分担金を拠出するという矛盾した状態になっていたが、2018年に決定された2019年からの国際分担金比率は中華人民共和国に抜かされ世界第3位の位置付けになった。しかしながら、敵国の位置付けにありながら高い国連分担金を負担している現状に変わりはない。国連改革の一環として[[ドイツ]]、[[インド]]、[[ブラジル]]などの[[G4諸国]]と[[常任理事国]]入りを訴えているが中国や韓国の反対で実現していない。また、国連では約800人の日本人専門職員が働いているが、G7諸国は職員数が1000人以上なのを踏まえると日本人職員の数は少ない。事務局では望ましい職員数の197名に対し事務局で働く日本人職員数は79名となっている。日本の知識層の多くは多大な貢献に比べ、恩恵や評価を受ける以前に敵国条項すら削除されないと指摘している。
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− | 長く国連の武力行使を支持しても、経済援助のみに関与するという慎重姿勢を取り、[[湾岸戦争]]でも巨額の戦費負担をしたが戦力を出さなかった。しかし近年、[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO協力法]]などの成立に始まり、課題を残しつつも法的根拠が整った。[[イラク戦争]]終結後、自衛隊を派遣して復興支援活動に携わるなどの機会も増えている。
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− | ====東アジア====
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− | [[東アジア]]では、古来地理的に近距離で隣接する[[中国]]や[[朝鮮]]などを中心に外交が行われていた。日本は[[儒教]]・[[漢字文化圏]]の一角であり、伝統的な文化の中には、[[雅楽]]、[[水墨画]]、[[陶磁器]]、[[禅宗]]、[[書道]]など、東アジアをルーツに持つ物が多い。[[明治]]期以降、[[文明開化]]により西洋文化を採用して発展した日本の文化が逆に東アジアに伝播した。欧米を始めとする世界中との外交が盛んになるのは、[[明治維新]]以降である。かつて日本領であった[[台湾]]([[中華民国]])や韓国([[大韓民国]])は([[日本統治時代の台湾]]・[[日本統治時代の朝鮮]])、現在でも重要な貿易相手である。北朝鮮(正式国名:[[朝鮮民主主義人民共和国]])に対しては、日本は国家承認しておらず、国交も存在せず経済制裁を実施している。日本、韓国、台湾は、それぞれ[[アメリカ軍]]と同盟関係・安全保障関係にあり、相互に緩やかな協力関係にある。一方、建国由来から[[朝鮮戦争]]以降、北朝鮮と中国([[中華人民共和国]])とは同盟関係にあり、中国と[[ロシア]](旧[[ソビエト連邦]])も協力関係にある。
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− | {{PRC}}:日本は1972年(昭和47年)の[[日中共同声明]]および1978年(昭和53年)[[日中平和友好条約]]締結にともない、[[中華人民共和国]]との国交を正常化した。[[改革開放]]政策の後、[[経済成長]]を達成して数多くの日系企業が生産拠点を移転させ、また、2006年(平成18年)より貿易総額でアメリカを上回って最大の貿易相手国となった<ref>[[台湾]]出身の[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]は、「[[日中関係]]は『親善』ではなく『[[友好]]』であり、『呉越同舟』状態にある」という([http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs01x25.html 支那の本質] より)。</ref>。[[靖国神社問題]]に関連して関係が悪化した。日本では、[[2005年の中国における反日活動]]なども盛んに報道され、また、2008年6月、アメリカの民間調査機関[[ピュー・リサーチ・センター]]の調査では、中国を好ましくないと答えた割合が84%(前年比17%増)となり、調査した24カ国の中で最も高かった。また、日本人の中国への旅行者も減少した。一方、中国では、前年比から9%減少したが、それでも69%が日本を好ましく思っていないという調査結果となり、依然として両国民が相互に反発していることが明らかとなった。中国の報道は中国共産党の統制下にあり、一般国民に日本からのODAや謝罪などが周知されているとは言いがたいが、四川大地震に際しての国際緊急援助隊の救援活動など、中国人からの感謝の意が表れる出来事もある。2010年以降、GDPで日本を抜いて、無視できない存在となっている。
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− | 軍事面では日本全土を射程に収める核弾頭を搭載可能な[[弾道ミサイル]][[東風21型]]を推定100発、精密攻撃が可能な[[巡航ミサイル]]東海10型・長剣10型を推定600発保有しており日本の脅威となっている<ref>[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36805?page=4 マスコミが伝えない中国の対日攻撃ミサイル 本当の脅威は北朝鮮の「銀河3号」ではない(4/5)] JBpress(Japan Business Press)</ref>。
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− | {{See also|日中関係史}}
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− | {{PRK}}:現在、国交は存在しない。北朝鮮は、[[韓国併合]](旧[[李氏朝鮮]]・[[大韓帝国]]の[[大日本帝国]]への併合)に対する評価や賠償問題・請求権問題、いずれについても決着していないとする立場である。[[日本国政府]]は、[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]に基づいて大韓民国政府のみが朝鮮半島の正統な政府であるとの立場である。また、賠償問題も韓国との条約によって解決済みとの立場である。2002年(平成14年)の[[日朝首脳会談]]では、賠償権を相互に放棄し、日本が北朝鮮へ経済協力を実施する方法で合意したと発表されたが、その後、国交正常化交渉の停滞を招いている。背景には、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]や[[不審船事件]]などに対する日本の世論の反発や[[北朝鮮核問題]]などで孤立を深める北朝鮮の現状がある。日本は、現在これらを受けて[[経済制裁]]を北朝鮮に実施している。北朝鮮は、核カードを使ってアメリカから[[テロ支援国家]]指定の解除を引き出した。2012年(平成24年)4月、北朝鮮は自国憲法([[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]])に核保有国と明記した。軍事面では[[西日本]]を射程に収める[[短距離弾道ミサイル]]の[[スカッド]]ERを推定350発、日本のほぼ全域を射程に収める[[ノドン]]ミサイルを推定200発保有しており、日本の[[安全保障]]上深刻な脅威となっている<ref>[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36805?page=2 マスコミが伝えない中国の対日攻撃ミサイル 本当の脅威は北朝鮮の「銀河3号」ではない(2/5)] JBpress(Japan Business Press)</ref>。
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− | {{See also|日朝関係史}}
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− | {{ROK}}:建国当初より一般国民における[[反日感情]]が強く、[[朝鮮戦争]]中には韓国を支援するために[[警察予備隊]](現在の[[自衛隊]]の前身組織)の掃海部隊や港湾労働者を韓国に派遣するとともに日本国内での韓国軍([[大韓民国国軍]])の軍事訓練を受け入れるなどしたが、1952年(昭和27年)には韓国が一方的に[[李承晩ライン]]を宣言し[[竹島 (島根県)|竹島]]を占拠したことによって多くの日本人漁師が殺害・拿捕され、[[竹島問題]]が発生した。また、日本に潜入した工作員によって[[新潟日赤センター爆破未遂事件]]や[[金大中拉致事件]]などの事件が起こされている。[[四月革命 (韓国)|四月革命]]により[[李承晩]]独裁政権を打倒し軍事政権を樹立した[[朴正煕]]は国民多数の反発を押しきって[[日韓基本条約]]を締結し、日本との国交を樹立、日本から得た賠償金を[[経済成長]]の原資としたが、これを国民に隠蔽していたために後に[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下]]の[[植民地]]支配の賠償をめぐる紛争が起きる原因となった。韓国では近年まで[[韓国での日本大衆文化の流入制限|日本の大衆文化禁止政策]]が実施されていたが、[[金大中]]政権で日本の大衆文化の自由化が進められ、日本への親近感を抱く人々の増加も見られた。[[盧武鉉]]政権では当初は日本との融和姿勢を見せたものの、間もなく強硬な外交方針に転じ、日本との領土問題や歴史問題にも強硬姿勢で臨んだ。2005年(平成17年)、盧武鉉大統領はアメリカ政府に対して日本を[[仮想敵国]]として想定するように提案した<ref>https://www.j-cast.com/2012/07/03138027.html?p=all</ref>。政権時代後半には竹島問題などで「対日外交戦争」を公言し、[[小泉純一郎]]首相の[[靖国神社]]参拝などもあって日韓関係は冷え切っていた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/121222/kor12122210280003-n2.htm (下)「忍耐の人」朴槿恵 困難ではない、新たな対日決断] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/121222/kor12122210280003-n2.htm |date=20130101202630 }} 2012年12月22日 産経ニュース</ref>。[[李明博]]政権では、前政権で悪化した近隣諸国との関係を修復し、日本にも比較的穏健な姿勢で臨む方針を当初は見せたが、[[上皇明仁|天皇]]への謝罪要求や知的財産や漁業権の侵害や竹島問題など根本的な改善の兆しは見られなかった。[[大韓民国国軍|韓国軍]]は日本全土を射程に収める巡航ミサイル玄武-3ミサイルを配備している。これに伴い[[韓国での日本大衆文化の流入制限]]も徐々に制限を緩和しつつある<ref>在大韓民国日本国大使館 [http://www.kr.emb-japan.go.jp/people/rel/meeting/meet_20060321_8.htm 韓国政府による日本文化開放政策] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101114164721/http://www.kr.emb-japan.go.jp/people/rel/meeting/meet_20060321_8.htm |date=2010年11月14日 }} 2003.12.30</ref><ref>鈴木一司 [https://www.iist.or.jp/wf/magazine/0241/0241_J.html 韓国における日本大衆文化の開放] 2004年3月15日</ref>。2010年(平成22年)9月、日本の[[女性アイドルグループ]]である[[SKE48]]が日本語で歌唱する姿が韓国の地上波テレビで初めて生放送された。両国間で日韓[[犯罪人引き渡し条約]]を締結しているが、[[靖国神社]]に放火した犯人を政治犯として釈放したことについて、内閣総理大臣[[安倍晋三]]は「条約を無視する行為である」と述べ韓国側の対応を批判した<ref>{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130105/plc13010500230001-n1.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2013年1月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130105135952/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130105/plc13010500230001-n1.htm |archivedate=2013年1月5日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。
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− | {{See also|日韓関係史}}
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− | {{ROC}}:[[台湾]]([[中華民国]])は、[[日清戦争]]で[[大日本帝国]]に割譲されて以来[[第二次世界大戦]]終結まで50年間の[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]を経験している。第二次世界大戦後は[[国共内戦]]で[[中国共産党]]軍(現在の[[中国人民解放軍]])に敗北した[[中国国民党]]が[[1990年代]]まで独裁政治を敷いてきた。かつて日本は中華民国を中国の代表政権と見なしていたが、1970年代の日中国交正常化の際、日本は中華人民共和国を正当な国家として認定し、中華民国とは国交を断絶した。2020年現在も台湾を国家として承認しておらず、双方ともに大使館を配置しない代わりに民間の[[利益代表部]]を置く。なお、[[日中平和友好条約]]では台湾が自国領土の不可分の一部であると主張する中華人民共和国政府の立場について「十分理解し尊重する(understand and respect)」と表現されており、中国の主張を承知しつつも認めているわけではないという態度を取っている<ref>。[https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=141 台湾問題についての日本の立場-日中共同声明第三項の意味- | 日本国際問題研究所]</ref>。
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− | 1996年に[[総統民選期の中華民国|国民党一党独裁が解消され]]、その後は国民党と[[民主進歩党]]との二大政党である。日本統治時代を経験した多数派の[[本省人]]が親日的傾向が強いのに対し、政治的実権を握っていた少数派の外省人は、反日姿勢が強いと言われていたが、1990年代には本省人である[[李登輝]]が総統に就任するなど融和が進展した。[[安全保障]]面において台湾は、[[台湾関係法]]などを背景に[[アメリカ軍]]と密接な関係にあり、日米安保体制を維持する日本とも間接的な協力関係にある。1970年代以降、日台間でも[[尖閣諸島]]の領有問題があり係争も勃発したが、深刻な対立に至っていない。人的・経済的な交流は、一貫して盛んで、特に近年は李登輝政権以降の[[台湾本土化運動]]の結果として国民の親日姿勢が強まる傾向にある。2011年3月11日発生の[[東北地方太平洋沖地震]]・[[東日本大震災]]では、台湾から世界最多となる200億円超の義援金が日本に送金された。また、交通面において海外で初めて日本の[[新幹線]]システムの一部を採用した。
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− | {{See also|日台関係史}}
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− | ====東南アジア====
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− | 歴史的には日本と[[東南アジア]]地域との関係は[[朱印船貿易]]が盛んだった[[16世紀]]末から[[17世紀]]ごろまでさかのぼる。日本が[[鎖国]]をした[[江戸時代]]の間に、[[タイ王国]]を除けば東南アジア地域は欧米列強([[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[オランダ]]、[[フランス]])の植民地になっていった。第二次世界大戦では日本と同地域を植民地支配する欧米列強との交戦地となったために同地域の住民にも多数の犠牲を出した。しかし第二次世界大戦後に独立を果たした各国は日本と国交を結び、良好な友好関係を構築し、それを堅持している。[[タイ王国|タイ]]、[[フィリピン]]、[[マレーシア]]など経済的にも文化的にも関係が深く、互いの国民に対する感情も良いとされる。また、日本は、これら各国との経済関係を1970年代ごろから[[ASEAN]](東南アジア諸国連合)を通じて深めており、1997年から[[ASEAN+3]]に参加している。また[[自由貿易協定]] (FTA) の締結を模索している。[[自衛隊]]の[[国際連合平和維持活動|PKO]]としての派遣も、初の派遣が[[カンボジア]]へ、また[[東ティモール]]へも派遣された。[[東南アジア諸国連合]] (ASEAN) 諸国との間で定期的に首脳会談を行い、関係を重視している。また、この海域(特に[[マラッカ海峡]])は、中東から輸入した[[原油]]の9割近くが通過するなど非常に重要なルートであるが、[[海賊]]が頻繁に出没する。その対策として、[[海上保安庁]]が各国の[[沿岸警備隊]]に対して指導・共同訓練を行っている。天皇皇后がタイ、マレーシア、インドネシア、シンガポール、フィリピンを訪問している。
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− | {{THA}}:[[チャクリー王朝|タイ王室]]と[[皇室]]との関係も良好で、日本とタイの貿易結合度は第一位となっており、世界とタイとの平均的な結合度の4倍となっている<ref>{{cite news|url=https://www.nikkei.com/news/topic/article/g=96958A9C9381959FE3E3E2E0848DE3E1E3E0E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;q=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E4;p=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E1;n=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E2;o=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E3|title=日タイ貿易、日中に勝る緊密度(アジアBiz新潮流)|author=牛山隆一|newspaper=日本経済新聞|date=2010-12-13|accessdate=2010-12-14}}</ref>。
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− | {{See also|日泰関係史}}
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− | {{PHI}}:[[フィリピン]]の主要貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は中国や韓国との貿易も増えている。[[在日フィリピン人]]は、[[在日外国人]]として国籍別で第4位の人口を有する。[[16世紀]]には[[スペイン]]が当時の領有地だったフィリピンを対日貿易の拠点とし、日本を追放された[[高山右近]]も受け入れたが、[[江戸幕府]]の[[鎖国]]政策による外交関係の断絶とともに日本との交流は途絶えた。[[太平洋戦争]]では当時アメリカ自治領だったフィリピンに日本軍が侵攻し、現地住民を巻き込んで激戦地となった経緯があり([[フィリピンの戦い]])、戦後のフィリピンでは対日感情が悪かったが、経済支援などによって徐々に改善が進められた。
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− | {{VIE}}:1905年(明治38年)、[[フランス領インドシナ]]としてのフランス統治に反発するベトナム民族運動家達は[[日露戦争]]勝利後の日本に留学する[[東遊運動]]を行ったが、日本政府は1907年(明治40年)締結の[[日仏協約]]によって運動家を追放した。第二次世界大戦で[[フランス第三共和政]]が崩壊した後、日本は[[日中戦争]]([[支那事変]])の一環として1940年(昭和15年)に[[仏印進駐]]を北部に、1941年(昭和16年)には南部に実施したが、特に南部仏印進駐は同年12月の日米開戦を強く促した。1945年(昭和20年)3月に[[ベトナム帝国]]を成立させてフランスを排除した日本が同年9月に降伏すると、北ベトナムとして成立した[[ベトナム民主共和国]]、現在の[[ベトナム社会主義共和国]]は、[[ベトナム戦争]]において日本と安全保障面で協力関係にある[[アメリカ合衆国]]と交戦した[[ベトナム共産党]]による独裁政権であるが、同戦争では日本は直接参戦を行わなかった。ベトナム戦争終結前、まだ[[南ベトナム]]政府が残留していた1973年(昭和48年)には日本との国交を樹立し、日本はベトナムに多額の開発援助を続けてきた。近年も日本の[[国際連合安全保障理事会]](通称:国連安保理)への常任理事国参入をどのような圧力を受けたとしても支持すると表明するなど日本に協力的である<ref name="mofmachimura">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/bvc_05/gh.html 町村大臣のブルネイ、ベトナム及びカンボジア訪問 (概要と評価)] 外務省</ref>。一方、1975年のベトナム統一後に社会主義政策を嫌って[[ボートピープル]]となったベトナム難民([[インドシナ難民]])の一部を日本は受け入れている。2018年には15万人を超えるベトナム人労働者を技能実習生として受け入れており2019年に新設された在留資格である特定技能の覚書を交わすなど日本にとってベトナムは重要な労働者の供給地となっている<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46798490R00C19A7PP8000/|title=人材受け入れへ特定技能で覚書 日ベトナム 防衛装備品移転で交渉入り|accessdate=2019年10月22日|publisher=日経新聞}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASMB73WK1MB7UTIL01L.html|title=技能実習生、失踪したら賠償金 日本の監理団体が裏契約|accessdate=2019年10月22日|publisher=朝日新聞}}</ref>。
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− | {{See also|日越関係}}
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− | {{SIN}}:[[イギリス領マラヤ]]の中心都市だった[[シンガポール]]は1942年(昭和17年)に[[シンガポールの戦い]]によって[[イギリス軍]]を破った日本軍が占領すると[[昭南島]]と改称され([[日本占領時期のシンガポール]])、1945年(昭和20年)の[[日本の降伏]]まで軍事占領と華僑系を中心とした住民の抵抗が続いた。1966年(昭和41年)にシンガポールが[[マレーシア]]から追放されて分離独立すると日本は直ちに承認し、友好関係を維持した。2002年(平成14年)には[[日本・シンガポール新時代経済連携協定]]を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国である。
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− | {{CAM}}:旧[[フランス]]植民地のカンボジアでは、日本からは経済面での支援や[[地雷]]撤去の活動なども精力的に行われている。また、文化面でも[[クメール・ルージュ]]によって破壊・弾圧された[[仏教]]の施設や信仰の復興に、[[日本の仏教]]界が大きく貢献している。[[カンボジア]]は日本の常任理事国参入について不変の支持を行っている<ref name="mofmachimura"/>。一党独裁化を強め欧米から批判を受け支援を打ち切られているカンボジアに対し日本だけが支援をしており日本は経済支援と民主化の同時進行を促す立場をとっている<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/politics/news/190103/plt1901030014-n1.html|title=参院選視察で民主化理解を カンボジアの政党招待|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。しかし日本がカンボジアに選挙の資金援助した2018年の選挙ではカンボジア政府が最大野党の解体を決定、全議席が与党のものとなり民主化は逆行している<ref>{{Cite web|url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/08/post-10720.php|title=フン・セン独裁に手を貸す、日本のカンボジア選挙支援|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。
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− | {{IDN}}:旧[[オランダ]]植民地で、[[インドネシア独立戦争|独立]]の際に一部の日本人が関与したこともあり、親日派もいた一方、1960年代の政局の混乱のなか[[インドネシア共産党|共産党]]勢力の台頭に伴い中国等へ接近したが、1966年以降の[[スハルト]]体制は再び日本との関係を強めた。2001年の[[アメリカ同時多発テロ]]によって米国との関係が悪化し、2005年まで武器禁輸などの制裁を受けた。そのためロシアや中国との関係強化をすすめ、[[多極外交]]を展開している。日本との関係は良好で、[[LNG]]貿易をはじめ日系企業も多数進出し、また日本の[[政府開発援助]] (ODA) はハード[[インフラ]]整備に加え、市民警察活動促進計画<ref>インドネシアの警察に対する市民警察活動促進プロジェクトは、日本の[[交番]]システムなどをインドネシアにも導入し成果をあげたといわれる。[[草野厚]]『ODAの現場で考えたこと』日本放送出版協会 (2010/04)</ref> など統治能力支援(ガバナンス支援)や[[法整備支援]]<ref>知的財産権総局を対象とした[[知的財産]]に関する法整備支援 [https://www.jica.go.jp/publication/j-world/1005/pdf/tokushu_06.pdf] や、裁判所を対象とした法整備支援など(2009年まで)[http://www.moj.go.jp/housouken/houso_houkoku_indonesia.html インドネシア法整備支援]</ref> などソフトインフラ整備の支援も近年行っている。[[スマトラ島沖地震]]では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更に[[アチェ州]]へ[[海上自衛隊]]の艦艇を派遣した。防災システムの構築にも支援を行っている。
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− | ====アメリカ合衆国====
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− | {{USA}}:軍事・経済・政治すべてにおいて緊密な関係にある。[[黒船来航]]から始まる経済関係は、アメリカ合衆国の経済力を背景に大きなものであり続け、2006年(平成18年)まで最大の貿易相手国だった。太平洋戦争では、東アジア・西太平洋地域で4年間戦闘に至った末に降伏し、米軍を中心とした連合軍に占領された。アメリカ合衆国は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]](SCAP)を通して[[連合国軍占領下の日本|7年の占領統治]]で中心的な役割を果たした。日本は[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]にもとづき1952年(昭和27年)4月28日に[[主権回復の日|主権が回復]]するが、依然として[[在日米軍]]に自国の安全保障の大部分を依存している関係は続き、翌年には[[日米安全保障条約]]が締結されいわゆる「日米同盟」が成立した。アメリカ合衆国にとっても本土から遠距離にある極東地域に[[在日米軍|軍事基地用地]]を提供し、日本においては[[思いやり予算]]とも呼ばれる多額の軍隊駐留費用を負担する同盟国の存在は重要なものであり、強固な同盟関係が続いている。これについて反対運動、特に基地の地元住民の米軍基地反対運動と基地移転問題が外交問題に発展することもある<ref>[[沖縄県]]などで米軍の[[事故]]や[[強姦|レイプ]]・[[性暴力]]、[[強盗]]などの重大[[犯罪]]をきっかけに反対運動が加熱することがあり、しばしば政治的な課題として浮上する。「[[日米地位協定]]第24条」において、米軍の維持経費は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定されているが、2010年度(平成22年度)の在日米軍活動経費の日本の負担分総額は7146億円https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-29/2010092901_01_1.html</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116920080403016.htm?OpenDocument |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012年6月22日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130518021017/http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116920080403016.htm?OpenDocument |archivedate=2013年5月18日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。日米関係は親密であるがゆえに時として摩擦も大きくなることがあり、[[ジャパンバッシング]]のような現象が起きることがある。そして[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ合衆国政府]]の意向は、[[対日要望書]]などの形を通して[[日本国政府|日本政府]]に伝えられ、日本の政策決定に影響力を与える「[[外圧]]」となっているとされる。また、[[犯罪人引渡し条約]]を締結する数少ない国の一つである。
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− | {{See also|日米関係史}}
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− | ====オセアニア====
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− | [[オセアニア]]の中でも[[南洋諸島]]の各国は、かつて日本が委任統治領ないし占領地として統治下に置いていたこともあり、関係が比較的深い。[[ミクロネシア連邦]]では、日系人の[[トシオ・ナカヤマ]]や[[マニー・モリ]]が[[ミクロネシア連邦の大統領|大統領]]に選ばれている。[[パラオ]]は、かつて日系の[[クニオ・ナカムラ]]が大統領に就任し、一部の自治体で[[日本語]]が国の[[公用語]]として採用されている(実際に日本語を日常的に使用しているわけでなく、象徴的な意味合いが強い)などの経緯もあり、官民とも非常に親日的である。
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− | {{AUS}}:オセアニアで最大の影響力を持つ[[オーストラリア]]と非常に緊密な関係を築いている。日米豪の防衛首脳会談が行われたこともあり、経済、軍事、外交などで共同歩調を取る。2007年(平成19年)3月には、[[自衛隊]]と[[オーストラリア軍]]とが国際連合[[平和維持活動]](PKO活動)の共同訓練、反[[テロ]]活動、[[津波]]など地域災害に協力して当たることなどが盛り込まれた[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に調印した。これにより、日本にとって安全保障分野で正式な協力関係を結ぶ(アメリカに続く)2番目の国となる。
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− | {{See also|日豪関係}}
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− | ====ロシア・中央アジア諸国====
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− | 日本とロシアとの関係は1792年に[[アダム・ラクスマン]]が当時の[[ロシア帝国]]の使節として[[根室]](現在の[[北海道]][[根室市]])に来航したときにはじまる。[[江戸時代]]末期・[[幕末]]に[[江戸幕府]]との間で[[択捉島]]と[[得撫島]]の間を国境とする『[[日露和親条約]]』が締結された(日本ではこの条約を「北方領土」の固有性の根拠としている)。ラクスマン来航のときにすでにロシアは[[南下政策]]をとっており、[[中央アジア]]や[[コーカサス]]地域も征服しており[[社会主義]]革命でソ連([[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]])が成立してからもこれら地域はソ連の構成国として維持された。そのために、[[中央アジア]]の[[西トルキスタン]]諸国や[[コーカサス地方]]の国々との関係は1991年の[[ソ連崩壊]]後に本格化した。1997年(平成9年)に[[橋本龍太郎内閣|橋本政権]]が「[[ユーラシア外交]]」が提案されのちの政権も継承されることになった。しかし、2001年9月11日の[[米国]][[ニューヨーク]]での[[同時多発テロ]]以降は低調である。経済基盤の貧弱な国が多く、更に海に面していないために輸送コストなども掛かるなどの理由から、一部の希少な地下資源を除き、貿易などの経済的な関係も他地域と比べて活発と言えない状況にある。ただ、この地域に栄えた古代王朝や仏教遺跡の研究などの学術関係での交流は活発である。
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− | {{RUS}}:[[日露関係史|日露関係]]は断続的に関係が深まる時期をはさみつつも、対立の時期が長い。これはかつての帝政ロシアが伝統的に[[南下政策]]を取り、[[太平洋]]への出口を求めたため、通り道の日本との間に地政学的な対立構造があるからである。[[満州]](現在の[[中国東北部]])・[[朝鮮半島]]の支配権をめぐって1904年(明治37年)に勃発した日露戦争や、1917年(大正6年)に起こった[[ロシア革命]]に日本などの諸国が干渉して起こした[[シベリア出兵]]、[[第二次世界大戦]]終戦直前に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が[[日ソ中立条約]]を一方的に破棄して日本支配地域に侵攻した[[ソ連対日参戦]]などが起こってきた。日本の[[ポツダム宣言]]受諾([[日本の降伏]])による終戦後も[[南樺太]]と[[千島列島]]への侵攻を続け併合し、日本軍兵士を捕虜として連行して[[シベリア抑留]]をするなどの行為が日本の人々の反感を生み、1956年(昭和31年)の[[日ソ共同宣言]]で一応国交が回復した後も、[[冷戦]]の中で緊張関係が続いてきた。1986年(昭和61年)以降に関係の改善が進み、1991年の[[ソ連崩壊]]によりその外交権を継承したロシア連邦も比較的友好的な対日政策を取った。現在の日露両国の間では、経済的な交流も盛んだが、領土問題やそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題([[サハリン2]]を参照)なども生じており、その関係は円滑ではない。
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− | {{See also|日露関係史}}
