「悠里世界における呼称問題の一覧」の版間の差分
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2020年2月12日 (水) 03:56時点における版
悠里世界における呼称問題の一覧(ゆうりせかいにおけるこしょうもんだいのいちらん)とは、悠里の作中世界において呼称が統一されておらず、かつ政治的立ち位置の差により適切と考える呼称に差が出るようなものの一覧である。
地名
アタラム島
アイル共和国タカン自治区アタラム島のリパライン語名称は主に"la alefise'd-menis"「アレフィスの島」・"takang'd menis"「タカンの島」・"tama'd menis"「タムの島」 と3つある。最も定着しているのは"la alefise'd-menis"であるが、これは燐字「皇」が伝統的にリパライン語の"alefis"を表すのに用いられてきたことに引きずられ、ユエスレオネ連邦の燐字読