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− | ====南アジア・西アジア====
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− | [[南アジア]]各国とは友好関係を維持している。6世紀とされる[[仏教公伝]]以来、日本の宗教・文化・政治に深く根ざした[[仏教]]([[大乗仏教]])の発祥地として古代インドは「[[天竺]]」の名で広く知られ<ref group="注">現在のインド共和国の領域とは少し異なる。</ref>、[[サンスクリット]](梵語)で書かれた仏教経典や哲学思想が広く流入した。また、16世紀後半からの南蛮貿易ではポルトガルがインド西海岸の[[ゴア州|ゴア]]に築いていた[[ポルトガル領インド]]植民地が重要な中継点となっていたが、南アジア諸国と日本の正式な外交関係は第二次世界大戦後の各国独立と日本の主権回復後に始められた。日本は「戦争による唯一の被爆国」であるということから([[日本への原子爆弾投下]])、[[核実験]]を実施した[[インド]]や[[パキスタン]]と距離を置いていた時期もあったが、近年、両国との関係が重視されるようになり、2006年(平成18年)に外務省アジア大洋州局に南部アジア部を新設した。宗教的な対立要因が存在していないため、両国間では特に厳しい対立関係にあるインド・パキスタン双方を含め、各国民の対日感情は比較的良好とされる。
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− | 一方、間に巨大な中国文化圏が存在し、7世紀以降に[[西アジア]]で広く信仰された[[イスラム教]]の日本伝播が20世紀まで非常に希で、政治・経済面でも戦前の日本が英仏統治下の西アジアに入る余地はなかったため、日本と西アジア地域はトルコやペルシア(1935年からイラン)との小規模ながら友好的な外交関係を除くと希薄なままだった。しかし、1950年代に日本が[[ペルシア湾]]周辺の油田についてイラン・[[サウジアラビア]]・[[クウェート]]などの湾岸諸国と相次いで協定を結び<ref>{{Cite web|url=https://www.noe.jxtg-group.co.jp/binran/table/index.html|title=石油産業年表|accessdate=2018-10-03|publisher=JXTGエネルギー株式会社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171212154241/http://www.noe.jxtg-group.co.jp/binran/table/index.html|archivedate=2017年12月12日|deadlinkdate=2020年2月}}</ref>、1960年代以降は原油輸入元の大半を中東諸国が占めるに至って<ref>{{Cite web|url=https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2014html/2-1-3.html|title=『エネルギー白書2014』「第2部 エネルギー動向 第1章 国内エネルギー動向 第3節 一次エネルギーの動向」|accessdate=2018-10-03|publisher=資源エネルギー庁}}</ref><ref>資源エネルギー庁の『平成25年度版(2014)白書』によると、日本の原油輸入における対中東依存度は1967年に最高の91.2%に達し、21世紀になってからも80%台を推移している。</ref>、日本経済の根幹に関わる「エネルギー外交」で中東諸国との関係が死活的に重要となった。近年では日本の自衛隊が中東地域での活動を行い、一方では日本人が犠牲になった殺害事件も起こるなど、西アジア諸国との関係は新たな段階に入っている。
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− | {{IND}}:19世紀後半以降、日本と[[イギリス領インド帝国]]は綿織物市場で激しい国際競争を続けたが、日露戦争での日本の勝利はインドの民族運動家に「アジアの解放」という希望を与えた。その後の日本が帝国主義政策を進めると、[[ジャワハルラール・ネルー]]はこれを批判したが<ref>対英独立闘争での収監中に娘の[[インディラ・ガンディー]]へ宛てた手紙を元にした著書『父が子に語る世界歴史』では、日本の朝鮮併合を批判している。</ref>、[[スバス・チャンドラ・ボース]]はその後も日本に期待し、第二次世界大戦で日英が開戦すると日本は「大東亜共栄圏」の一員としてボースによる[[自由インド仮政府]]設立を支援し、[[インパール作戦]]でインド侵攻を目指したが敗退した。しかし、日本の軍事行動がイギリスのインド統治に打撃を与えた事もあり、ネルー首相の下で1947年に独立したインドは「[[非同盟運動]]」を掲げながらも敗戦国日本への融和と支援を続けた。
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− | その後は[[インド国民会議]]派政権が非同盟を掲げながらソ連との軍事協力を重視し、国内でも国家統制や計画経済を基本とした「インド型社会主義体制」を取り、さらには1974年に核実験を実施した影響で、日本とインドの関係は知名度や距離の割には強くなかったが、1990年代のインド経済の市場化や[[インド人民党]]による政権交代などで、日本の経済進出が加速した。また、巨大化する中国を東西から挟む地政学的な理由もあり、今後関係が特に親密になると期待されている国のひとつで、近年の著しい経済発展や、[[情報技術]]での実績が注目されている。日本とインドは[[G4諸国|G4]]として共に行動する立場であり、2008年10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言([[日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言]])に署名し、日本にとって、アメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810222023008-n1.htm|work=産経新聞|title=日印首脳会談、安保共同宣言に署名|accessdate=2008-10-22|deadlinkdate=2018年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081202061800/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810222023008-n1.htm|archivedate=2008年12月2日}}</ref>。さらに2011年、日本とインドは関税を段階的に撤廃するFTA(自由貿易協定)を柱としたEPA(経済連携 協定)が発効<ref>{{Cite web|url=https://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/epa/epa/in/|title=日インドEPA 発効日:2011年08月01日|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。これが達成されれば、日本からインドへの輸出の約90%、インドから日本への輸出では約97%に相当する物品で、10年以内に関税がゼロになる。
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− | {{PAK}}:1998年の地下核実験から2005年4月まで援助を停止していた。しかし、[[自衛隊イラク派遣]]などで、安全保障の観点から中東への影響力が強いパキスタンの協力が必要と感じた日本政府は、当時の小泉純一郎首相が訪問したのを機に有償資金援助を再開した。
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− | {{BAN}}:1973年の独立以来世界最貧国の一つとも言われ、日本は、経済、保健、自然災害対策など多くの面で援助を行っている。また、日本と比べると非常に安い製造費での出荷が可能という点が着目され、アパレル産業を中心とした日系企業の進出が続いている。近年はバングラデシュの高度経済成長が続いているが<ref>{{Cite web|url=https://www.sankeibiz.jp/business/news/170923/bsg1709230500002-n1.htm|title=「日系企業、バングラデシュへの進出加速 低賃金で存在感 平均で中国の4分の1」、2017年9月23日付|accessdate=2018-10-03|publisher=Sankei Biz}}</ref>、その労働条件の劣悪さが非難される事もある<ref>{{Cite web|url=https://www.digima-news.com/20160108_2843|title=「H&Mやユニクロ、バングラデシュなどの縫製工場の労働環境改善に動き出す」、2016年1月8日付。|accessdate=2018-10-03|author=|website=「出島ニュース」|publisher=株式会社Resorz}}</ref>。
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− | {{AFG}}:日本は、[[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群]]の修復などに多額の援助を行っている。アメリカ合衆国が行った[[アフガニスタン侵攻 (2001)|武力攻撃]]を支持したが、部隊の派遣は、[[自衛隊インド洋派遣]]に留めている。
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− | {{IRN}}:日本と共に古代から続く領域国家で、8世紀に収められた奈良の「[[正倉院]]」の宝物庫には[[サーサーン朝]]ペルシアの影響を受けた文物も収められている。正式な国交樹立は[[パフラヴィー朝]]成立後の1926年まで遅れ、第二次世界大戦末期の1945年2月には英ソ両国に占領されたイランが対日宣戦を布告したが、1953年の国交回復後は石油輸入元の確保を求める日本側とイギリスからの石油利権奪回を狙うイラン側の利益が一致し、油田開発や反共主義外交で両国間の関係は緊密になった。1979年に[[イラン革命]]が成功してイスラム教による国家統治と強烈な反米主義を掲げるイラン・イスラム共和国が発足した後も両国は友好関係の維持を求めたが、続く[[イラン・イラク戦争]]やアメリカによる対イラン経済制裁の影響を受けてイラン・ジャパン石油化学(IJPC)プロジェクトが中止され<ref group="注">同プロジェクトの中心だった[[三井物産]]は、この撤退による損失を機に総合商社業界で首位の座を[[三菱商事]]に明け渡した。</ref>、その後も[[イランの核開発問題]]<ref group="注">2015年に最終合意がなされ、2018年にアメリカが離脱した核開発制限合意では、イランと最終合意文書を調印した国連安保理常任理事国の5カ国にドイツを加えた「P5プラス1」に日本は加わらず、その合意遵守を呼びかける立場を取っている。</ref>などが災いして、両国間の経済関係は現在でも双方の期待ほどには進展していない。
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− | {{IRQ}}:イラク戦争の後、自衛隊イラク派遣を行った。
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− | {{ISR}}:日本は、[[中東戦争|中東和平]]や[[パレスチナ問題]]に関して中立の立場であり、政府高官が訪問する際には、イスラエル・[[パレスチナ自治政府]]の双方と会談が設定される等、バランスが図られている。
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− | {{TUR}}:親日国の代表として紹介される国である。[[オスマン帝国]]末期の1890年の[[エルトゥールル号遭難事件]]が友好関係の起源としてしばしば取り上げられる。経済技術面での交流では日本の建設会社によって[[ボスポラス海峡]]に[[ファーティフ・スルタン・メフメト橋]]を建設したことが挙げられる。
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− | ====ヨーロッパ====
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− | 日本が[[明治維新]]において近代化の模範としたのが[[ロシア]]を含む[[ヨーロッパ]]、よりわけ[[西ヨーロッパ|西欧]]諸国であり、『[[脱亜入欧]]』(福沢諭吉)の造語にあるように、[[明治]]時代以降に日本が[[留学生]]の派遣、[[お雇い外国人]]の使用などで積極的に学問、技術、文化の摂取に努めた。第二次世界大戦以降、[[西ヨーロッパ]]を中心とする[[北大西洋条約機構]](NATO)諸国と間接的な同盟関係にある。また、[[皇室]]は、[[イギリス王室]]をはじめ、[[オランダ]]、[[スウェーデン]]、[[ベルギー]]などの[[ヨーロッパ]]各国の[[王室]]と深い友好関係を築いている。一方、特にオランダなどには、第二次大戦で交戦したことによる悪感情が一部に残っているとも言われる<ref>松尾美江「オランダ日系2世、父捜し―インドネシア駐留兵の子ら 平戸で交流会」『朝日新聞』2008年9月10日付朝刊(長崎)、31頁。</ref>。[[冷戦]]の終結によって「[[鉄のカーテン]]」が撤去されると[[東側諸国|社会主義陣営]]に属していた旧東欧諸国や[[バルト三国]]との交流も活発となり、当時の[[明仁|天皇明仁]]・[[上皇后美智子|皇后美智子]]が2002年(平成14年)に[[ポーランド]]、[[ハンガリー]]、[[チェコ]]を、2007年に[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]を訪問している(立ち寄りもふくむ)。
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− | {{FRA}}:[[日仏関係]]は、幕末には江戸幕府がフランスの軍制を採用するなど、交流が始まり、明治期には法制面で影響を受けた。政治・経済面よりも文化面での交流が深い点に特徴がある。江戸時代の日本の文化は「[[ジャポニズム]]」として[[印象派]]美術などフランス文化に影響を与えた。またフランス文化は、美術、音楽、食文化、文芸などの面で日本の近代化に大きな影響を与えた。近年ではサブカルチュアーの分野での交流が盛んである。
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− | {{GER}}:[[日独関係]]は、日本が近代化を進めるにあたって、イギリスおよびアメリカ合衆国との関係に次いで重要な役割を果たした。科学技術・音楽・法律・文芸などにおけるドイツの影響は、現在の日本にも色濃く残っている。第一次世界大戦で日本と当時の[[ドイツ帝国|帝政ドイツ]]は交戦国となり、勝利した日本はアジア・太平洋地域におけるドイツの利権を獲得する。第二次世界大戦で日本と[[ナチス・ドイツ]]は対ソ連を意識して[[日独伊三国軍事同盟]]を締結したが、同盟はついに実効的なものとはなり得ず、両国は互いに不本意ながら米英を敵に回し敗北するという結末となった。戦後は、共に焼け野原から奇跡の復興を果たした経済大国として平和的な関係となり、重要なパートナーとしてイギリスやフランスを凌ぐヨーロッパ最大の貿易相手国となった。さらに、政治の面でも共に常任理事国参入を目指すG4のパートナーとして行動する。
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− | {{UK}}:[[日英関係]]は、江戸時代前期の[[ウィリアム・アダムス|三浦按針]]に始まり、途中日本の鎖国や第二次世界大戦による中断をはさみながら長く続いている。特に強調されるのは19世紀後半から20世紀初頭の日本の近代化に果たしたイギリスの役割であり、イギリスは経済・文化・学術・政治・軍事のあらゆる面において日本に最も強い影響力があった。1902年(明治35年)、両国はロシアへの対抗として[[日英同盟]]を締結し、[[日露戦争]]や[[第一次世界大戦]]、[[シベリア出兵]]において相互に支援を行った。しかし、[[日中戦争]]([[支那事変]])と[[日独伊三国同盟]]によって両国は敵対することとなり、[[第二次世界大戦]]において交戦国となった。終戦後、イギリスは[[連合国軍占領下の日本|連合国の日本占領]]に参加した。占領終了後は、日本の[[皇室]]と[[イギリス王室]]の交流をはじめ、経済・文化面でも深い関係を築いている。
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− | {{BGR}}:[[日本とブルガリアの関係]]は、[[トドル・ジフコフ|ジフコフ]]国家評議会議長が二度来日するなど、社会主義時代から交流があった。大阪万博でブルガリア館がヨーグルトを展示して以降、日本ではヨーグルトの国として有名であり、[[明治ブルガリアヨーグルト]]はブルガリア政府から許可を得て国名が使用されている。
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− | ====中央・南アメリカ====
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− | 総じて[[ラテンアメリカ]]と呼ばれる地域とほぼ一致するアメリカ大陸の中南部は、日本が西欧諸国との接触を持った16世紀には既にスペインやポルトガルの支配下にあった。スペインは現在の中米諸国やフィリピンを含む[[ヌエバ・エスパーニャ]]を統治し、ここを通じて対日貿易の展開や[[慶長遣欧使節]]の受入などを行ったが、使節団の帰国時には江戸幕府の鎖国政策が強化されており、日本と同地域との交流は17世紀前半に一度途絶した。
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− | 19世紀後半に日本が開国し、続いて明治維新が起きた時、ラテンアメリカ地域は既にほとんどが独立していた。明治政府は江戸幕府がアメリカ合衆国や西欧諸国との間で結んだ「[[不平等条約]]」の解消に苦心する中、ラテンアメリカ諸国との平等条約締結による外交実績の強化に動き、メキシコを皮切りに次々と外交関係を樹立した。中南米諸国も農業労働力の確保に利点を見いだし、19世紀末から日本人移民の受入を開始した。ただし、この地域は[[モンロー主義]]以来、アメリカ合衆国が強い関心と影響力を維持しており、[[真珠湾攻撃]]で1941年に日本とアメリカが第二次世界大戦(太平洋戦争)に突入するとメキシコ以外の中米諸国は即座に、それ以外の国も1942年のブラジル・メキシコから1945年までに全て対日宣戦布告を行って、一部では[[日系人の強制収容]]やアメリカ合衆国への国外追放も実施した。戦後は日本がアメリカの強い影響下に入った事もあり、両地域の交流は再び強化され、日本企業の進出や日系人労働者の日本移入なども行われた。また、東南アジアの経済発展も取り込む[[環太平洋パートナーシップ協定]](TPP)に日本やメキシコ、ペルー、チリなどが参加し、同協定に不参加となったアメリカ合衆国を抜きにした独自の協力強化も進められている。
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− | [[中央アメリカ]](中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、[[キューバ]]などの[[社会主義国]]とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、[[ペルー日本大使公邸占拠事件]]でも日本の要請を受けたキューバが[[ゲリラ]]の[[亡命]]受け入れを受諾するなど協力した。
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− | [[南アメリカ]](南米)は、地理的に[[地球]]の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半から[[ペルー]]や[[アルゼンチン]]と深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、[[チリ]]との関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンや[[パラグアイ]]といった親日的な国も多い。
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− | {{BHS}}:1973年7月10日の独立から二日後の同27日に独立承認。1975年から外交関係が設立される。2011年に「脱税の防止のための情報の交換及び個人の所得についての課税権の配分に関する日本国政府とバハマ国政府との間の協定」が結ばれたが2017年1月に改定することが両国で実質合意した。(バハマはタックス・ヘイブンとして知られている)<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004184.html バハマ国との租税情報交換協定改正議定書の実質合意]</ref>
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− | {{MEX}}:中米諸国の中で最も関係が深い。幕末〜明治期の[[開国]]以降に結ばれた[[日墨修好通商条約]]は、それまで列強各国の[[不平等条約]]に苦難を強いられた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の[[大使館]]の中でも国政の中枢地区ともいえる[[東京都]][[千代田区]]・[[永田町]]に所在するのは、メキシコ大使館のみである。第二次世界大戦では1942年にメキシコが対日宣戦布告を行い、フィリピン戦線では日本軍とメキシコ軍が交戦したが、メキシコ政府は国内の日系人に対する強制収容は見送った。戦後の両国間の関係は良好で、多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。特に自動車産業はメキシコと接するアメリカ合衆国への輸出も盛んで、1994年に発効した[[北米自由貿易協定]](NAFTA)の恩恵も受けたが、自国産業や労働力の保護をアメリカ政府が取るとその影響を受ける環境にもある。
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− | {{PER}}:1872年(明治5年)に[[マリア・ルス号事件]]をきっかけに修交が始まった。多くの移民が渡航し、[[ラテンアメリカ]](中南米)で2番目に日系人口が多く、第二次世界大戦では日系人の逮捕とアメリカ合衆国への国外追放がラテンアメリカ諸国で最も多く行われた。1990年代に日系人である[[アルベルト・フジモリ]]([[スペイン語]]で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化し、[[在ペルー日本大使公邸占拠事件]]の強行解決にも成功したが、失脚の後、日本に亡命した。フジモリは出生時の日本国籍所持が有効と認められて[[参議院議員選挙]]に立候補した後にペルーに帰国して有罪判決を受けたが、娘の[[ケイコ・フジモリ]]は2度にわたり大統領選挙で惜敗するなど、日本及び日系人の存在感は今でも強い。フジモリ派と近い[[ペドロ・パブロ・クチンスキ]]政権はTPP参加を決めるなど、日本との関係を重視している。
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− | {{ARG}}:1898年(明治31年)、当時の[[ロシア帝国]]との戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ[[春日 (装甲巡洋艦)|春日]]、[[日進 (装甲巡洋艦)|日進]]として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が開始された。また、[[フォークランド諸島]]の領有権を巡って勃発したイギリス対アルゼンチンのマルビナス戦争([[フォークランド紛争]])の最中、アメリカ政府やイギリス政府などからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を実施しないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。
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− | {{BRA}}:約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり([[日系ブラジル人]])、政治・経済面のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を維持している。特に、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が開催し始めて以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、G4として共に国連安保理常任理事国参入を目指していることもあり、国際政治上で連携することも多い。
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− | ====アフリカ====
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− | [[アフリカ]]諸国は、日本とは歴史的に関係が少なかった。主に日本からアフリカ諸国への開発援助と、アフリカ諸国からの地下資源や農水産物の輸入と日本からの工業製品の輸出という貿易関係が多い。
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− | 1993年から、ODAなどの経済支援を含む経済的・人的な交流を深める目的で、日本、国際連合、[[アフリカのためのグローバル連合]]、[[世界銀行]]が共催し、[[アフリカ開発会議]] (TICAD:Tokyo International Conference on African Development) を開始した。
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− | 近年、アフリカ諸国に大使館を増設するなど関係強化に乗り出している。
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− | [[サッカー]]など[[スポーツ]]の分野においては、アフリカ諸国の選手団を日本に招待した試合が行われており、良好な関係を築いている。
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− | {{RSA}}:[[アパルトヘイト]](人種隔離政策)で世界から孤立していた時代にも、多数の日本企業が進出して比較的密接な関係を築いていた。このため、国際社会から厳しい非難を浴びていた時期に、日本人は同国から「[[名誉白人]]」(国連から非難決議を受けた)の扱いを受けていた。
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− | ====BBC国際世論調査====
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− | {|class="wikitable" style="border:1px black;float:right;margin-left:1em;"
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− | |<div style="width:380px;height:24px;font:11pt 'Meiryo';text-align:center">{{flagicon|JPN}} 日本の影響力について (2012 BBC Poll<ref name="bbc_pole_2012">https://globescan.com/images/images/pressreleases/bbc2012_country_ratings/2012_bbc_country%20rating%20final%20080512.pdf</ref>)</div>
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'"></div>
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− | |<div style="width:20px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000"></div>
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">肯定的</div>
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− | |<div style="position:relative;left:150px;width:20px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000"></div>
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− | |<div style="position:relative;left:150px;width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">否定的</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagicon|ナイジェリア}}</div>
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− | |<div style="width:240px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">80</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:30px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">10</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|インドネシア}}</div>
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− | |<div style="width:231px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">77</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:54px;width:15px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">5</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|アメリカ}}</div>
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− | |<div style="width:222px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">74</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:24px;width:54px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">18</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|カナダ}}</div>
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− | |<div style="width:216px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">72</div>
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− | |<div style="position:relative;left:36px;width:48px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">16</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|イギリス}}</div>
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− | |<div style="width:210px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">70</div>
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− | |<div style="position:relative;left:39px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">17</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ケニア}}</div>
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− | |<div style="width:204px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">68</div>
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− | |<div style="position:relative;left:51px;width:45px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">15</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|フランス}}</div>
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− | |<div style="width:198px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">66</div>
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− | |<div style="position:relative;left:30px;width:72px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">24</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:6pt 'Meiryo'">{{flagu|オーストラリア}}</div>
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− | |<div style="width:195px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">65</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:36px;width:69px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">23</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|スペイン}}</div>
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− | |<div style="width:186px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">62</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:63px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">17</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ブラジル}}</div>
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− | |<div style="width:180px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">60</div>
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− | |<div style="position:relative;left:54px;width:66px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">22</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ドイツ}}</div>
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− | |<div style="width:174px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">58</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:39px;width:87px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">29</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|チリ}}</div>
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− | |<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">57</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:93px;width:36px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">12</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ペルー}}</div>
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− | |<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">57</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:87px;width:42px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">14</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
| |
− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|エジプト}}</div>
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− | |<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">57</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:84px;width:45px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">15</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ロシア}}</div>
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− | |<div style="width:162px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">54</div>
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− | |<div style="position:relative;left:108px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">10</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|ガーナ}}</div>
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− | |<div style="width:144px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">48</div>
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− | |<div style="position:relative;left:126px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">10</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|インド}}</div>
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− | |<div style="width:132px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">44</div>
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− | |<div style="position:relative;left:135px;width:33px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">11</div>
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− | {|
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|メキシコ}}</div>
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− | |<div style="width:132px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">44</div>
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− | |<div style="position:relative;left:90px;width:78px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">26</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|日本}}</div>
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− | |<div style="width:123px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">41</div>
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− | |<div style="position:relative;left:150px;width:27px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">9</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|パキスタン}}</div>
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− | |<div style="width:123px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">41</div>
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− | |<div style="position:relative;left:126px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">17</div>
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− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|韓国}}</div>
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− | |<div style="width:114px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">38</div>
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− | |<div style="position:relative;left:12px;width:174px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">58</div>
| |
− | |}
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− | {|
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− | |-
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− | |<div style="width:60px;height:11px;font:7pt 'Meiryo'">{{flagu|中国}}</div>
| |
− | |<div style="width:48px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#ffffff">16</div>
| |
− | |<div style="position:relative;left:63px;width:189px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt 'Times New Roman';color:#000000">63</div>
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− | |}
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− | |}
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| |
− | [[イギリス]]の[[公共放送]][[英国放送協会|BBC]]による国際世論調査では、好ましい国の上位に挙げられている。2013年実施の調査結果では好ましい国の4位となっているが、大韓民国、中華人民共和国からの評価は低い<ref name="bbc_pole_2012"/>。
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| |
− | ====領土問題等====
| |
− | 以下の[[領有]]を巡る領土問題等を抱える。
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− |
| |
− | ;日本政府が「解決すべき領土問題」と認識して国際的な了承を得ているもの
| |
− |
| |
− | ;北方地域
| |
− | [[File:Northern-Territories-of-Japan-Map-日本の北方領土の地図.png|thumb|[[歯舞群島]]、[[色丹島]]、[[国後島]]、[[択捉島]]]]
| |
− | :{{Main|北方領土問題}}
| |
− | :第二次世界大戦の終結が決定的となる日本によるポツダム宣言の受諾(1945年8月14日)後、1945年8月28日から9月5日にかけ、大戦前から日本が領有していた千島列島(ロシア名:クリル諸島)に日ソ中立条約の破棄を通告したソ連軍が侵攻し占領した。以後、ソ連を承継した[[ロシア連邦]]が現在に至るまで実効支配している。
| |
− | :ロシア(ソ連)は、戦争で獲得した領土と主張する。一方、日本は、北方地域([[歯舞群島]]・色丹島・国後島・択捉島)をその固有の領土として返還を求めている。ロシアは、歯舞群島・色丹島について日ソ共同宣言を根拠に日本への将来の返還を示唆している。日本は、択捉島・国後島を含む4島の一括返還を求め、これを拒否する。また、日本は、択捉島と[[得撫島]]との間での国境の確定にロシアが同意すれば、引き続きロシアによる統治を認める旨を提示したが、ロシアが拒否した。2007年にロシアが「面積二分割」案を提示した。現在、解決の目処が立っていない。樺太・千島列島を日本領と主張する有識者、団体も存在し、日本共産党は、千島列島の全域を日本の領土と主張する(ソ連による千島の占領が[[カイロ宣言]]等で示された連合国の「領土不拡大」原則に反し、違法であるとの理由から)ほか、一部では南樺太ないし樺太(全域)(サハリン)の返還も主張される。日本側は南樺太と千島全島はロシアとの間に領有権未定だと主張している。
| |
− |
| |
− | ;相手国政府は「領土問題」はないと認識しているが、日本政府が「解決すべき領土問題」と認識しているもの
| |
− | ;竹島(韓国・朝鮮名:独島)
| |
− | [[ファイル:Shimane Goko-vill Takeshima.png|thumb|竹島(韓国名:独島)の位置]]
| |
− | :{{Main|竹島}}
| |
− | :日本の島根県・[[隠岐島]]から北西約157km、大韓民国の[[慶尚北道]]・[[鬱陵島]]から約92kmに位置する、2つの岩礁からなる小島である。日韓が領有を主張(韓国を朝鮮民主主義人民共和国も支持)して対立する。
| |
− | :韓国併合以前、[[大日本帝国]]と[[大韓帝国]]と、どちらの領土だったかを巡る議論に帰する。日本の国内法上、1905年の[[閣議決定]]・島根県[[告示]]によって編入された。これについて韓国は、「秘密裏に、また強制的に行われたものであり、法的根拠は持たず無効である。」と主張するが、日本は、「[[国際法]]に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」と主張する。韓国は、独立から間もなく李承晩ラインを一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民を[[拿捕]]して[[釜山広域市|釜山]][[収容所]]に抑留したのみならず、[[第一大邦丸事件]]など漁船を相次いで銃撃し、多数の死傷者を出した。その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年に李承晩ラインが廃止された<ref>1996年2月29日、[[毎日新聞]]記事より。</ref>。
| |
− | :1954年7月に[[大韓民国海軍|韓国海軍]]が占拠し、現在、[[独島警備隊]]が引き継いで駐屯する。これに対して日本は、韓国による不法占拠として抗議し続け、また、1954年と1962年に[[国際司法裁判所]]への付託を提案したが、韓国は、これに同意しない。
| |
− | :韓国民にとって独立の象徴と考えられていること、周辺の海域が豊かな漁場であること、また、莫大な[[メタンハイドレート]]や海底油田の埋蔵が推測されること、などが解決を難しくしている。
| |
− | :1965年の日韓基本条約の締結の際には日韓の実力者交渉で「竹島爆破」による領土問題の解消も囁かれたものの至らず、条約締結以降は外交的配慮で日本側からの提訴は控えられ、民主党政権では政府見解から「不法占拠」の表現が曖昧になるなど引け目になっていたが、2012年に李明博大統領による韓国トップとしては初の竹島上陸が強行されたことに対する世論の批判を受けた形で3度目の提訴が予定されている。
| |
− |
| |
− | ;日本政府は「領土問題はない」と認識しているが、外国から領有権の主張がなされているもの
| |
− | {{Location map
| |
− | |Japan Ryukyu Islands
| |
− | |lat=25.77
| |
− | |long=123.53
| |
− | |label=尖閣諸島
| |
− | |label_size=
| |
− | |position=right
| |
− | |background=
| |
− | |mark=
| |
− | |marksize=
| |
− | |width=200
| |
− | |float=
| |
− | |border=
| |
− | |caption=尖閣諸島の位置(座標は[[魚釣島]])
| |
− | |alt=
| |
− | |AlternativeMap=
| |
− | }}
| |
− | ;尖閣諸島(中国名:釣魚台列島など)
| |
− | :{{Main|尖閣諸島問題}}
| |
− | :1895年(明治28年)に、当時の[[第2次伊藤内閣]]([[伊藤博文]]首相)が「[[尖閣諸島]]を日本の領土に編入すること」を閣議決定している。[[第二次世界大戦]]後は、[[沖縄県]]([[琉球諸島]]および[[大東諸島]])の一部としてアメリカ合衆国の[[施政権]]の下にあった。[[沖縄返還]]時に、施政権が日本に返還されて以降、現在まで日本が実効支配するが、その他に[[中華人民共和国]](中国)政府および[[中華民国]]([[台湾]])政府がそれぞれ自国の領有を主張する。日本政府は「日本固有の領土にして統治されている尖閣諸島に領土問題は存在しない」という見解を示している。上の経済水域の問題や中台間の問題も絡み、複雑化の様相を呈する。アメリカ合衆国との沖縄返還交渉および1970年代初頭の東シナ海における天然ガス発見を機に、表面化した。中台に対抗し、度々、日本の右翼団体が上陸して灯台を建設(現在、日本政府が管理)するなどした。2005年、台湾の漁民が海上保安庁による取締に対して海上で抗議デモを行った。2002年からは政府が私有地を借りる形で管理し2012年には国有化されており、許可なく民間人の立ち入りが出来ない状況であるが、近年の中国人活動家による領海侵犯・不法上陸に対する政府の対応の甘さを指摘する世論の反発を受けている。
| |
− |
| |
− | ;その他
| |
− | :領土問題に準じる、いくつかの問題がある。
| |
− | :;日中間の排他的経済水域
| |
− | [[ファイル:East China Sea natural gas field problem (China - Japan) NT.PNG|thumb|1.平湖ガス田<br>2.断橋ガス田<br>3.天外天ガス田<br>4.春暁ガス田<br>5.日本が主張するEEZ境界線<br>6.中国が主張するEEZ境界線]]
| |
− | ::{{Main|東シナ海ガス田問題}}
| |
− | ::中華人民共和国(中国)との間における、東シナ海で両国が主張する排他的経済水域の範囲の違いに起因する。日本は、両国の国境の中間線を境界線として主張し、中国は、ユーラシア大陸の大陸棚部分を自国の領域と主張する。国際的には、日本の主張が優勢であるが、中国と同様の主張をする国も存在し、現在、平行線を辿る。
| |
− | ::近年、この問題が重要化したのは、この海域の地下に豊富な[[天然ガス]]の存在が明らかになったためである。中国は、天然ガスを採掘するプラント(春暁ガス田)を日本が主張する境界の近辺(中国側)に建設するなど強硬な姿勢を取る。これに対して日本は、日本側の資源も採掘される可能性があるとして抗議し、また、この海域での[[鉱業権#鉱業権の種類|試掘権]]を設定し、日本の企業が取得した。日本が国際司法裁判所に判断を委ねようとする立場なのに対し、これに同意しない中国は、両国での共同開発を提示するが、日本は、これを中国に有利な条件と認識するなど、依然、解決の糸口が見えない。
| |
− |
| |
− | :;沖ノ鳥島
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− | ::[[サンフランシスコ講和条約]]においては[[沖ノ鳥島]]の存在が明記されているため、締結国と日本の間に問題は存在しない。[[日韓基本条約]]はサンフランシスコ講和条約の関係規定を想起し条約を締結することに決定と規定されているが、韓国政府は2009年(平成21年)以降沖ノ鳥島を岩だと主張している<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-237.pdf</ref><ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_1.pdf</ref>。
| |
− | ::日本政府は1931年(昭和6年)7月の[[第2次若槻内閣]]([[若槻禮次郎]]首相)での[[内務省 (日本)|内務省]]告示以来、沖ノ鳥島を島として支配しそれを継続していること、また、国連海洋法条約において島の定義が存在しないことを理由として、沖ノ鳥島を「島」であるとしている<ref>{{Cite web|date=|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/hodokan/hodo1001.html|title=報道官会見記録(要旨)(平成22年1月)|publisher=外務省|accessdate=2012-04-28}}</ref>。それに対して中国政府および韓国政府は、沖ノ鳥島に関する日本の権利を容認しながらも{{要出典|date=2016年5月}}、国連海洋法条約121条3項における「岩礁」の定義に基づいて沖ノ鳥島は岩礁であると主張しており、沖ノ鳥島を起点に設定される日本の[[排他的経済水域]](EEZ)については容認していない。
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− | :;日本海の呼称
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− | ::{{Main|日本海呼称問題}}
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− | :;与那国島上空の[[防空識別圏]]
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− | ::{{See also|与那国空港#防空識別圏問題}}
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− | ::与那国島の西2/3が、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|沖縄のアメリカ統治期]]に東経123度線に沿って設置された防空識別圏(ADIZ、アディズ)を引き継いでいるため、[[中華民国]]([[台湾]])政府の管理下にある。現在、両国の関係が良好であるために情報の交換もスムーズだが、[[台湾有事]]において防衛上の重要な問題となる可能性が高い。2005年末から2006年にかけて台湾が防空識別圏から与那国島を除外して運用していたことも判明しているが、特に両国で取り決められたわけでもなく、曖昧なままである。
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− | ::2010年(平成22年)6月25日、日本は[[菅内閣]]([[菅直人]]首相)下で「[[防衛省]]訓令改正」により防空識別圏を与那国島上空にも拡大した。台湾には外交ルートを通じて説明した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100526/plc1005261712008-n1.htm 与那国島沖に拡大 防空識別圏、台湾に説明] - [[産経新聞]] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100529174412/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100526/plc1005261712008-n1.htm |date=2010年5月29日 }} 2010年5月26日</ref> が、台湾の外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明<ref>[https://www.asahi.com/international/update/0529/TKY201005290262.html 台湾が「遺憾」 与那国島付近の防空識別圏見直し] - [[朝日新聞]] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100531145748/https://www.asahi.com/international/update/0529/TKY201005290262.html |date=2010年5月31日 }} 2010年5月29日</ref>、日本の決定を受け入れないとしている。
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− | :;[[南樺太]]・[[千島列島]]の放棄後帰属問題
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− | ::南樺太および千島列島は、[[大日本帝国]]時代、いわゆる「[[内地]]」であったが、[[サンフランシスコ講和条約]]で日本は領土を放棄した。しかし、ソ連・ロシアとは[[北方領土問題]]のみ解決などから領有権を認めず、「未帰属」後として扱った。しかし、ロシアが実効支配しており、マスコミでも日本語名称は使用されなくなりつつある。(樺太→サハリン、豊原→ユジノサハリンスク、等)
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− | ::当時[[ソ連対日参戦|ソ連の対日宣戦]]布告が違法とする立場や、ソ連(ロシア)がサンフランシスコ講和条約を批准していないことを根拠に、「主権残留説」も出ており、一部の論者はこれらの地域の領有権を主張している。また、それとは別に[[日本共産党]]が「[[千島列島]]返還」を主張している。[[維新政党・新風]]は南樺太と千島列島の全域が日本領であるとしている。
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− | ::日本政府はこれらの問題について、「未帰属」(=未解決)としており、ロシアとの平和条約が締結された後で解決するとしている。
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− | :;台湾の放棄後帰属問題
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− | ::日本は台湾の領有権を放棄したが、いまだに中華人民共和国の領土とは、認めていない。一時は中華民国に割譲したが、今の日本政府は中華民国を「合法政府」とは認識しておらず、台湾の地位については、「発言する立場にない」としている。
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− | ::台湾の主権が日本に残留している、あるいは、台湾の帰属は台湾住民の意思によって決定するべきである、という意見もある。
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− | :;韓国の反日過激派による[[対馬]]の領有権主張問題
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− | ::大韓民国には、対馬は韓国領であると主張する、一部の過激派が存在する。
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− | ::しかし、韓国政府もそのような主張は、決して承認しておらず、日韓の右派団体同士による衝突を除けば、国際問題にはなっていない。
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− | <!--
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− | 北方領土や竹島の例は、武力による国際紛争の解決を憲法で放棄したことの理不尽さと無力さを証明する良い例である。実際に、単に主張して話し合いしているだけでは、主張が平行線のままで、半世紀以上たっても解決できていない。おそらく、今後も解決することはないだろう。尖閣諸島の実効支配について過激に反応する人がいるが、一度外国に実効支配を許してしまえば、現在の憲法下では、返還を実現することが著しく困難であることが背景にある。
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− | ====渡航する日本人====
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− | ;安全
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− | :近年、海外への渡航の増加に伴い、犯罪に巻き込まれるケースも増えている。特に[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、爆破や拉致・監禁事件なども多発し、有名な例としては、[[イラク日本人人質事件]]、[[アフガニスタン日本人拉致事件]]、[[アルジェリア人質事件]]では武装勢力に殺害される事件も2013年に起きた。また、2002年に[[ニューカレドニア]]のリゾート地で現地の風習・文化をよく知らずに[[聖地]]とされる場所に無断で侵入したために地元民に殺害される事件も発生した。
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− | :世界的に最も良い方である[[日本の犯罪と治安|日本の治安]]、例えば殺人の発生率が低い順に第3位(2000年〔[[平成]]12年〕)であることなど、日本人が日本での治安の感覚と同じように海外で行動すると、その感覚の大きな隔たりから犯罪に巻き込まれることがある。
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− | ;[[マナー]]
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− | :米最大手の旅行ウェブサイトである[[エクスペディア]]が行ったアンケート調査で、「行儀がいい」、「礼儀正しい」、「物静かで慎ましい」、「クレーム・不平が少ない」の各分野で1位を獲得するなど、2位のアメリカ人を大きく引き離して1位となった<ref>{{Cite web|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0705/29/news077.html|work=ITmedia|title=日本人は「世界一歓迎される観光客」|accessdate=2007-5-29}}</ref>。
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− | :一方、以下のような事例も存在する。<!--
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− | :*[[タイ王国|タイ]]や[[フィリピン]]など[[東南アジア]]で日本人を含む先進国からの[[旅行]]者による[[児童買春]]が問題視される。日本では、国内外を問わず5年以下の懲役などを科す[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]が制定されているが、国外での行為が現地における日本・日本人に対する[[イメージ]]を大きく損なっている。-->
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− | :*2008年11月26日、[[北海道栄高等学校]]の生徒21名(当時)が[[修学旅行]]中に立ち寄った米国[[カリフォルニア州]]・[[ロサンゼルス]]の空港内にある免税店で高級ブランド品の集団[[万引き]]を行い、アメリカのメディアで大きく報道された。
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− | == 治安維持 ==
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− | === 対内 ===
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− | [[ファイル:Jidai Matsuri 2009 004.jpg|thumb|国内の治安維持活動を行う[[日本の警察|警察]]]]
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− | {{Main|日本の警察|日本の犯罪と治安|日本の刑事司法}}
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− | 国内の治安維持は、主に[[警察]]が担う。警察の機構は、[[内閣府]]の一機関たる[[国家公安委員会]]とこれに属する[[警察庁]]、そして各都道府県の[[公安委員会]]・[[警察本部]]による二層構造であり、後者の下部組織たる[[警察署]]、更に日本発祥の[[交番]]の存在が地域の安全を担う。交番は地域に根ざして、小ブロックの担当地域を効率的かつ濃密に警備できる。日本の警察は[[特殊急襲部隊|SAT]]等をも擁する文民警察である。
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− | 警察以外では、[[沿岸警備隊]]の機能を有する[[海上保安庁]]が[[国土交通省]]の[[外局]]として、また、[[国境警備隊]]の機能の一部を担う[[法務省]][[出入国在留管理庁]]([[入国警備官]])や[[財務省 (日本)|財務省]]の[[税関]]([[税関職員]])、あるいは、特に[[薬物乱用|薬物犯罪]]を専門に管轄する[[厚生労働省]]の各[[地方厚生局]][[麻薬取締部]]([[麻薬取締官]])などが、それぞれ設置されている。
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− | [[銃砲刀剣類所持等取締法]]により、[[銃]]・[[刀剣]]などの[[武器]]の所持を厳しく規制している。[[国連薬物犯罪事務所]]の統計によれば、国連加盟192国の内、犯罪・刑事司法の統計を報告している国の中で、殺人、誘拐、強制性交、強盗などの暴力犯罪の発生率が著しく低い<ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Fifth Survey (1990 - 1994)|url=http://www.uncjin.org/Statistics/WCTS/WCTS5/wcts5.html|accessdate=2008年8月26日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090729012918/http://www.uncjin.org/Statistics/WCTS/WCTS5/wcts5.html|archivedate=2009年7月29日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Sixth Survey (1995 - 1997)>Sorted by variable|url=https://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Sixth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Seventh Survey (1998 - 2000)>Sorted by variable|url=https://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Seventh-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Eighth Survey (2001 - 2002)>Sorted by variable|url=https://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Eighth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Ninth Survey (2003 - 2004)>Values and Rates per 100,000 Total Population Listed by Country|url=https://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Ninth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref>。その理由については、制度的な要素、社会的な要素、日本人の遵法意識の高さなど諸説あるが、その一つとして厳しい[[銃規制]]も挙げられる。但し、[[イギリスの銃規制]]に見られるように日本と同等ないし罰則だけなら日本よりも厳しいのにもかかわらず、殺人事件に占める銃の使用される比率が日本の倍を超える国が存在するなど、銃規制のみが治安維持に貢献しているわけではない。
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− | [[ファイル:Tokyo Detention House march4-2014.jpg|thumb|[[東京拘置所]](東京都[[葛飾区]])]]
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− | [[刑務所]]および[[拘置所]]は法務省が管理し、[[刑務官]]が実務を担う。
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− | === 対外 ===
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− | {{Main|日本国憲法第9条|日本の軍事|有事法制|防衛省|自衛隊|自衛隊法|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米地位協定|文民統制}}
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− | <!--ページ軽量化のため一部上項目へ移転しています-->
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− | [[File:DDH-183いずも型護衛艦.jpg|thumb|[[いずも (護衛艦)|護衛艦・いずも]]、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)]]
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− | 日本の防衛組織として自衛隊が存在する。自衛隊は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ために設置され、事実上の[[軍隊]]として機能し<ref group="注">事実上の軍隊として機能しているが、憲法第9条との兼ね合いから正式な国軍化がされておらず、政策的な制約が多く存在する。憲法が特別裁判所の設置を禁じているため、軍法会議も有しない。しかし、[[ハーグ陸戦条約]]が定めるところの交戦資格を持つ団体の条件を有しており、国際的に軍隊として扱われる。装備や編成も軍隊に準じており、各種制約を加味しても事実上の軍隊と見做されている</ref>、[[陸上自衛隊]]・[[海上自衛隊]]・[[航空自衛隊]]から構成され、内閣総理大臣と[[防衛大臣]]による[[文民統制]](シビリアン・コントロール)の下、[[防衛省]]によって管理される。また、事実上の[[準軍事組織]]として[[沿岸警備隊]]たる[[海上保安庁]]が存在するが、海上保安庁での対処が困難な事態が発生した場合、主に海上自衛隊が担当する。
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− | 大日本帝国憲法の[[統帥権]]を根拠に旧[[日本軍]]が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から[[自衛隊海外派遣]]は長らく行われてこなかったが、[[自衛隊ペルシャ湾派遣]]や[[自衛隊カンボジア派遣]]を契機に開始された。現在では、海外派遣任務は自衛隊の主要任務となっている。
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− | 第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の[[戦闘]]を経験していない。連合国軍の占領下にあった1950年、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊([[日本特別掃海隊|特別掃海隊]])が派遣されたことがあり、死傷者も出している。[[富士総合火力演習]]やその他の公開演習などを通じて高い練度を評価されることも多いが、他国の軍隊や[[民兵]]組織と交戦に至った経験はなく、実際の戦闘においての能力は、未知数である。
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− | 日米安全保障条約に基づき、在日米軍が駐留する<ref>日本有事の際米軍は自動参戦ではない。米軍はアメリカ大統領命令により軍事行動を開始するが、大統領命令から二ヵ月を経過した場合、米軍の活動継続には米国議会の同意が必要となる。最初の大統領命令、そして二ヵ月経過後議会の同意がなければ、米軍による日本の防衛は行われない。田母神俊雄 『田母神国軍』ISBN 978-4819111164</ref>。
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− | (イギリスの経済紙・[[エコノミスト]]の調査部門である[[エコノミスト・インテリジェンス・ユニット]]が平和の指標として24項目を数値化する)「[[世界平和度指数]]」の2009年度版によると、戦争・内戦・テロ、それによる死傷者が無く、軍事費のGDP比が低く、犯罪率が低いことなどから、[[ニュージーランド]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[アイスランド]]、[[オーストリア]]、スウェーデンに次いで7位に評価され、2010年には3位とされている<ref>[http://www.visionofhumanity.org/gpi/about-gpi/methodology.php Vision of Humanity>Global Peace Index - Methodology and Data Sources] {{Wayback|url=http://www.visionofhumanity.org/gpi/about-gpi/methodology.php |date=20090918130714 }} 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[http://www.visionofhumanity.org/gpi/results/rankings.php Vision of Humanity>Global Peace Index] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100521063923/http://www.visionofhumanity.org/gpi/results/rankings.php |date=2010年5月21日 }} 2009年10月6日閲覧</ref>。ただ、この指標にはアメリカに防衛を依存している日本などに対し有利な計算方法との指摘が出ている。
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− | <div style="text-align:center"><gallery>
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− | ファイル:JGSDF 22nd Inf. official.jpg|陸上自衛隊
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− | ファイル:US Navy 051115-N-8492C-125 The Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF) destroyer JDS Kongou (DDG 173) sails in formation with other JMSDF ships and ships assigned to the USS Kitty Hawk Carrier Strike Group.jpg|海上自衛隊
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− | ファイル:Mitsubishi F-2 landing.JPG|航空自衛隊
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− | </gallery></div>
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− | ====要員・装備・予算====
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− | 以下のような政策・傾向を継続している。
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− | #防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しく低水準に抑えられている。
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− | #[[兵士|兵員]]・[[戦車]]・[[作戦機]]・[[軍艦]]の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国(アメリカ)の能力によって補完する。
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− | #近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な[[軍縮]]でなく、単独で一方的・自主的に軍縮する。
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− | [[ストックホルム国際平和研究所]] (SIPRI) の統計によると、以下の通りである。
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− | #[[国内総生産]](GDP)に対する軍事費の割合ランキングは、世界の150位前後である<ref>[http://milexdata.sipri.org/ SIPRI>Databases>sources and methods>SIPRI military expenditure database on line>SIPRI Military Expenditure Database] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100328072123/http://milexdata.sipri.org/ |date=2010年3月28日 }} 2009年10月6日閲覧</ref>(これは、アメリカ[[中央情報局]](CIA)の発行する CIA World Factbook の統計においても同様である<ref>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2034rank.html?countryCode=ja&rankAnchorRow=#ja CIA>World Factbook>Country Comparison>Military expenditures] 2009年10月6日閲覧</ref>)。
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− | #2008年度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで463億(アメリカ)ドルであり、1位のアメリカ合衆国、2位の中華人民共和国、3位のフランス、4位のイギリス、5位のロシア、6位のドイツに次ぎ、世界7位である<ref name="major-miritary-spender">[http://www.sipri.org/research/armaments/milex/resultoutput/15majorspenders SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>The 15 major spender countries in 2008(table)] 2009年10月6日閲覧</ref>。
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− | #1999年 - 2008年の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している<ref name="major-miritary-spender"/>(これについてはアメリカからも懸念が示されている<ref>同盟国米による指摘と是正要請 [http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080520AT2M2001H20052008.html シーファー米駐日大使、防衛費の増額を期待](産経新聞2008年5月20日配信){{リンク切れ|date=2010年3月}}[http://www.japantoday.com/category/commentary/view/japan-unlikely-to-follow-us-on-defense JapanToday版]</ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010072701123 米国防次官補「防衛予算や思いやり予算を増やすべき」時事通信2010年7月27日]</ref>)。
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− | このように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界7位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。
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− | #GDP そのものが大きく、国力が高い。
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− | #円が[[国際通貨|強い通貨]]である。
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− | #広大な領海・EEZと長大なシーレーンを抱える。
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− | #周囲を軍事大国に囲まれる。
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− | #規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指しているため、装備調達や訓練にコストがかかる傾向にある。
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− | #人件費が高く、予算の大きな部分を占める。
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− | #装備の国産化を指向するにもかかわらず、[[武器輸出三原則]]で輸出を自粛していたため、購入単価が下がらない(しかし、2014年4月第二次安倍内閣によって防衛装備移転三原則へと移行したため改善する可能性もある。)。
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− | ;要員
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− | :{{Main|自衛官|即応予備自衛官|予備自衛官|予備自衛官補|防衛省職員|自衛隊員|防衛書記官|防衛部員}}
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− | :2018年における自衛官の定員(千人未満を四捨五入)は、陸自が約15万人、海自が約4万5千人、空自が約4万7千人、統合幕僚監部等が4千人、合計24万7千人、実数は、陸自が約13万8千人、海自が約4万2千人、空自が約4万3千人、統合幕僚監部等が4千人、合計22万6千人である<ref>{{Cite web|url=https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2018/html/ns059000.html|title=資料59 自衛官の定員及び現員|accessdate=2019年7月29日|publisher=防衛省}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/kousei/|title=防衛省・自衛隊の人員構成|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。特徴として、[[予備役]]に相当する予備自衛官等が約4万8千人であり、現役と比べての割合が非常に少ない(通常、予備役の数は現役の数を超える)。
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− | :防衛省の文官は、約2万1千人である<ref>[https://www.mod.go.jp/j/yosan/2018/gaisan.pdf <!--ホーム>予算関連>予算等の概要>-->我が国の防衛と予算-平成30年度概算要求の概要- PDFの49ページ、文書の45ページ] {{Wayback|url=https://www.mod.go.jp/j/yosan/2018/gaisan.pdf|date=20190901221921}} 2017年10月12日閲覧</ref>。
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− | :[[徴兵制度]]は第二次大戦後の日本軍解散とともに廃止され、自衛隊にも徴兵制はない。
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− | ;装備
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− | :{{Main|陸上自衛隊の装備品一覧|海上自衛隊の装備品一覧|航空自衛隊の装備品一覧|武器輸出三原則}}
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− | :定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有する。高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。ただし、それらの輸出は武器輸出三原則によって自粛してきた。また、他国の製品であっても[[ライセンス生産]]を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、自衛隊の調達する兵器の多くは海外の同等のものよりも高コストとなっているが、他国の意志に左右されず兵器本体および保守部品の生産ができ、兵器の製造ノウハウを蓄積することによって、保守・運用の効率を高め、ひいては稼働率を高く保つことを狙っている。
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− | ;予算
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− | :かつては防衛費をGNPの1%以下に抑える[[防衛費1%枠]]という閣議決定があり、現在は撤廃されているが、現在でもこの割合が基本となっている。
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− | :2014年のGDPに対する防衛費の割合は、SIPRI の統計による世界全体の GDP に対する軍事費の割合2.4%に対し、1.0%である<ref>[https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2016/pdf/28020204.pdf '''防衛'''関係費]</ref><ref>[http://www.sipri.org/research/armaments/milex/resultoutput/trends SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>Recent trends in military expenditure] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090902171258/http://www.sipri.org/research/armaments/milex/resultoutput/trends |date=2009年9月2日 }} 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/qe091-2/jikei1.pdf 内閣府>統計情報・調査結果>SNA>2. 統計表一覧>法令、予算及び決算>1-2. 時系列表(GDP・雇用者報酬) (2) 時系列表 I. 国内総生産(支出側)及び各需要項目>名目暦年>PDFの31ページ]{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }} 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[https://www.mod.go.jp/j/library/archives/yosan/2008/yosan_gaiyou.pdf 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成20年度予算の概要>PDFの32ページ、文書の30ページ]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }} 2009年10月6日閲覧</ref>。
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− | :2013年を境に防衛費は増加に転じ2020年度は過去最大となった<ref>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_yosanzaisei20191220j-07-w390|title=【図解・行政】2020年度予算案・防衛費の推移(2019年12月)|accessdate=2020年3月16日|publisher=時事通信社}}</ref>。
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− | ====情勢・脅威====
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− | 冷戦の時代、ソビエト連邦が最大の[[仮想敵国]]であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。冷戦はソ連崩壊によって終結し、現在は軍拡を続ける中国、水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮の脅威の方が増している、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。[[防衛白書]]も、近年は中国・北朝鮮に対する脅威を主張している。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。
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− | ;アメリカ以外との[[安全保障]]協力
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− | :2007年3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。
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− | ;[[核抑止]]
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− | :{{See also|日本の原子爆弾開発|非核三原則}}
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− | :日本は[[アメリカ軍]]の[[広島市への原子爆弾投下|広島]]・[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]への原爆投下によって無辜の一般市民が大量[[虐殺]]された経験や唯一の被爆国としての立場から、国民レベルでは核抑止論に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも[[非核地帯]]宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、アメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が[[核兵器]]の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとの[[ニュークリア・シェアリング]]を検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府および国会に議席を持つ全ての政党が核兵器の開発・保有に反対している。
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− | ;[[シーレーン]]防衛
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− | :日本は、第二次大戦中に連合軍の通商破壊戦によってシーレーンを遮断され、物資が極度に窮乏する状況に追い込まれた。さらに1980年代より[[海洋国家としての日本|日本の海洋国家論]]の高まりと同時に、軍事のみならず、[[経済]]・食糧・[[エネルギー]]・環境などの[[総合安全保障]]の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との[[貿易]]での立国を維持する上でシーレーンの防衛([[海戦]]や[[通商破壊]]などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊や[[テロ]]も、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、[[非対称戦争]]に対応した[[国際]]的な警察力の強化、[[紛争]]予防も重要な課題となっている。
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− | ;中華人民共和国
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− | :2001年から一貫して国防費の成長という急速な[[軍拡]]を続け<ref>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_int_china-kokubouyosan|title=【図解・国際】中国国防費の推移|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>、軍事力の近代化を進めている。その実態や将来像、意思決定の過程が不透明であることが脅威である<ref>中国の軍事力を脅威にしがちな要因の1つは、その軍事態勢の秘密性にある。[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35486 古森 義久(ジャパンビジネスプレス2012.06.20掲載)] より引用</ref> 上に、文民統制が不十分で軍部の暴発すら心配される<ref>[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37015 阿部純一『人民解放軍暴走の不安が消えない理由』中国における「文民統制」の虚構(ジャパンビジネスプレス2013.01.31掲載)]</ref>。日本とは海を挟んで接しているが、中国は[[第一列島線|外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢]]を強めており、周辺国と[[南沙諸島|係争]]や[[西沙諸島の戦い|紛争]]を行っている。中でも[[台湾問題|台湾の併合(台湾回収)]]は国是<ref>「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を完成することは、台湾の同胞を含む、全中国人民の神聖な責務である。」中国の憲法(国宪)序文より引用</ref> となっており、[[反分裂国家法|独立の動きがあれば武力侵攻することを示唆]]している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、[[尖閣諸島問題|中国の領有を主張している]]。さらには、中国の論壇にみられる[[中国人による沖縄県への認識|沖縄県の独立もしくは併合(琉球回収)]]の主張に対して、一部の軍人が同調する発言すらみられる。今後は南西諸島ないしは太平洋北西部(フィリピン海)に[[中国人民解放軍海軍]]が強い影響力を及ぼすことが懸念される。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米安全保障態勢の維持・強化を図る。
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− | ==経済・産業==
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− | [[ファイル:Bank of Japan 2010.jpg|thumb|250px|[[日本銀行]]は、日本の[[中央銀行]]である(東京都[[中央区 (東京都)|中央区]] 日本銀行本店)]]
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− | [[ファイル:The Tokyo Stock Exchange - main room 3.jpg|thumb|250px|[[東京証券取引所]]は、日本の証券取引所の中枢的存在である(東京都中央区)]]
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− | {{Main|日本の経済}}
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− | ===制度・規模・位置===
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− | 日本は、[[修正資本主義]]・[[市場経済]]を採用する[[工業国]]であり、2018年時点で、国内総生産(GDP)が[[国の国内総生産順リスト (為替レート)|USドル時価換算]]の[[為替レート]]で世界第3位([[国の国内総生産順リスト (購買力平価)|購買力平価(PPP)]] で世界第3位)に位置する経済大国である。一人当たりGDPは2018年時点で、USドル時価換算で世界第26位、購買力平価(PPP)で世界第31位である。このような経済規模から、日本は[[列強]]のひとつに数えられる<ref name="Encarta">{{cite encyclopedia|last= |first= |author=Peter Howard, B.A., B.S., M.A., Ph.D. Assistant Professor, School of International Service, American University.|encyclopedia=[[エンカルタ]] |title=Great Powers |url=https://www.webcitation.org/5kwqEr8pe|archivedate=2009-10-31|accessdate=2008-12-20 |edition= |year=2008 |publisher=MSN |archiveurl=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761590309/Great_Powers.html |deadurl=yes}}</ref>。
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− | {{See also|国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート)|国の国内総生産順リスト (一人当り購買力平価)}}
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− | [[通貨]]である円(¥, yen, JPY)は、高い信認を有する[[国際通貨]]の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。1964年に[[経済協力開発機構]](OECD)に加盟し、サミット([[主要国首脳会議]]・当時のG5・後にG7・G8)にも1975年の第1回から参加している。
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− | ===経済史===
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− | 明治以来、西欧型の[[民法典論争|民法典]]を導入し、[[財産権]]を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の[[戦時体制]]を経験した後、[[物価統制令]]や[[傾斜生産方式]]、[[外貨準備]]に伴う割当制など、[[経済産業省|通産省]]や[[大蔵省]]が主導する[[護送船団方式]]により、[[製造業]]を軸に[[高度経済成長]]を果たした。1968年、[[国民総生産]](GNP)ベースでアメリカ合衆国に次いで世界第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して[[失業率]]も低く、「[[日本型社会主義|最も成功した社会主義国家]]」と言われた時代もあった。1974年のオイルショックを機に[[安定成長期]]に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業(ハイテク産業)が急成長する[[産業構造の転換]]が進んだ。[[円高]]が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、[[自動車産業]]など、[[比較優位]]で[[競争力]]の高い[[輸出]]産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。1990年代前半に[[バブル景気]]が崩壊したことによる不況で、「[[失われた10年]]」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろん、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や他の東アジア諸国を大幅に下回っている(1991年から2018年までの日本の平均経済成長率は1.0%)。日本は継続的に[[アメリカ国債]]を購入し、2016年10月時点で1兆1319億ドル分を保有し世界第1位の保有量となっているが、近年のドル安で約40兆円の為替差損が発生している。アメリカ国債からは毎年14.5兆円が償還されるが、償還金をアメリカ国債再購入に充てている<ref>[https://www.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/mfh.txt MAJOR FOREIGN HOLDERS OF TREASURY SECURITIES(in billions of dollars)HOLDINGS 1/ AT END OF PERIOD]</ref>。
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− | ;[[所得]]
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− | :高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる[[貧困]]層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、[[貧富の差]]が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、2005年度の[[貧困率]]は、OECD加盟国(30ヶ国のうち、貧困率を統計する17ヶ国<ref>旧共産圏や韓国、メキシコ、トルコなどは含まれない</ref>)の内の第2位、15.3%である。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や[[賃金]]の低い[[非正規雇用]]の増加が挙げられる。
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− | ;[[雇用]]
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− | [[ファイル:OECD Tax revenue.svg|thumb|right|400px|OECD各国税収のタイプ別GDP比(%)。<br>赤色は国家間、青色は連邦・中央政府、ピンク色は州、橙色は地方、緑色は社会保障基金への供出<ref name=revenue />。{{色}}]]
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− | :戦後の日本企業では1980年代までは長期継続雇用が主流だったので、社会構造の変化による衰退産業・衰退企業や、経営破たん企業による、解雇や人員削減以外には、失業が社会問題化することは例外であり、経済成長率が高く、成長産業・成長企業による求人が豊富だったので、失業者も再就職による職業や生活の立て直しは困難ではなかった。1990年代以後の[[グローバリゼーション|グローバル化]]の進行、GDPのゼロ成長、[[デフレーション|デフレ]]、非正規雇用の増大により、不安定雇用、低所得、貧富の格差の拡大、失業、再就職の困難などが社会問題化した。また、2008年以降の[[世界金融危機]]によって完全失業率は戦後最悪水準の5.0%にまで悪化していたが2015年は3.4%まで回復した<ref name="失業率">{{cite web|url=https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm|title=総務省統計局〈2〉(就業状態、完全失業者数、完全失業率等)|accessdate=2009-5-30}}</ref><ref>[https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/ 労働力調査(基本集計) 平成28年(2016年)10月分 (2016年11月29日公表)]
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− | </ref>。2016年10月時の完全失業率は3.0%である。
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− | ;[[債務]]
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− | :1990年代以降における[[財政政策]]により、国債は1000兆円を超える。国庫短期証券を合わせると約1100兆円である。両方を合わせた海外債権者の割合は12.7%である<ref>{{Cite web|url=https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/breakdown.pdf|title=国債等の保有者別内訳(令和元年9月末(速報))|accessdate=2020年3月16日|publisher=財務省}}</ref>。
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− | ;[[政府]]
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− | :[[OECD]]調査によれば、日本は人口に占める[[公務員]]の比率はOECD諸国平均よりも低く、経済に占める[[公営企業]]の規模も小さい<ref name="OECD諸国の公務員数">http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5192.html</ref>。なお、GDPあたりの租税負担率においては、日本は28.6%であり、OECD諸国平均以下である(2011年)<ref name="revenue">{{Cite report|publisher=OECD |title=Revenue Statistics 2014 |date=2014 |doi=10.1787/rev_stats-2014-en-fr }}</ref>。
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− | ===農林水産業===
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− | ;[[農業]]
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− | :他国と比較して生産量が多い[[農産物]]は、[[絹|生糸]]、[[キャベツ]]、[[イネ]]([[米]])、[[サツマイモ]]、[[タロイモ]](主に[[サトイモ]])、[[茶]]、[[ホップ]]などである。
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− | :*米は、日本人の[[主食]]であるが、他に米を主食とする諸国も多いため、780万トン世界5番目の生産量に止まる<ref>{{Cite web|url=http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1601/spe1_02.html|title=特集1 米(2)|accessdate=2019年1月15日|publisher=}}</ref>。
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− | :*キャベツ、タロイモ栽培は、世界第5位である。
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− | :*[[畜産業]]([[畜産]])では、[[養鶏]]が盛んであり、[[鶏卵]]の採取量は、世界第3位である。
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− | :<!-- バグ回避のための行 -->
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− | ;[[林業]]
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− | :1970年以降の[[木材]]の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。
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− | ;[[水産業]]・漁業
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− | :漁獲高は、2015年時点で世界第7位(466万トン)である。<ref>[http://www.maff.go.jp/j/tokei/sokuhou/gyogyou_seisan_15/ 平成27年漁業・養殖業生産統計]
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− | </ref> 漁獲量制限などの措置は行っているが漁師の反発から徹底しておらず乱獲<ref>[https://www.sankei.com/politics/news/170804/plt1708040020-n1.html 「獲ったもの勝ち」密漁ほぼ罰則なし… 改革急務も反対する水産庁大物OB、漁港利権の実態 宇佐美典也]</ref> の結果漁獲枠オーバー、漁業資源の枯渇が相次いでいる<ref>{{Cite web |url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170809-00010004-houdoukvq-env |title=クロマグロ漁獲量「15%削減」 日本は漁獲枠をオーバー |accessdate=2017年8月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170830150707/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170809-00010004-houdoukvq-env |archivedate=2017年8月30日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://mainichi.jp/articles/20170804/k00/00m/020/055000c |title=マグロ年間漁獲、333トン超過 |accessdate=2017年8月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170830151120/https://mainichi.jp/articles/20170804/k00/00m/020/055000c |archivedate=2017年8月30日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref><ref>[https://news.yahoo.co.jp/byline/katsukawatoshio/20170825-00074903/ 今年のサンマの来遊量は昨年の半分との見通し 理由は外国の乱獲ではない]</ref><ref>[https://www.huffingtonpost.jp/toshio-katukawa/post_7188_b_5032101.html 日本は、なぜ乱獲を放置し続けるのか?水産庁の言い分を検証]</ref>。西太平洋など公海を対象とした日本主導の漁獲量制限には当事者が守っていない、日本の割当の割合が多い<ref group="注">2017年の国際会議で自由に漁の出来る公海のサンマの資源管理で日本24万トン台湾19万トン中国4.6万トンの枠を提案した</ref><ref>{{Cite web |url=https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0720.html |title=どうなる!? サンマ漁のゆくえ|NHK NEWS WEB - NHKオンライン |accessdate=2017年8月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170823053611/http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0720.html |archivedate=2017年8月23日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref> と批判されている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/byline/katsukawatoshio/20170809-00074287/ 太平洋クロマグロ資源管理 あまりにも非常識な日本提案]</ref>。
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− | ;貿易([[輸入]]・輸出)
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− | :[[食料自給率]]は、60%を世界各地からの輸入に頼るため、約40%と低い。近年、[[食の安全]]への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での[[魚介類]]を消費する習慣の広がりにより、[[水産物]]の輸出が急増している<ref>{{cite web|last=農林水産省国際部国際政策課|title=農林水産物輸出入概況(2005年)|date=2006-05-23|url=http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/yusyutugai2005/yusyutugai2005.pdf|format=PDF|accessdate=2007年9月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070929125138/http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/yusyutugai2005/yusyutugai2005.pdf|archivedate=2007年9月29日|deadlinkdate=2020年2月}}</ref><ref>{{cite web|last=日本銀行函館支店|title=最近の水産物の輸出急増とその背景(2005年)|url=http://www3.boj.or.jp/hakodate/kouhyou/siryou/suisan1708.pdf|accessdate=2010-02-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722120606/http://www3.boj.or.jp/hakodate/kouhyou/siryou/suisan1708.pdf|archivedate=2011年7月22日|deadlinkdate=2020年2月}}</ref>。
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− | ;従事者
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− | :高齢化が進み、将来の[[人材]]の育成が課題とされている。<ref>{{Cite web |url=http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/19204.html |title=後継者不足が課題 若い労働力確保を |accessdate=2016年12月13日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161220145856/http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/19204.html |archivedate=2016年12月20日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>
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− | ===鉱工業===
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− | [[File:2017-03-07 Geneva Motor Show 1217.JPG|thumb|日本には世界有数の自動車メーカーが数多く存在し、技術も世界最高水準である([[レクサス・LS]])]]
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− | [[ファイル:Honda ASIMO Walking Stairs.JPG|thumb|日本は[[ロボット]]先進国でもあり、[[産業用ロボット]]を初め様々な分野で活用されている([[ホンダ]]・[[ASIMO]])]]
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− | ;[[鉱業]]
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− | :[[地下資源]]は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される[[鉱物]]の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」<ref>日本地質学会 地質全般Q&A [http://www.geosociety.jp/faq/content0002.html] Q25.</ref> と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〔平成13年〕)の320万トンを産出する[[硫黄]]、そして、世界第2位(2005年〔平成17年〕)の6500トンを産出する[[ヨウ素]]である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや[[石炭]]の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年時点)。[[金属]]資源は、[[亜鉛]]の4万3000トンを筆頭に、[[鉛]]、[[銅]]を産出する。この3金属は、いずれも[[非鉄金属]]として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、[[石灰岩]](セメント原料)、[[珪石]](水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。
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− | :現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における[[新エネルギー]]として注目を浴びている<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/7571652/ 「メタンハイドレート」について〜日本が資源大国に変わる日〜] [[マイナビニュース]] 2013年04月07日17時20分</ref><ref>[https://www.zaikei.co.jp/article/20140228/180628.html “100年分のエネルギー” 三井造船がメタンハイドレート掘削へ 英紙も注目] 財経新聞 2014年2月28日 12:00</ref>。近年では、[[都市鉱山]]という考え方も普及し、日本に蓄積される[[貴金属]]や[[レアメタル]]の埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される[[家庭用電気機械器具|家電]]や[[電子機器]]などから、これらを[[リサイクル]]する事業活動も広がりを見せる。
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− | ;[[工業]]
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− | :基幹産業であり、特に[[素材]]・[[金属加工]]・[[造船]]・[[土木工学]]・[[機械工学]]・[[電気工学]]・[[電子工学]]などの製造業は、世界最高水準の[[技術]]を維持する。原油・[[ゴム]]・[[鉄鉱石]]などの[[原材料]]を輸入して[[自動車]]、[[電気製品の一覧|電気製品]]、電子機器、[[電子部品]]、[[化学工業|化学製品]]などの[[工業製品]]を輸出する[[加工貿易]]が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの[[半製品]]の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。
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− | :トヨタ自動車や日産自動車、[[本田技研工業]]などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第3位の保有台数を記録する<ref>{{Cite web|url=http://www.jama.or.jp/world/world/world_2t1.html|title=表1:世界各国の四輪車保有台数(2016年末現在)|accessdate=2019年11月9日|publisher=JAMA}}</ref>。
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− | :{{See also|日本車}}
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− | :一方、[[航空宇宙産業]]([[航空宇宙工学]])・[[医薬品化学]]・[[バイオテクノロジー]]・情報技術などの新しい産業の分野においては、最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの新興国の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、[[ナノテクノロジー]]や民生用の[[ロボット工学]]、[[生物工学]]、[[金融工学]]、情報技術などに活路を見出そうとしている。
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− | :現在の日本工業の中核は上記のような重工業だが、1870年代以降に明治政府が進めた工業化政策の中心は[[アパレル産業|繊維工業]]だった。それ自体も重要な輸出品だった[[生糸]]を利用した[[絹織物]]、次いで外国からの輸入綿花を利用した[[綿織物]]は日本の輸出を支えたが、1960年代以降は東南アジア諸国や中国での安価な大量生産に押されて構造不況に陥った。現在では国内市場の多くを輸入品に譲っているが、「アパレル産業」とも呼ばれるようになった同業界は高い付加価値がつく伝統工芸品の生産などにも活路も見いだしている。
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− | ===通商・金融===
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− | [[ファイル:Roppongi aerial at night.jpg|thumb|250px|[[東京]]は世界最大の[[世界の都市的地域の人口順位|都市圏人口]]および[[域内総生産順リスト|経済規模]]を兼ね備えた世界一の[[メガシティ]]である。]]
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− | 2017年時点の主要な輸出相手国・地域は、1位:[[アメリカ合衆国]](19.3%)、2位:[[中華人民共和国]](19%)、3位:[[大韓民国]](7.6%)、4位:[[台湾]](5.8%)、5位:[[香港]](5%)、6位:[[タイ王国]](4.2%)、7位:[[シンガポール]](3.2%)、8位:[[ドイツ]](2.7%)、9位:[[オーストラリア]](2.2%)、10位:[[ベトナム]](2.1%)であり、アジアへの輸出だけで約55%を占める。輸入相手国・地域は、1位:中華人民共和国(24.4%)、2位:アメリカ合衆国(10.7%)、3位:[[オーストラリア]](5.7%)、4位:大韓民国(4.1%)、5位:[[サウジアラビア]](4%)、6位:台湾(3.7%)、7位:ドイツ(3.4%)、8位:タイ王国(3.3%)、9位:[[アラブ首長国連邦]](3%)、10位:[[インドネシア]](2.9%)であり、アジアだけで約49%を占める。[[国際収支統計#貿易収支|貿易収支]]は、黒字(2018年に約3兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで[[自動車]](15.1%)、[[半導体]]等電子部品(5.1%)、自動車の部品(5%)、[[鉄鋼]](4.2%)、[[原動機]](3.5%)、半導体製造装置(3.3%)、[[プラスチック]](3.2%)、科学光学機器(3.1%)、[[電気回路]]等の機器(2.6%)、[[有機化合物]](2.5%)の順である。主な輸入品は、[[原油]]及び粗油(9.5%)、LNG(5.2%)、衣類及び同付属品(4.1%)、[[通信機]](4%)、半導体等電子部品(3.7%)、[[医薬品]](3.5%)、[[石炭]](3.4%)、周辺機器を含む電算機器(2.6%)、[[非鉄金属]](2.3%)、科学光学機器(2.2%)である。
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− | 日本の産業は、発展の過程で[[間接金融]]による[[資金調達]]を広く用いたため、[[銀行]]が経済に与える影響が大きい。銀行は、[[融資]]で[[土地#資産としての土地|土地資産]]を[[担保]]に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、[[直接金融]]や[[市場型間接金融]]への転換が進められている。[[金融機関]]では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる[[不良債権]]問題が長引き、1990年代初頭に[[金融危機]]を引き起こした。しかし、政府主導で大[[合併]]が行われて[[公的資金#日本の金融機関への公的資金の注入|公的資金を注入]]しての強引な解決が図られ、その後は、[[ゼロ金利政策|超低金利政策]]の下、高収益を上げるようになった。[[日本銀行]]は、2006年にゼロ金利を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人[[消費]]の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、2007年現在、それ以上の金利引き上げに至っていない。
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− | また、継続的な経常黒字により、世界最大の[[債権]]国であり、[[世界経済]]からの[[配当]]や[[利子]]の受け取りが次第に増大している。2017年末時点で、日本の対外資産残高は1012兆4310億円、対外負債残高は683兆9840億円で、差し引き対外純資産残高は27年連続世界最大の328兆4470億円である<ref>{{Cite web|url=https://jp.reuters.com/article/2017-net-external-asset-idJPKCN1IP3WX|title=17年末の対外純資産、328兆円で世界最大 3年連続減|accessdate=2018年8月19日}}</ref>。
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− | 日本としては世界最大の黒字国であるが、日本政府は歳入の47.9%が公債で賄われている状況である(平成23年度一般会計予算)<ref>{{Cite web|url=https://www.mof.go.jp/budget/fiscal_condition/related_data/sy014_23.pdf|title=日本の財政関係資料|format=PDF|publisher=財務省|accessdate=2012-04-18}}</ref>。しかしながら、[[日本国債]]のほとんどは国内保有であり、日本国内の資産となっている。
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− | ===マスメディア===
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− | {{Main|日本の新聞|日本のラジオ放送局|日本のテレビジョン放送局|日本における衛星放送}}
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− | == 交通 ==
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− | {{Main|日本の交通}}
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− | {{See also|日本の企業一覧 (空運)|日本の企業一覧 (陸運)|日本の企業一覧 (海運)}}
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− | 古くから北太平洋および[[北東アジア]]の[[交通]]の要所として[[海運]]や[[航空]]において重要な位置を占め、世界的に有数の規模の[[海運#日本の海運会社|海運会社]]や[[航空会社の一覧#日本|航空会社]]が存在し、各国を結ぶ。また、アジアにおいて最も早く[[鉄道]]を導入した国の一つであり、世界初の[[高速鉄道]]である新幹線を導入し、[[私鉄]]による鉄道網が全国を網羅している。また、高度経済成長以降、[[モータリゼーション]]が進み、[[道路]]網・高速[[自動車専用道路]]網が発達している。2010年代以降、高度経済成長期に作られたインフラが老朽化するなど問題も起きている<ref>[https://www.sankei.com/economy/news/161128/ecn1611280031-n1.html 老朽化対策に「知恵総動員」 インフラメンテナンス国民会議が始動]</ref>。
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− | ;鉄道
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− | [[ファイル:E5 series set U4 Nasu-Shiobara 20161009.jpg|thumb|[[新幹線]]は、日本全国を結ぶJRの高速幹線鉄道である([[新幹線E5系電車|E5系]])]]
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− | [[File:Seikan-tunnel-yoshioka.jpg|thumb|[[青函トンネル]]は[[本州]]と[[北海道]]を結ぶ、[[1961年]] - [[1987年]]にかけて最高水準の工事技術を駆使して開通させた日本最長の海底鉄道トンネルである]]
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− | [[ファイル:E235系 山手線@有楽町.jpg|thumb|[[山手線]]は[[東京]]の大動脈である]]
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− | [[ファイル:JR Rumoi-Main-Line Mappu Station Platform.jpg|thumb|地方の[[ローカル線]]は存続の危機にある。[[留萌本線]]・[[真布駅]]([[北海道]])]]
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− | :明治維新以降、1872年10月14日の[[新橋駅]](のちの[[汐留駅]]) - [[横浜駅]](現・[[桜木町駅]])間の開通を皮切りに、[[国策]]として全国に鉄道網が急速に敷設され、[[日本国有鉄道]](国鉄)や他の数多くの私鉄へと発展した。[[1942年]]には世界初の[[海底トンネル|海底鉄道トンネル]]である[[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]が開通した。1970年代までに私鉄、国鉄ともに多くの[[鉄道の電化|路線が電化]]され、'''世界に例を見ない規模で分刻み・秒単位のスケジュールで運行'''され、その規模、技術、運営ノウハウ共に世界最高水準と言われる。
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− | :1964年に[[日本国有鉄道]](現在の[[JR]])によって導入された[[新幹線]]は、都市間を結ぶ世界初の高速鉄道として空路に並ぶ地位を築いた<ref>[https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310326_00000 NHK]</ref>。
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− | 戦後に[[東海道本線]]の輸送がひっ迫した事が[[東海道新幹線]]計画の契機となった<ref>[https://www.nippon.com/ja/features/h00078/ 新幹線の成功が世界の高速鉄道開発を刺激 戦後再び東海道本線の輸送力がひっ迫して東海道新幹線構想が具体化し始めた]</ref>。新幹線は秒単位という世界に類を見ない定時性で運行され、[[2016年]]度は年間13万本が運行して、1列車あたりの平均遅延時間は24秒だった。これは、[[地震]]や豪雨、大雪などの自然災害による遅延も含めたもので、平常時は秒単位での定時運行が実現されている<ref>[https://www.nippon.com/ja/features/h00201/ 東海道新幹線の平均遅延時間は24秒 : 世界に誇る安全・正確・高頻度]</ref><ref>[https://grapee.jp/34033 『え?基本は誤差0秒?』東海道新幹線、年間平均遅延時間50秒を超えて謝罪]</ref>。[[在来線]]と規格が異なるので全国を網羅はしていないが、北海道・北陸・九州の各地で整備が続く。
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− | {{枠の始まり|青}}''日本の新幹線''
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− | *[[東海道新幹線]]
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− | *[[山陽新幹線]]
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− | *[[九州新幹線]]
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− | *[[北海道新幹線]]
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− | *[[東北新幹線]]
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− | *[[上越新幹線]]
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− | *[[長野新幹線]]
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− | *[[北陸新幹線]]
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− | *[[山形新幹線]]([[ミニ新幹線]])
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− | *[[秋田新幹線]](ミニ新幹線)
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− | *(建設中)[[中央新幹線]]、[[九州新幹線 (西九州ルート)|九州新幹線西九州ルート]]
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− | {{枠の終わり|青}}
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− | :[[都市圏]]では、これら普通鉄道に[[地下鉄]]や[[モノレール]]などが加わる。更に、近年の[[環境問題]]の意識から[[路面電車]]が見直され、富山県などで[[ライトレール]]が導入されている。
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− | :2003年8月の[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)の開通によって全ての都道府県に広がり、2004年の時点での全国における総全長は、23,577 kmである。
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− | :その一方で2016年にはJR[[留萌本線]]の[[留萌駅]] - [[増毛駅]]間が廃線になるなど地方の鉄道が人口減少に伴い採算が取れなくなり、消滅し始めている。<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB02H56_S6A201C1L41000/ JR廃線受け、相乗りタクシー運行 増毛町] </ref>
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− | ;航空
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− | [[ファイル:Haneda kokusaisen entrance.png|thumb|[[羽田空港]]は日本最大の[[空港]]であり、2017年には乗降客数で世界第3位となった<ref>[https://j.sankeibiz.jp/article/id=2999 羽田空港の旅客数、世界4位に浮上 米ロサンゼルス抜き8541万人]{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>]]
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− | [[ファイル:Departure Lobby of Haneda Airport International Terminal dllu.jpg|thumb|羽田空港国際線ターミナルの出発ロビー]]
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− | [[ファイル:JA21MJ TAXI TEST.jpg|thumb|[[Mitsubishi SpaceJet]]は、最新鋭の国産小型旅客機として開発が進められている次世代[[リージョナルジェット]]である([[三菱航空機]])]]
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− | :{{See also|日本の航空機産業}}
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− | :戦前にはごく限られた利用しかなかった日本の航空・空運業は敗戦直後に[[占領軍]]が出した航空活動禁止指令により完全に機能を停止したが、独立を回復して航空活動も復活した1950年代以降、日本航空が日本の[[フラッグ・キャリア]]として国内外に路線を広げ、アフリカを除く全大陸へ就航し、現在もアジアのみならず世界でも有数の規模を誇る[[航空会社]]として知られていたが、2010年、[[会社更生法]]の適用を受けた。また、1980年代まで国内線のみを運航した[[全日本空輸]] (ANA) は現在、アジア圏を中心に[[日本航空]](JAL)と共に欧米へ国際線を運航する。
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− | :1990年代以降の[[規制緩和]]を受け、[[スカイマーク]]や[[北海道国際航空]](エア・ドゥ)、[[スカイネットアジア航空]]などが[[新規参入]]し、国内[[航空券|航空運賃]]の引き下げに寄与した。
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− | :歴代の国土開発計画が「高速交通サービス空白地帯の解消」を重要課題の一つに掲げたこともあり、地方を中心に[[空港]]インフラが充実し、国内に98もの空港を有する。[[東京国際空港]](羽田空港)と北海道(札幌都市圏)の[[新千歳空港]]、東京と[[福岡空港]]を結ぶ2路線は年間800万人を輸送する世界屈指の大幹線に成長した。
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− | 羽田空港は2014年、スカイトラックスが実施した「Global Airport Ranking 2014」において日本の空港として初めて世界最高水準の5つ星を獲得した<ref>[https://www.aviationwire.jp/archives/44623 羽田空港、日本初の5つ星 スカイトラックス調査]</ref>
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− | 2018年3月、スカイトラックスは、世界の空港ランキングでは2017年の第2位から順位を落として第3位として選出したものの、世界で最も清潔な空港では第1位として選出した。<ref>[https://edition.cnn.com/travel/article/worlds-best-airports-2018/index.html World's best airports for 2018]</ref>
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− | 鹿児島・沖縄両県の[[南西諸島]]をはじめとした離島に整備された空港は輸送量は小さいが、住民の日常生活を支えている。一方、騒音問題や用地確保などによって都市部における空港インフラは整備途上で慢性的な容量不足であり、航空網充実の足かせとなっている。また、一部の地方空港では採算面の課題も浮上している。
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− | :世界有数の航空網を整備した空運業に対し、戦後の航空活動禁止令で解体された航空機製造はその国内需要を全く満たしていない。1964年に正式出荷を始めた[[YS-11]]は[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]で[[オリンピック聖火]]を輸送したが1973年に製造を中止し、2006年に民間航空路線から完全に撤退した。YS-11開発の中核だった[[三菱重工業]]は2015年に新たな国産旅客機の[[Mitsubishi SpaceJet]]を初飛行させ、商業生産への準備を進めている。一方、[[本田技研工業]]はアメリカの子会社工場で[[HondaJet]]の開発に成功し、2016年から日本国外での販売を開始した。
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− | <div style="text-align:center"><gallery>
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− | ファイル:Japan Airlines Wordmark (2011).svg|[[日本航空]]
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− | ファイル:All Nippon Airways Logo.svg|[[全日本空輸]]
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− | ファイル:Skymark Airlines Logo.svg|[[スカイマーク]]
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− | </gallery></div>
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− | ;道路
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− | [[ファイル:Satta yukei.jpg|thumb|富士山と日本の大動脈の夕景。山側の[[国道1号]]と海側の[[東名高速道路]]([[静岡市]][[清水区]][[薩埵峠]])]]
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− | :{{Main|日本の道路|日本の高速道路|日本における自動車}}
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− | :[[高度経済成長]]以降、自動車産業の保護を目的に、国内における[[運送#陸運|陸運]]の主力を[[貨物自動車|トラック]]にする政策が採用されたことなどから、全国的に道路・[[高速道路]]の整備が進められた。しかし、近年、都市部を中心に慢性化した[[渋滞]]や通行料の高さ、[[駐車]]スペース確保の困難さ、環境問題への対策として、鉄道や航空機などの公共輸送、船舶輸送などが見直されている。また、高速道路の一部は[[アジアハイウェイ1号線]](AH1)に指定されている。
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− | :2016年4月時点での[[舗装]]された道路の全長は、1,278,183.5 km である。
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− | ;海運
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− | :{{See also|海運#日本の海運会社|造船#日本の造船史}}
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− | :四方を[[海]]に囲まれ、日本には欠かせない[[運送]]手段であり、沿岸部に[[工業地域]]・[[工業地帯]]や[[人口]]が集中する理由でもある。[[日本郵船]]や[[商船三井]]などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に[[貨物船]]や[[旅客船]]を運航してきた。現在、[[中東]]や東南アジアから[[石油]]や天然ガスなどの[[資源]]が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。さらに、大小の船会社によって多数の[[貨客船|貨客]][[フェリー]]や[[高速船]]が運航される。また、[[造船]]分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。
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− | == 文化 ==
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− | {{Main|日本の文化}}
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− | 日本は東アジアに位置しており、現在の中国や朝鮮半島など近隣の地域から様々な文化的要素を取り入れてきた。一方で[[海洋]]によって大陸から隔てられた島国であることや、遣唐使の停止や[[鎖国]]なども伴い、独自の文化も発展させてきた。現在では[[情報通信]]の発達に伴い、世界規模で様々な文化の影響を受けつつ、日本独自の文化の発信も行われている<ref name="asahi_history">『朝日百科 日本の歴史 新訂増補 13巻セット』[[朝日新聞社]] ISBN 4-02-380017-1</ref><ref name="shueisha_history_tanjou">『集英社版 日本の歴史 日本史誕生』[[集英社]] ISBN 4081950016</ref><ref name="shueisha_history_ouchou">『集英社版 日本の歴史 王朝と貴族』集英社 ISBN 4081950067</ref>。
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− | ===被服===
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− | {{Main|和服}}
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− | 日本では伝統的な被服は[[和服]]であったが、現在では[[洋服]]が広く普及している。その中でも[[ファストファッション]]が大きなシェアを獲得している。[[三宅一生]]や[[川久保玲]]など世界的に展開する[[ファッションデザイナー]]も居る。
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− | ===食===
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− | {{Main|日本料理|和菓子|日本酒|茶|茶道|煎茶道}}
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− | <!--[[File:Breakfast at Tamahan Ryokan, Kyoto.jpg|thumb|220px|伝統的な[[日本料理]]]]-->
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− | [[ファイル:Tempura, sashimi, pickles, ris og misosuppe (6289116752).jpg|thumb|220px|[[日本料理]]の一例]]
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− | 日本の国土は大部分が[[温帯]]に属し、南北に長く、海洋に囲まれているため、[[四季]]がはっきりしており[[降水量]]も多い。そのため、魚介類や[[海藻]]、[[野菜]]や[[山菜]]、[[果物]]など様々な食品が自然の恵みとして得られる。また、稲作の導入、[[仏教]]や[[鉄砲]]の伝来、鎖国や[[文明開化]]、第二次世界大戦などを経て、様々な異なる食文化の影響を取捨選択した独自の食文化が成り立っている。日本の伝統的な食文化である和食は[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された。現在の日本では貿易や情報通信などの発展に伴い、伝統的な日本の食文化だけでなく、世界中の[[食品]]や[[料理]]、[[風習]]などを伴う食文化に接することができる<ref name="ishige_shokubunka">[[石毛直道]]『日本の食文化史』岩波書店 ISBN 978-4-00-061088-9</ref><ref name="kouza_nihon_shokubunka">『講座 食の文化 日本の食事文化』[[味の素食の文化センター]] ISBN 4540980882</ref><ref name="kouza_jouhou">『講座 食の文化 食の情報化』味の素食の文化センター ISBN 4540982192</ref><ref name="maff">[http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/culture/wasyoku.html 日本の伝統的食文化としての和食] [[農林水産省]]</ref><ref>[http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/ 「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました!] 農林水産省</ref>。
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− | ====食品====
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− | 四季があり降水量が多いため、米を含む[[穀物]]、野菜や山菜などの種類が豊富である。また暖流と寒流が交わる海洋に囲まれているため、魚介類や海藻などの種類も豊富である。これらの食品は、多く採れかつ味の良くなる[[旬]]を大事にする形で利用されてきた。一方で、[[ウシ]]や[[ニワトリ]]などの[[肉食]]が禁止されたことがあることなどの影響から、[[食肉]]や[[乳製品]]はあまり普及しなかった。現在では食肉や乳製品も一般的に利用されており、また[[小麦]]や[[大豆]]など輸入が多い食品もある<ref name="ishige_shokubunka"/><ref name="kouza_nihon_shokubunka"/><ref name="maff"/><ref name="kouza_chouri">『講座 食の文化 調理とたべもの』味の素食の文化センター ISBN 4-540-98218-4</ref>。食料自給率は高くない。
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− | ====料理====
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− | [[一汁三菜]]など[[飯]]を中心とした[[メニュー (料理)|メニュー]]、[[献立]]が多い。また様々な食品と豊富な[[水]]を利用した「[[出汁|だし]]」による[[うま味]]も特徴として挙げられる<ref name="ishige_shokubunka"/><ref name="kouza_nihon_shokubunka"/><ref name="maff"/>。
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− | ====栄養====
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− | 伝統的な[[食事]]は、比較的に栄養バランスに優れ低[[カロリー]]という特徴がある。一方で昔では[[凶作]]や戦争、貧困などによる[[栄養失調]]や[[生活習慣病]]もある<ref name="maff"/><ref name="kouza_shisou">『講座 食の文化 食の思想と行動』味の素食の文化センター ISBN 4540990241</ref><ref name=mhlw>{{Cite web |url=http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/b1.html |title=厚生労働省 栄養・食生活 |accessdate=2017年8月14日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170808031648/http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/b1.html |archivedate=2017年8月8日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。
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− | ====作法====
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− | 食事の際の[[挨拶]]や、[[食器]]を手に持つことが許され、音をたてて食事をすることに寛容など、独自の作法がある<ref name="kouza_jouhou"/><ref name="maff"/>。
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− | ====道具====
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− | 食品の[[貯蔵]]や[[調理]]に用いた[[縄文土器]]や、食器に用いる[[漆器]]や陶磁器、調理に用いる[[包丁]]など、様々な道具が用いられてきた<ref name="kouza_nihon_shokubunka"/><ref name="kouza_katei">『講座 食の文化 家庭の食事空間』味の素食の文化センター ISBN 4540990233</ref>。
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− | ===建築===
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− | {{Main|日本建築史}}
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− | 日本は山林が多く、[[木構造 (建築)|木造建築]]が伝統的に用いられてきた。現在では都市を中心として[[高層建築物]]も立ち並ぶ。[[ゼネコン]]など世界的に展開する企業もある。
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− | <div style="text-align:center"><gallery>
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− | ファイル:Chuurei-tou Fujiyoshida 17025277650 c59733d6ba o.jpg|[[新倉山浅間公園]]と[[富士山]]
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− | ファイル:Himeji Castle The Keep Towers.jpg|[[姫路城]]
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− | ファイル:Toranomon Hills.JPG|[[虎ノ門ヒルズ]]
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− | </gallery></div>
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− | == 社会 ==
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− | {{Main|日本の福祉}}
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− | <gallery widths="320px" heights="170px">
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− | ファイル:Oecd-socx-branch.svg|OECD各国のGDPにおける社会的支出割合(%、種類別)<ref name="OECDsoc" />
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− | ファイル:Social security contributions of Japan.svg|日本の[[社会保険|社会保障拠出負担]]の推移。青はGDPに占める比率(%)、橙は総税収に占める比率(%)<ref>{{Cite report|publisher=OECD |title=Revenue Statistics 2014 |date=2014 |doi=10.1787/rev_stats-2014-en-fr }}</ref>
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− | ファイル:Social expenditure of Japan.svg|日本の社会的支出(兆円)。緑は医療、赤は年金、紫はその他<ref>[http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/security.html 社会保障費用統計] {{Wayback|url=http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/security.html |date=20140612213904 }}, 厚生労働省</ref>
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− | ファイル:Japan tax and transfer.svg|日本における[[日本の租税|租税]]と[[富の再分配|再分配]](2009年, 年齢別)<br>橙は納税額、青は給付額、緑はトータル再分配額<ref>{{cite journal|title=OECD Economic Surveys: Japan 2017 |publisher=OECD|date=2017|isbn=9789264272187 |doi=10.1787/eco_surveys-jpn-2017-en}}</ref>。
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− | </gallery>
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− | 日本の社会的支出は高齢者に集中している<ref>{{Cite |publisher=OECD |date=2015-04 |title=OECD Economic Surveys:Japan 2015 |doi=10.1787/eco_surveys-jpn-2015-en |isbn=9789264232389 |at=Overview}}</ref>。[[#少子高齢化|少子高齢化]]による[[医療費]]負担の増大に伴い、財政の逼迫した健康保険組合が増え、'''[[健康保険組合|組合管掌健保]]'''や'''[[全国健康保険協会|協会けんぽ]]'''の保険料率や国庫負担率の引き上げが議論される<ref name="OECD2009" />。現在、毎年のように国民年金保険料や厚生年金の[[社会保険]]負担率が引き上げられて[[現役世代]]への負担が増し、[[公的年金]]の[[世代間格差]]が問題になっている。
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− | ;戦前
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− | :主に[[家族]]や[[地域社会]]における[[相互扶助]]によるものとされたが、[[軍人]]をはじめ公務員に特有の[[恩給]]制度があった。1942年に戦費の調達を目的に発足した[[労働者年金保険]]が、日本の[[社会保障]]制度の始まりである。1944年に[[厚生年金保険法]]が制定されたのを契機に民間労働者の[[厚生年金]]も普及した。並行して民間企業における熟練労働者の[[終身雇用|長期雇用]]、[[年功序列|年功賃金]]、[[企業年金]]、[[退職金]]といった、戦後の日本型福祉社会を担う[[企業福祉]]も普及した。
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− | ;戦後
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− | :[[日本国憲法第25条]]が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、すなわち[[生存権]]の実現を目指した。政府は、「最低限度の生活を営む」ための[[児童]][[保育]]、[[学校教育]]、[[職業訓練]]、[[雇用保険]](1974年までの失業保険を継承)、[[障害者]][[介護]]・[[自立支援]]、[[生活保護]]といった[[福祉]]サービスを提供しつつ、企業福祉を充実させる[[社会政策]]を採用した。その過程で[[被用者保険]]から外れた対象を[[救済]]するため、1958年に官庁や企業に組織化されない対象のために地域保険となる[[国民健康保険]]制度が発足し、1961年以降、ほぼ'''国民皆保険'''([[ユニバーサルヘルスケア]])が実現した。また、1959年に企業年金や職域年金から外れた対象のために[[国民年金]]も発足した。
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− | ;近年から現在に至る課題
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− | :人口の4割をカバーする国民健康保険は、2009年には保険料未納率が12%まで達している<ref name="OECD2009" />。また前年に健康問題を指摘された人のうち26%は費用を惜しんで医療を受診しておらず、この傾向は低所得層のほうがより高い<ref name="OECD2009" />。
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− | :生活保護制度も数々の[[生活保護問題]]を抱えている。当初より不正受給などの問題があったが、不況の長期化により受給者が増加し続けており財政負担が無視できないものになっている。またデフレの進行に伴う賃金の低下や非正規雇用の増加は、相対的に生活保護の生活水準を引き上げることになった。これにより国民年金のみや低賃金労働で生活するよりも、生活保護を受けたほうが良い暮らしをできるという可能性が、自立を目指さないというモラルハザードを生むのではないかという批判を強めることになった。
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− | ===保健===
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− | {{Main|日本の健康|日本の医療}}
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− | [[社会保険]]方式によるユニバーサルヘルスケアが達成されているが、GDP増加を上回るペースで医療費が増加している<ref name="OECD2009">{{Cite report |publisher=OECD |date=2009-08-13 |title=OECD Economic Surveys:Japan 2009 |doi=10.1787/eco_surveys-jpn-2009-en |isbn=9789264054561 }}</ref>。2009年のOECD対日審査では医療制度改革に一節が割かれ、老人医療費の上昇に対して若者世代の負担を抑えながら対応するかが鍵であるとOECDは報告している<ref name="OECD2009" />。
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− | ;[[平均余命]]
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− | :2017年度の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.26歳である<ref>[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life15/ 平成27年簡易生命表の概況]
| |
− | </ref><ref>https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life15/dl/life15-02.pdf</ref>。女性は世界で2番目男性は3番目の順位である<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33208190Q8A720C1EA2000/|title=平均寿命、男女とも過去最高 2017年厚労省|accessdate=2019年3月10日|publisher=}}</ref>。[[健康寿命]]では、男性72.14歳、女性74.79歳<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27899950Z00C18A3CR0000/|title=健康寿命、男女とも延びる 男性72歳・女性74歳|accessdate=2019年3月10日|publisher=}}</ref>。
| |
− | ;[[日本の健康#日本の死因|主な死因]]
| |
− | :終戦直後まで[[結核]]などの[[感染症]]が多かったが、平成30年現在では、一に[[悪性腫瘍|悪性新生物]](癌)、二に[[心臓病|心疾患]]、三に老衰と、生活習慣病を中心とする[[慢性疾患]]が主である<ref>{{Cite web|url=https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/gaikyou30.pdf|title=(2)死因
| |
− | ① 死因順位|accessdate=2019年7月29日|publisher=厚生労働省}}</ref>。
| |
− | ;[[保健]]([[健康]])への支出
| |
− | :GDP に占める比率が7.8%、政府が負担する比率が81.3%で、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中における標準的な水準である<ref>{{Cite web|last=WHO|title=Data and Statistics>World Health Statistics 2007 - Health systems expenditures in health|url=https://www.who.int/whosis/whostat/2007/en/index.html|accessdate=2008年5月4日 }}</ref>。公費負担率はOECD平均より1割ほど上回っている<ref name="OECDhealth2013" />。
| |
− | :急速に進む[[出生率]]の低下・[[労働世代]]人口の減少・高齢化社会への対応として、公的医療保険料の増額、医療費自己負担分の増加、[[後期高齢者医療制度]]の導入など、一連の[[日本の医療#医療制度改革|医療制度改革]]により、負担が増加する傾向にある。
| |
− | ;[[医療制度|医療供給体制]]
| |
− | :[[医療従事者]]の人数は、2013年統計では医師が人口1000人あたり2.2(OECD平均は3.2)であり、一方で看護師は人口1000人あたり10.0(OECD平均は8.8)であった<ref name="OECDhealth2013" />。
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− | :一方で[[病床]]数では供給過剰が指摘されており、人口あたりの病床数は世界1位でOECD平均の2倍以上、また患者の平均入院日数もOECD各国中で1位であった<ref name="OECDhealth2013">{{Cite report|publisher=OECD |date=2013-11-21 |title=Health at a Glance 2013 |doi=10.1787/health_glance-2013-en }}</ref>。そのため[[社会的入院]]などの問題が指摘されている。
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− | ;[[過剰診療]]
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− | :過剰診療が指摘されており、人口一人あたりの受診回数はOECD平均の2倍(OECD各国で2位)、医師一人あたりの診療回数についてはOECD各国で2位であり<ref name="OECD2009" />、そのため患者から寄せられる共通した苦情は「3時間待ちの3分診療」であった<ref name="OECD2009" />。
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− | ;[[検疫]]など
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− | :近年、大学の[[医学教育]]や[[医学#基礎医学|基礎医学]]研究の場における感染症や[[寄生虫病|寄生虫症]]の扱いが後退し、[[麻疹]]の輸出国として非難されている。また、[[海外]]からの[[病原体]]の移入や[[海外旅行]]者が帰国した後の感染症・寄生虫症などの発症に対しての態勢にも危惧が抱かれている。
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− | ===少子高齢化===
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− | [[ファイル:Oecd-oldage supportratio.svg|thumb|right|400px|OECD各国の老人(65歳〜)一人あたり、生産年齢(20〜64歳)人口<ref name="OECDsoc">{{Cite report|title=OECD Society at a glance 2014 |publisher=OECD |date=2014 |doi=10.1787/soc_glance-2014-en }}</ref>。<br>橙は2012年時点、茶は2050年の予想]]
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− | [[ファイル:Population of Japan since 1872.svg|thumb|right|400px|[[日本の人口統計]]。現在(1872年〜2009年)と将来予測(2010年〜)]]
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− | OECD諸国の中で最も[[少子高齢化]]が進んでいる<ref name="OECDsoc" />。高齢社会白書では「我が国は世界のどの国も経験したことのない高齢社会を迎えている」と述べられている<ref>{{Cite journal|publisher=内閣府|title=高齢社会白書 |date=2013 |url=https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html }}</ref>。2050年には65歳以上の高齢者が人口の約4割を占め、高齢者1人を1.3人で支える超高齢社会となる<ref name="OECDsoc" />。
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− | ;少子化・[[育児]]・[[子育て]]
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− | :一時は、明治以降の近代化の過程で、乳児の[[死亡率]]の低下や国力の上昇によって人口の激増が起こった他、戦後の[[ベビーブーム]]([[団塊の世代]])により、若年層ほど多いピラミッド状の構成となった。しかし、高度経済成長以降、一人の女性が生涯に産む数([[合計特殊出生率]])も世界最少レベルの1.3近くまで低下した。その原因として、以下などの複合的な要因が指摘される<ref>山田昌弘『少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ』(岩波新書、2007年)</ref>。
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− | :*[[医学]]・医療の向上による、死亡率の減少。
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− | :*[[教育]]水準の向上による、[[学費]]負担の増大。
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− | :*公的な育児支援の不足。
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− | :*長時間[[労働]]による育児のための時間の不足や、仕事と育児との両立の困難さ。
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− | :*[[核家族]]化による、祖父母からの扶助の減少。
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− | :*地域社会における相互扶助の希薄化。
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− | :*低所得者層の増大。
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− | :政府は、出生率の低下を深刻な問題とし、現在の人口を維持できる2.0〜2.1前後までの増加を理想とするが、有効な対策が成らず、その見通しも立たない。2010年4月より、[[子ども手当法]]が施行されたばかりである。
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− | ;高齢化社会・介護
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− | :経済的に豊かになったことや医学・医療の向上により、[[平均寿命]]・平均健康寿命が世界で最も高い国になったが、同時に、介護が必要な[[高齢者]]人口の増加にも至った。(育児と同様、)時間の不足や仕事との両立の困難さ、核家族化による祖父母の世代との別居や高齢者のみ(夫婦2人や1人)世帯の増加、地域社会における相互扶助の希薄化などが複合的な要因となり、伝統的に行われてきた家族による高齢者の介護が困難となったことから、2000年に[[介護保険]]が創設され、家族・行政・地域社会の協力による政策に転換した。
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− | ===自殺===
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− | {{Main|日本の自殺}}
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− | 自殺は主要な[[死因]]の一つである。自殺率はOECD諸国において韓国、ラトビア、スロベニアに次いで第4位であり、OECD平均と比べ未だ高い数値であるため明らかに要注意であるとOECDは勧告している<ref>{{Cite web|url=https://japanese.joins.com/article/564/246564.html|title=韓国、OECD自殺率1位…堅調な減少にも10万人あたり25.8人|accessdate=2019年4月15日|publisher=}}</ref><ref name="OECDmental">{{Cite report |title=Making Mental Health Count - The Social and Economic Costs of Neglecting Mental Health Care |publisher=OECD |date=2014-07 |doi=10.1787/9789264208445-en |loc=Country press releases - Japan.}}</ref>。世界保健機関 (WHO) の2010年統計によると、WHOに自殺統計を報告する104か国の中における[[自殺]]率の順位は高い方から第6位である([[国の自殺率順リスト]])。
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− | 自殺の原因については、宗教・[[死生観]]など日本人の様々な[[精神]]性が仮説として提示されるが、依然として解明されていない。政府は、先進国でも極めて高いこの自殺率を重要な問題と認識し、2006年に[[自殺対策基本法]]を制定したが、基本的な枠組みを規定するにとどまった<ref>{{Cite web|publisher=e-Gov法令検索|title=自殺対策基本法|url=https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=418AC1000000085|accessdate=2019-12-24 }}</ref>。OECDは[[精神保健]]政策の緊急の高度を要する課題を指摘している<ref name="OECDmental" />。
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− | == 教育・科学・技術 ==
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− | {{Main|日本の教育|日本教育史}}
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− | [[File:理学部一号館から見た安田講堂.JPG|thumb|right|250px|[[東京大学]]([[パリ国立高等鉱業学校|ENSMP]]ランキング2位)]]
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− | [[File:KeioUniv.jpg|thumb|right|250px|[[慶應義塾大学]](ENSMP3位)]]
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− | 根拠法として[[教育基本法]]が制定されており、[[文部科学省]]が所管している。1990年時点の[[識字]]率は、99.8%(男99.9%、女99.7%)。<!--http://www.uis.unesco.org/profiles/EN/GEN/countryProfile_en.aspx?code=3920
| |
− | 初等教育の在学率は、100%とされる。UNESCO のデータに基づく総務局の報告では、統計値が示されていない。-->
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− | ===教育段階===
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− | {{Main|義務教育#日本|日本の高等教育}}
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− | [[日本国籍]]を有する6歳から15歳までの9年間([[学齢]])を対象とする[[義務教育]]が実施される。一般には、[[小学校]]6年間、[[中学校]]3年間。[[特別支援学校]]については、小学部6年間、中学部3年間。[[中等教育学校]]については、前期課程3年間。なお、中学校を卒業した内の約96%が[[高等学校]]に進学する。
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− | 国民の25-64歳人口について、その53%が[[ISCED]]-3レベル以上の[[中等教育]]を修了している<ref name="edu">{{Cite report|author=OECD |title=Education at a Glance 2014 |date=2014 |doi=10.1787/eag-2014-en |pages=42}}</ref>。なお[[第3期の教育]]の修了者については、タイプBが20%、タイプAが26%であった<ref name="edu"/>。
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− | ===生涯学習・教育訓練===
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− | {{Main|生涯学習|教育訓練}}
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− | {{節スタブ}}
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− | ===テクノロジー===
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− | {{See also|基礎科学|応用科学|日本人のノーベル賞受賞者}}
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− | [[ファイル:Kibo PM and ELM-PS.jpg|thumb|250px|日本はアジアで唯一の[[国際宇宙ステーション]]計画参加国である([[JAXA]]・[[きぼう]])]]
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− | 世界的にも多くの分野で高水準の[[テクノロジー]]を有する。[[国際特許]]の出願数は、中国、アメリカ合衆国に次ぐ世界第3位<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38491700T01C18A2FF2000/|title=世界の特許出願317万件 中国が7年連続で首位|accessdate=2018年12月6日|publisher=}}</ref>、特許収入もアメリカに次ぐ世界第2位の黒字国である。
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− | ;環境・エネルギーに関連する技術
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− | :世界的にも高水準の技術を有する。[[ディーゼルエンジン]]の[[特許]]の出願数は、世界第1位である。[[原子力発電]]システムを独自開発する技術を持つ国のひとつ。世界的に最も高水準の[[二次電池]]技術を有し、[[ハイブリッドカー]]や高性能な携帯情報機器の基盤となっている。[[バイオ燃料]]や[[燃料電池]]、[[太陽光発電]]など新エネルギーの研究も盛んだが、普及面で言えば諸外国に立ち遅れている。
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− | ;情報技術
| |
− | :[[マイクロプロセッサ]]設計に関しては高水準の技術を有し、[[マイクロコントローラ]]開発ではアメリカ合衆国に次ぐ開発拠点となっている。日本企業は[[半導体]]デバイスの製造装置で高いシェアを有するが、[[ハードディスクドライブ]] (HDD)、[[フラッシュメモリ]]や[[液晶ディスプレイ]]の生産では、近年の円高により韓国や台湾に押されている。電子機器分野などでは中国・韓国などの技術者の引き抜きもこの要因となっている。[[光ファイバー]]や結晶引上技術など素材に関する研究に厚みがあり、その基礎技術は、依然として優位である。ソフトウェア分野では、業務に関する[[システムエンジニア]]や[[組み込みシステム]]の技術者の人数が特に多い。日本製ソフトウェアの世界的シェアは低く、[[オープンソースソフトウェア]]への貢献も少ない。世界的に次の[[産業革命]]を引き起こすと期待されている[[人工知能]]技術に関しても、[[先進国]]の中では遅れを取っている現状がある。
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− | ;原材料・ナノテクノロジー
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− | :[[特殊鋼]]、[[合成繊維]]、[[セラミックス]]など幅広い分野で世界的にも高水準の技術を有している。特に[[複合材料]]を得意とし、自動車産業・造船・航空宇宙・[[軍需産業|防衛産業]]などを支える。
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− | ;先端計測技術
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− | :[[磁力]]や近接場[[マイクロ波]]、[[中性子]]の利用技術、複合計測技術などは、高い水準にあるが、[[イオン]]や[[レーザー]]利用技術などは、低水準である。
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− | ;ライフサイエンス([[生命科学]])
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− | :アメリカ合衆国、そしてヨーロッパ全体に次ぐ3番手の位置にある。[[幹細胞]]に関連する技術についても[[人工多能性幹細胞]](iPS細胞)の技術で世界を先行するが、幹細胞に関連する技術の全体で言えば、特許の出願数の半分以上がアメリカ合衆国で、以下、EU、日本と続く。
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− | ;[[宇宙開発]]
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− | [[ファイル:Hayabusa hover.jpg|250px|thumb|right|小惑星探査機[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]の[[小惑星]][[イトカワ (小惑星)|イトカワ]]からの帰還は近年最大の成功である。]]
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− | :{{Main|日本の宇宙開発|宇宙航空研究開発機構|宇宙基本法}}
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− | :1970年に[[糸川英夫]]率いる東京大学宇宙航空研究所(現在の[[宇宙科学研究所]]の前身)が日本初の人工衛星「[[おおすみ]]」を打ち上げ、日本はソ米仏に続き世界で4番目に衛星を自力で打ち上げた国となった。以来世界有数の衛星打ち上げ国であり、現在では[[H-IIA]]・[[H-IIB]]ロケットや[[M-V]]ロケットなどの純国産化に成功したロケットの打ち上げがされている。2013年夏にはM-Vロケットの後継機となる新型の固体ロケット[[イプシロンロケット]]の打ち上げが予定されている。近年では2010年に小惑星探査機[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]が世界初となる月以外の天体からの[[サンプルリターン]]に成功し国内外から多くの注目を集めた。自国による有人宇宙飛行はまだ実現しておらず諸外国には立ち遅れている一方、[[毛利衛]]宇宙飛行士が1992年に[[スペースシャトル]]で宇宙に旅立って以来8名の宇宙飛行士が宇宙へ飛んでいる。[[国際宇宙ステーション]]計画には日本がアジアで唯一参加しており、独自の研究棟を保有している。[[宇宙ステーション補給機]]の開発・運用により宇宙ステーションへの物資運送の一翼を担っており、宇宙開発分野における国際貢献が進んでいる。
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− | == スポーツ ==
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− | {{seealso|日本のスポーツ}}
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− | [[File:両国国技館ー2.JPG|thumb|250px|[[国技館]]での[[横綱土俵入り]]]]
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− | [[ファイル:Shohei Ohtani 2019.jpg|thumb|250px|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]でプレーする[[大谷翔平]]]]
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− | スポーツが盛んであり、古来から続く[[相撲]]は、日本の[[国技]]といわれることもある<ref>{{Cite web|url=http://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history/|title=日本相撲協会公式サイト|accessdate=2018-07-22|website=日本相撲協会公式サイト|language=ja-JP}}</ref>。
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− | [[野球]]は大衆の娯楽の一つとなっており、日本のみならず[[メジャーリーグベースボール]](MLB)でプレーする日本人選手もいる。近年は[[サッカー]]も盛り上がりを見せており、[[1993年]]に[[Jリーグ]]が開始された他、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年のワールドカップ]]では韓国と共催した。直近に行われた[[2018 FIFAワールドカップ|2018年のワールドカップ]]でもベスト16入りを果たしている<ref>{{Cite web|url=https://www.fifa.com/worldcup/matches/match/300331551/#match-statistics|title=2018 FIFA World Cup Russia™ - Matches - Belgium - Japan - FIFA.com|accessdate=2018-07-22|last=FIFA.com|website=www.fifa.com|language=en-GB}}</ref>。
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− | 日本での[[オリンピック]]開催回数(4回、開催予定の2020年東京オリンピックを含む)は[[アメリカ]](8回)・[[フランス]](5回)に次いで世界で3番目に多い。[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]は日本初のオリンピックであると同時に[[アジア]]初のオリンピック、さらには[[有色人種]]国家初のオリンピック開催となった<ref>{{Cite news|title=日本は4回目のオリンピック開催、米・仏に次いで3番目に多い|url=https://2020tokyo2020.com/jp/2013/10/japan-4th-olympic.html|accessdate=2018-07-22|language=ja|work=2020東京2020.com}}</ref>。その後、[[1972年]]の[[1972年札幌オリンピック|札幌冬季オリンピック]]・[[1998年]]の[[1998年長野オリンピック|長野冬季オリンピック]]が開催されており、2021年には[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]が再び開催される予定である。
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− | == 国民 ==
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− | ===民族・国籍===
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− | {{Main|日本人|大和民族|琉球民族|アイヌ|日本の民族問題|日本の外国人}}
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− | {{bar box
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− | |title=民族グループ<ref name="Ethnic groups">{{Cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ja.html=Hide
| |
− | People and Society :: JAPAN|accessdate=2020年5月12日|publisher=CIA}}</ref>
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− | |titlebar=#ddd
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− | |float=right
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− | |barwidth=250px
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− | |bars=
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− | {{bar percent|[[日本人]]|red|95.6}}
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− | {{bar percent|[[在日中国人|中国人]]|lightblue|0.5}}
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− | {{bar percent|[[在日韓国・朝鮮人|韓国人]]|green|0.4}}
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− | {{bar percent|その他|blue|1.0}}
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− | }}
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− | <br>
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− | ====大和民族の成立====
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− | {{see also|日本人#系統}}
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− | {{bar box
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− | |title=遺伝子構成([[大和民族]]<ref group="注">なお、[[琉球民族]]と[[アイヌ民族]]は遺伝子的には[[大和民族]]と最も近縁である(斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年)。</ref><ref>Genographic Project#Geno 2.0 Next Generation|Reference Populations - Geno 2.0 Next Generation . (2017). Genographic Project|The Genographic Project. Retrieved 15 May 2017, from [https://genographic.nationalgeographic.com/reference-populations-next-gen/ link.]</ref>)
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− | |titlebar=#ddd
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− | |float=right
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− | {{bar percent|[[東アジア]]系 |red|89}}
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− | {{bar percent|[[オーストロネシア人|オーストロネシア]]系|lightblue|7}}
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− | {{bar percent|[[フィン・ウゴル系民族|フィン・ウゴル]]系|green|2}}
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− | {{bar percent|[[中央アジア]]系|blue|2}}
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− | }}
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− | 大和民族の起源は、縄文時代以前から定住していた'''[[縄文人]]'''と、[[ユーラシア大陸]]から弥生時代以降に複数回にわたって移住してきた'''[[弥生人]]'''が融合して形成されたものである。移住してきた経路は時代によって異なる。
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− | 最初に主流になったのは、沖縄・南九州・北東北地方に多い縄文人である。この時期、日本海経路で小規模ながら交易がおこなわれていたことが出土品から証明されている。その後、稲作文化とともに大陸からやってきた人々が、北九州から中部地方に多い弥生人の基盤となった。日本列島に移住してきた経路や、規模、時期の詳細については、定かでない部分が多く、諸説ある。
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− | 縄文人と弥生人では身体的特徴に違いがある。縄文人は[[古モンゴロイド]]に属し、目が丸く大きい、彫りが深い、骨太で筋肉質、歯が短い、髪が癖毛、ヒゲと体毛が濃い、耳垢が湿っている、などの特徴を持つ場合が多い。弥生人は[[新モンゴロイド]]に属し、目が細く小さい、彫りが浅い、長身ですらっとした体格、歯が長い、髪が直毛、ヒゲと体毛が薄い、耳垢が乾いている、などの特徴を持つ場合が多い。
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− |
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− | 島国という地理的な特性から、その後も日本には小規模な移住(漂着や[[密航]]など)が何度も繰り返された。また、近代までの日本は[[鎖国]]時代を除いて[[移民]]・[[難民]]の受け入れには比較的寛容でもあった<ref name="imin">{{cite news |title=「日本は移民を受け入れたことがない」は間違い |url= https://business.nikkei.com/atcl/report/16/021900010/092900024/ |date=2016-9-30 |work=[[日経ビジネス]] }}</ref>。[[16世紀]]中盤から[[17世紀]]中盤にかけては衰亡する[[明]]から逃れてきた難民を多数受け入れ、[[開国]]後の[[19世紀]]後半以降にも[[清]]、[[李氏朝鮮]]、[[ロシア帝国]]<ref>長縄光男, 沢田和彦編『異郷に生きる―来日ロシア人の足跡』、成文社、2001</ref>からの移民・難民を大量に受け入れていった<ref name="imin" />。
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− | こうして縄文人、弥生人(大陸人)、[[オーストロネシア人]]([[ポリネシア人]]、[[マレー人]]など)といった複数の民族が互いに混血し、文化を取り込みながら発展したと推測される。それらの中から最大勢力として発展してきたのが自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「'''[[大和民族]]'''」あるいは「日本民族」である。
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− | ====大和民族と先住・少数民族====
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− | [[ファイル:Niseko Annupuri (East side).jpg|thumb|250px|[[北海道]]には[[ニセコアンヌプリ]]といったようなアイヌ民族由来の地名が多く残されている]]
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− | 古代の日本は多民族国家であった<ref name="emishi">久慈力『大和朝廷を震撼させた蝦夷・アテルイの戦い: 遙かなる縄文の風景』(批評社、2002年)</ref>。[[大和民族]]のほかに、[[南九州]]には[[熊襲]]と[[隼人]]、[[中九州]]には肥人、[[近畿地方]]と[[関東地方]]には[[国栖]]、関東地方と[[東北地方]]には[[蝦夷]]などがいた<ref name="emishi" />。
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− | 古墳時代、北東北地方を除く本州・四国・北九州の人々は、[[奈良盆地|大和盆地]]を本拠地とするヤマト王権のもとに連合し、[[倭人]](和人)としての文化を形成する。飛鳥時代の[[律令制|律令国家]]の確立に伴い、和人の文化的一体性が確立された。その後、朝廷の支配下に入るのが遅れた北東北(蝦夷)、南九州(熊襲・隼人)の人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、[[薩摩藩]]による[[琉球王国]]への侵攻、[[松前藩]]の[[アイヌ]]支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。
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− | 「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌ民族や、琉球王国を樹立した南西諸島の[[琉球民族]]は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。現在、アイヌ語を第一母語とする人々は極めて少ないが、[[アイヌ文化振興法]]が制定されてアイヌ文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいた[[ウィルタ]]や[[ニヴフ]]の多くは、[[ソビエト]]の侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。
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− |
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− | また、小笠原諸島には、19世紀初頭に[[ハワイ]]からの移民団が史上初めて定住し、[[欧米系島民]](ヨーロッパ系アメリカ人や[[ハワイ人]])による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人社会に溶け込んでいった。
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− | なお、[[アイヌ民族]]は、和人との交流の中で、中世から近世にかけて成立したとされるが、成立の詳細な過程については不明な点が多い(詳細は[[アイヌ]]の項目を参照のこと)。
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− | ====外国人・帰化人====
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− | 2019年末時点で293万人の外国人がおり日本在住人口の約2.3%を占めている<ref name="foreigners" />。2019年時点で中国籍、韓国籍、ベトナム国籍、フィリピン国籍、ブラジル国籍<ref name="foreigners" />の順に多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。近年{{いつ|date=2011年3月}}の外国籍の増加の背景には、1990年の[[出入国管理及び難民認定法|入管法]]改正でブラジルなどに移民した日本人の子孫の日本での就労が自由化されたことが大きく、更に[[国際結婚|結婚の国際化]]などもある。
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− | 全人口の97.7%が日本民族とされるが、日本政府は日本国籍を有する者を日本民族としてみなしているため、アメリカ合衆国やイギリス、カナダなど移民の多い国で一般的に調査される、民族・人種調査は国勢調査では行われていない。そのため、アイヌ人などの少数民族、渡来人や[[日本のロシア人|亡命ロシア人]]の子孫、外国からの帰化人や国際結婚の配偶者、さらにはその子どもなども97.7%の日本民族という項目に含まれている。これらの政策が[[単一民族国家]]的な価値観に基づいた[[同化主義]]であるという見方もある。
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− | 中国籍の半分は永住者及び定住者であり定住者は[[中国残留孤児]]の家族である。
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− | 韓国籍、朝鮮籍、および台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民<ref>「朝鮮戦争と日本の対応」庄司潤一郎(防衛研究所紀要第8巻第3号2006.3)[http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_3_03.pdf] {{Wayback|url=http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_3_03.pdf |date=20101206204656 }} 2章P.44以降に詳しい</ref> が一部含まれている。
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− | 1895年に台湾を、1910年に朝鮮半島を併合後、第二次世界大戦敗戦まで日本の一部として、[[台湾人]]、[[朝鮮人]]にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない<ref>ここからの記述について『書評:安井三吉著:帝国日本と華僑-日本・台湾・朝鮮』陳来幸(現代中国研究第19号2006.10.7)[http://modernchina.rwx.jp/magazine/19/chin.pdf][https://ci.nii.ac.jp/naid/40015153225] から起筆した。</ref>。明治の日本は西欧人の居住や移動、営業に関しては領事裁判権を認める代わりとして居留地制による制限を設けていたが、朝鮮人や中国人については制限がなく、日本国内の各地での雑居が認められていた。1899年に西欧各国との領事裁判権の撤廃が成り、居留地制度は一律に廃止され(内地雑居)たが、中国(清・中華民国:支那)人を含む外国人労働者には居住・就労の制限が設けられた(勅令第352号<ref>明治32年勅令第352号「条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セサル外国人ノ居住及営業等ニ関スル件」</ref>)。これはおもに華人(支那人)を規制する目的のもので朝鮮人には実質的に適用されなかったとされる<ref>陳来幸2006.10.7によれば「韓国人には慣行により内地雑居が容認されてい(た)」(P.75、PDF-P.3)</ref>。台湾人もまた併合後は帝国臣民であり居住に制限はなかったが、台湾・朝鮮とも戸籍(台湾戸籍、朝鮮戸籍)の離脱は認められず、あくまで内地での[[寄留]]であった。台湾人の移住は戦前は少なく<ref>在日台湾人は1930年代に入るまでは少なく、しかもその大半は留学生であったといわれている。山脇啓造、『近代日本と外国人労働者』(1994年、明石書店)P.11</ref>、日本在住の台湾人は総じて学歴があり、華人(支那人)や朝鮮人とは異なり、オランダや[[鄭成功|明遺臣]]、清朝の植民地支配の歴史的経験があり、民族的な屈託がなく日本語(や外国語)に通暁しよく働くので厚遇された。華人(支那人)は[[三把刀|三刀]](料理人・理髪師・仕立屋)が、朝鮮人は労働者が中心で、移住規模も多かった<ref>黄嘉琪、「[https://doi.org/10.24546/81000036 第二次世界大戦前後の日本における台湾出身者の定住の一過程]」『海港都市研究』 2008年 3号 p.129-141, 神戸大学文学部海港都市研究センター, {{doi|10.24546/81000036}}</ref><ref>1920年代の東京在住中国人労働者については 阿部康久、「[https://doi.org/10.4200/jjhg1948.51.23 1920年代の東京府における中国人労働者の就業構造と居住分化]」 『人文地理』 1999年 51巻 1号 p.23-48, {{doi|10.4200/jjhg1948.51.23}}, 人文地理学会 が詳しい。</ref>。
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− | 朝鮮人労働者の日本内地への移動は[[日韓併合]]の1910年に2600人であった移動者が1923年には13万人あまりと増加傾向にあり、1919年4月の「朝鮮人の旅行取締に関する件」(警務総覧部第3号)により朝鮮人の日本渡航への直接規制(旅行証明書制度)に転換し、移動制限を口実に実質的な居住規制に方針が転換された<ref>朝鮮領域の外に出るものは居住地所轄警察署ないし駐在所が証明書を下付することを規定した。旅行届出許可制。朝鮮籍臣民は日本への旅行(あるいはその名目での転出)は大幅に制限されたが、満州への旅行はほとんど制限がなく、税関審査程度での渡航や旅行が認められていた。李良姫、「[http://id.nii.ac.jp/1377/00001332/ 植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策]」『北東アジア研究』2007年3月 第13号 p.149-167, 島根県立大学北東アジア地域研究センター{{naid|40015705574}}, {{issn|1346-3810}}</ref>。朝鮮半島領域では実施されていなかった参政権も[[普通選挙法]](1925年)施行後の内地では認められており、希望を持ち移動し定住した者も多かったが生活は決して恵まれたものではなかった<ref>これは戦時中に[[隣組]]の一員として認めてもらうことができず、[[配給]]が受けられないなどの具体的な困難として現れた。</ref>。大戦中には軍人・[[軍属]]、あるいは就業目的として渡海した。また徴用労働者として800名以上が渡海した。
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− | 終戦の後、彼らの多くが[[祖国]]へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まった者もいる。また、戦後相当の数の朝鮮人が祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺([[済州島四・三事件]]、[[保導連盟事件]]など)を逃れて日本に渡った。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって彼らは日本国籍を喪失し[[朝鮮籍]]となったが、そのまま[[特別永住者]]として日本に在住し続けた。現在では、日本生まれが多数派であり、[[帰化]]して日本国籍を取得する者も多く<ref name="autogenerated2000">[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/final/hyodai.htm#20 人口統計] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071125020225/https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/final/hyodai.htm|date=2007年11月25日}} および [http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html 帰化統計] 日本国 総務省 統計局</ref>、在日コリアンは減少を続けている。近年では朝鮮籍から韓国籍に登録を変更する者が多数となっている。
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− | アイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から[[華僑]]・[[印僑]]の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。1990年代以降、ブラジルなどの日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの「研修労働者」、不法入国(滞在)労働者の人権問題などが発生している。
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− | ===言語===
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− | {{Main|日本の言語|日本における漢字|国語国字問題|日本語|日本語の表記体系|日本語の方言}}
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− | [[ファイル:Japanese dialects-ja.png|thumb|300px|[[日本語族]]の方言区分例]]
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− | 日本には[[公用語]]を明示する法令が存在しない<ref>{{cite web|url=http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column068.htm|title=法律と国語・日本語|work=法制執務コラム|publisher=参議院法制局|accessdate=2019-02-05}}</ref><ref>[[裁判所法]]74条では、「裁判所では、日本語を用いる。」と定められている。</ref> が、日本語がほぼ全ての国民の[[母語]]であり、慣習に基づく事実上の公用語である。全土で均質化された日本語による義務教育が行われている。[[識字率]]は極めて高い。日本に定住する外国人も多くは日本語を理解する。国会では、アイヌ語などが使用された例もある<ref>1994年1月24日に[[萱野茂]]によって第131回国会内閣委員会の中でアイヌ語による質問が行われている。[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/1020/13111241020007c.html 参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号] {{Wayback|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/1020/13111241020007c.html |date=20130514055140 }}</ref> が、憲法や法律は、日本語で記したものが正文である<ref group="注">外国語を正文とする条約は、日本における国内法的効力に注目すれば、「外国語で記された日本法」ということになる。</ref>。世界中の多くの言語が、他の言語からの派生を繰り返して生み出されてきたが、日本語に関しては派生元の言語が明らかになっていない[[孤立した言語]]とされるか、[[琉球語]]を別言語とみなし日本語とともに[[日本語族]]を成すとされる。
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− | 近代以前の日本語は、[[文語]]と[[口語]]との乖離が大きかった。口語では[[京言葉|京都方言]](江戸時代中期以前)および[[江戸言葉|江戸方言]](江戸時代後期以降)が中央語と意識され広く通用したが、地域や階層による[[方言]]差が大きかった。明治維新による近代的な国民国家の創設に伴って[[言文一致]]運動が起こり、口語に近い文章語の確立が朝野の双方から推し進められた。[[東京方言]]を基盤に整えられた新しい文語や口語([[標準語]]・[[共通語]])は、教育・報道・行政・軍隊などを通じて国民に広く浸透し、国民的一体感の形成に寄与した。共通語の浸透に伴い各地の方言は衰退・変容を余儀なくされた。近年、地域文化・アイデンティティーとして見直す機運が高まり、教育現場においても共存が図られるようになった<ref>{{Cite web|author=文部科学省|coauthors=|date=1995-11-01|url=http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19951101001/t19951101001.html|title=第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)|language=|accessdate=2009-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111020062420/http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19951101001/t19951101001.html|archivedate=2011年10月20日|deadlinkdate=2020年2月}}</ref>。
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− | 日本は漢字文化圏に属し、日本語の表記には漢字とそれから派生した[[仮名 (文字)|仮名]]を主に使用する。第二次世界大戦後、[[GHQ]]の指導などもあって、政府は漢字の全廃を決定し、全廃まで当面使用できる漢字をまとめた「[[当用漢字|当用漢字表]]」を告示して漢字の使用を制限した。しかしその後、当用漢字よりも緩やかな「目安」として「[[常用漢字|常用漢字表]]」が制定され、漢字全廃の方針は撤回された。そうしたなかで、一部の漢字は[[正字体]](旧字体)から[[新字体]]に簡略化された。固有名詞は別扱いであることから、人名・地名などでは旧字体や[[異体字]]の使用が続いており、異体字の扱いは現在もしばしば問題となる。仮名の[[正書法]]に関しても、終戦後、従来の[[歴史的仮名遣]]から[[現代仮名遣い]]に変更された。近年、[[コンピュータ]]の普及や[[文字コード]]の拡張などに伴い、漢字の使用に関する制限は緩められる傾向にある。
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− | 日本語以外には、[[アイヌ]]が用いるアイヌ語や、樺太から移住した少数住民が用いた[[ニヴフ語]]・[[ウィルタ語]]がある。現在ではニヴフ語・ウィルタ語の母語話者によるコミュニティは消滅し、アイヌ語も母語話者が10人以下に限られる[[危機に瀕する言語]]であるが、アイヌ語再興の取り組みも活発である。琉球列島の伝統的な言葉は本土方言と違いが大きく、本土方言とともに日本語の二大方言の一つである[[琉球方言]]か、日本語とは系統の同じ姉妹語(「琉球語」)か、その位置づけには議論がある。琉球方言(「琉球語」)内部でも地域差が大きく、複数の言語の集合として「琉球語派」や「琉球諸語」と位置づける場合がある<ref>[[石井米雄]]編『世界のことば・辞書の辞典 アジア編』(三省堂、2008年8月発行)の「琉球語」([[高江洲頼子]]執筆)の冒頭に、「琉球語は奄美大島から与那国まで距離にして約1,000キロメートルにわたる[[琉球列島]]の島々で話されてきた言語の総称である。大きくは奄美・沖縄方言群(北琉球方言)と宮古・八重山方言群(南琉球方言)に区分され, 両者はまったく通じないくらい異なっている。さらに方言は島ごとに異なり, 細かくは村落共同体の字ごとに異なるといわれてきた。」と記載されている。</ref><ref>[[梶茂樹]]・[[中島由美]]・[[林徹 (言語学者)|林徹]]編『事典 世界のことば141』(大修館書店、2009年8月初版発行)の「2 沖縄語」([[西岡敏]]執筆)の「どんな言語?」には、「[[沖縄方言|ウチナーグチ]]は琉球諸方言の1つで沖縄方言とも呼ばれ、[[北琉球方言]]群に属します。同じく北琉球方言群に属するのは奄美諸島の[[奄美方言]]で、こちらは行政的に鹿児島県に属します。この行政区分は、17世紀はじめ、日本の薩摩藩が琉球を攻めて、奄美群島を直轄地に、沖縄諸島以南を琉球王国の支配に任せたことに由来します。沖縄と奄美が言語的に近いのに比べ、同じ沖縄県に属している宮古・八重山の言語は沖縄島の言語と通じ合わないほど異なり、[[南琉球方言]]群を形成しています。」と記載されている。</ref>。
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− | その他の言語は、日本語に単語として取り入れられた[[外来語]]を除き、日本人同士の意思疎通にはほとんど用いられず、高等教育の[[教授言語]]としても常用されない。日本人にとって最も身近な外国語は[[国際語]]のひとつである英語であり、実務上での便益や諸外国人への配慮から、国際取引や学術研究の場で使用が奨励されることがある。義務教育の中学校の必修科目である外国語科では[[英語 (教科)|英語]]を扱うことが圧倒的に多く、それ以降の高等教育機関でも多くの日本人が英語を学ぶ。とはいえ、多くの日本人にとって、日本語から遠い系統の言語であるため習得が難しく、また日常生活や職務上での必要性が低いことなどから、帰国子女など特殊な例を除き、英語に堪能な者は少ない。
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− | [[大学]]で学ぶ第二外国語としては、主に[[ドイツ語]]・[[フランス語]]が選択されてきたが、近年は中国の経済発展に伴って中国語の選択が増えた。[[朝鮮語]](韓国語)は日本人にとって比較的習得が容易な言語であるが、韓国朝鮮系の住民を除いて学習者は多くなかった。近年、韓国の大衆文化が盛んに輸入されていることに伴い、学習者が増加傾向にある。[[ロシア語]]の学習者は多くないが、冷戦崩壊後、極東ロシアとの貿易が活発化しているため、北海道や日本海側の都市で外国語表記に取り入れられるなどしている。安全保障上の理由から学ばれている言語は、米軍との意思疎通を図るための英語と、仮想敵のロシア語・中国語・朝鮮語が主である([[予備自衛官補]]の語学技能枠で一般公募もされている)。
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− | 外国籍の住民および帰化外国人、日本に定住する外国人が用いる主な言語には、在日韓国・朝鮮人の一部が用いる朝鮮語([[在日朝鮮語]])、在日中国人・[[在日台湾人]]を中心に約80万人が用いる中国語・[[台湾語]]、[[在日ブラジル人]]を中心に約20万人が用いる[[ポルトガル語]]、[[フィリピン人]]・欧米人を中心に約25万人が用いる英語などがある。
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− | ===人口===
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− | {{Main|日本の人口統計|都道府県の人口一覧}}
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− | 日本は1950年以降急速な少子化、高齢化が進行している。そして、1970年に'''高齢化社会'''(65歳以上の人口割合が7%から14%)に、1994年に'''高齢社会'''(65歳以上の人口割合が14%から21%)になり、2007年には'''超高齢社会'''(65歳以上の人口割合が21%以上)となった。2015年の国勢調査では前回と比べ約93万3千人減少しており統計開始以来初めて人口が減少した。
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− | <!--*126,925,843人([[国勢調査]] 2000年〔平成12年〕10月) -->{| class="wikitable"
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− | |+日本の人口推移<ref>{{Cite web|url=https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201910.pdf|title=人口推移 令和元年10月報|accessdate=2019-11-04|publisher=総務省}}</ref>
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− | !時点
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− | !日本人(日本国籍を持つ者)の数
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− | !外国人の数
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− | !総人口
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− | |-
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− | |2019年5月1日
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− | |123,900,068
| |
− | |
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− | |126,180,643
| |
− | |-
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− | |2019年2月1日<ref>{{Cite web|url=https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201903.pdf|title=人 口 推 計|accessdate=2019年4月15日|publisher=}}</ref>
| |
− | |124,057,626
| |
− | |
| |
− | |126,309,690
| |
− | |-
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− | |2019年1月1日
| |
− | |124,193,600
| |
− | |
| |
− | |126,317,168
| |
− | |-
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− | |2018年12月(平成30年末)<ref>{{Cite web|title=法務省:平成30年末現在における在留外国人数について|url=http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00081.html|website=www.moj.go.jp|accessdate=2019-11-04}}</ref>
| |
− | |124,144,438
| |
− | |2,731,093
| |
− | |126,434,565
| |
− | |-
| |
− | |2018年7月1日<ref>{{Cite web|title=East Asia/Southeast Asia :: Japan — The World Factbook - Central Intelligence Agency|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ja.html|website=www.cia.gov|accessdate=2019-11-04}}</ref>
| |
− | |124,349,004
| |
− | |
| |
− | |126,529,100
| |
− | |-
| |
− | |2016年8月1日<ref>[https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201701.pdf 人 口 推 計 - 平 成 29 年 1 月 報 -]</ref>
| |
− | |125,134,624
| |
− | |
| |
− | |126,976,264
| |
− | |-
| |
− | |2015年10月1日<ref>{{Cite web|url=https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201701.pdf|title=人口推計 平成29年1月報|accessdate=2019-11-04|publisher=総務省}}</ref>
| |
− | |125,319,299
| |
− | |
| |
− | |127,094,745
| |
− | |}
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− | [[File:Japanpop-2010.svg|thumb|left|2010年の日本の[[人口ピラミッド]]]]
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− | [[File:Japanpop-2050.svg|thumb|left|2050年の日本(国連推計値)]]
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− |
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− | {{-}}
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− | <div style="margin-left:2em;font-size:90%">
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− | {{日本/5歳階級別人口}}
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− | </div>
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− | ===地域別人口分布===
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− | [[ファイル:Population of Japan by area, 2015 JA.png|thumb|400px|人口の[[日本の地域|地域]](青)および都道府県(赤:人口大、緑:小)の分布<ref>[[総務省]]統計局 [https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200524&tstat=000000090001&cycle=0&tclass1=000000090001&tclass2=000001095055 「平成22年及び27年国勢調査結果による補間補正人口」] </ref><br>三大都市圏のある関東首都圏、東海、近畿の3地域に総人口の約2/3が集中している。]]
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− | {{ external media
| |
− | | topic = Views of the World による人口を加味した日本の[[カルトグラム]]
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− | | align =
| |
− | | width =
| |
− | | image1 = [http://www.viewsoftheworld.net/wp-content/uploads/2011/03/Japan_PopulationCartogram.png Japan Gridded Population Cartogram 人口地図 地形]
| |
− | | image2 = [https://worldmapper.org/maps/gridded-population-jpn/ Japan Gridded Population 人口地図]
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− | }}
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− | 日本の各地方の人口は次の通りである。2015年10月1日に実施された国勢調査の速報値による<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.htm 『平成27年国勢調査 人口速報集計結果 全国・都道府県・市区町村別人口及び世帯 統計表』]([[総務省統計局]]、2016年2月26日発表)による。</ref>。
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− | ; [[北海道地方]]:5,383,579人
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− | [[北海道]]、([[北方地域|北方四島]])
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− | ; [[東北地方]]:8,982,080人
| |
− | [[青森県]]、[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[秋田県]]、[[山形県]]、[[福島県]]
| |
− | ; [[北関東]]地方:6,866,004人
| |
− | [[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]
| |
− | ; [[南関東]]地方:36,126,355人
| |
− | [[埼玉県]]、[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]
| |
− | ; [[北陸地方]]:5,313,423人
| |
− | [[新潟県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]]
| |
− | ; [[東海]]・[[東山地方]]:17,968,559人
| |
− | [[山梨県]]、[[長野県]]、[[岐阜県]]、[[静岡県]]、[[愛知県]]、[[三重県]]
| |
− | ; [[関西]]地方:20,728,079人
| |
− | [[滋賀県]]、[[京都府]]、[[大阪府]]、[[兵庫県]]、[[奈良県]]、[[和歌山県]]
| |
− | ; [[中国地方]]:7,622,402人
| |
− | [[鳥取県]]、[[島根県]]、[[岡山県]]、[[広島県]]、[[山口県]]
| |
− | ; [[四国地方]]:3,847,120人
| |
− | [[徳島県]]、[[香川県]]、[[愛媛県]]、[[高知県]]
| |
− | ; [[九州・沖縄地方]]:14,454,861人
| |
− | [[福岡県]]、[[佐賀県]]、[[長崎県]]、[[熊本県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、[[鹿児島県]]、[[沖縄県]]
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− | [[ファイル:Tokyo from the top of the SkyTree.JPG|thumb|right|[[東京都]] (2014年)]]
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− | 100万人規模以上の人口を有する大都市が各地方に点在しており、国民の多くはこれらの大都市、または、その周辺部で生活している。国土全体を対象とした[[人口密度]]調査においても領域国家として世界有数の高さを示すが、沿岸の平野部に都市部が集中していて、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に東京を中心とした南関東の人口は、日本の人口の約4分の1を超え、世界最大の都市圏を構成する。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、[[ドーナツ化現象]]などの問題も起きている。しかし近年では、特に首都圏では、東京都心部の土地の値段が下落し[[都心回帰]]の現象も見られる。
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− | 2015年10月1日に行われた国勢調査の速報数を集計した結果、人口総数が500万人を超過する上位9都道府県は次の通りである<ref>前掲による。</ref>。
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− | :*東京都:13,513,734人(6,168.1人/km<sup>2</sup>)
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− | :*神奈川県:9,127,323人(3,778.2人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*大阪府: 8,838,908人(4,639.9人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*愛知県:7,484,094人(1,446.9人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*埼玉県:7,261,271人(1,912.0人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*千葉県:6,224,027人(1,206.8人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*兵庫県:5,536,989人(659.1人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*北海道:5,383,579人(68.6人/km<sup>2</sup>)
| |
− | :*福岡県:5,102,871人(1,023.4人/km<sup>2</sup>)
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| |
− | 少子化のため、2040年には全国市区町村のうち約半数(896自治体=[[消滅可能性都市]])の存続が難しくなり、かつ523の自治体は人口1万人以下になるとの推定がなされている([[限界集落]])<ref>{{Cite news|newspaper=日経 |title=自治体、2040年に半数消滅の恐れ 人口減で存続厳しく 各種推計、政策見直し迫る |date=2014-05-08 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0802O_Y4A500C1EE8000/ }}</ref>。
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− | {{Module|日本人口}}
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− | == 脚注 ==
| |
− | {{脚注ヘルプ}}
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− | === 注釈 ===
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− | {{Reflist|group=注|2}}
| |
− | === 出典 ===
| |
− | {{Reflist|3}}
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− |
| |
− | == 参考文献 ==
| |
− | <!-- 実際に参考にした文献一覧 -->
| |
− | *{{Cite book|和書|last1=永原|first1=慶二(監修)|last2=石上|first2=英一ほか(編集)|year=1999|title=岩波 日本史辞典|publisher=岩波書店|isbn=4-00-080093-0|ref=harv}}
| |
− | *{{Cite book|和書|author=田中浩|chapter=元首|title=日本大百科全書(ニッポニカ)|publisher=Kotobank|year=2016|url=https://kotobank.jp/word/%E5%85%83%E9%A6%96-60642#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|ref=harv}}
| |
− | *{{Cite book|和書|author=芦部信喜 |year=2016 |title=憲法 |edition=第六版第三刷|publisher=岩波書店 |isbn=978-4-00-022799-5|ref=harv}}
| |
− | *{{Cite book|和書|author=家永三郎|year=2015|chapter=天皇|title=国史大辞典|publisher=JapanKnowledge|ref=harv}}
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− | *{{Cite journal |和書|author=長野和夫 |title=若者世代の政治的アパシーに関する一考察:アンケート調査にみる本学学生の政治意識 |date=2006|journal=総合政策論集:東北文化学園大学総合政策学部紀要|volume=5 |number=1 |pages=161-175 |ref=harv}}
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− | *{{Cite book|和書|last1=野中|first1=俊彦|last2=中村|first2=睦男|last3=高橋|first3=和之|last4=高見|first4=勝利|title=憲法I|edition=第5版|publisher=有斐閣|year=2012|isbn=9784641131187|ref=harv}}
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− | *谷岡一郎、仁田道夫、岩井紀子 『日本人の意識と行動 日本版総合的社会調査JGSSによる分析』、2008年、東京大学出版会 ISBN 978-4-13-056101-3
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− | *井沢元彦、『[[逆説の日本史]]』シリーズ、[[小学館]]
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− | *内閣官報局編『法令全書』東京、国立印刷局
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− | * {{Cite book|和書|last = 吉田|first = 善明|authorlink = 吉田善明|chapter = 憲法|title = 日本大百科全書(ニッポニカ)|year=2018|publisher = Kotobank|url =
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− | https://kotobank.jp/word/%E6%86%B2%E6%B3%95-61073#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|ref = harv}}
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− | * {{Cite book|和書|author = Britannica Japan Co., Ltd.|chapter = 日本国憲法|title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|year=2018a|publisher = Kotobank|url = https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-110162#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|ref = harv}}
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− | * {{Cite book|和書|author = Britannica Japan Co., Ltd.|chapter = ブルジョア憲法|title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|year=2018b|publisher = Kotobank|url = https://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A2%E6%86%B2%E6%B3%95-127248#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|ref = harv}}
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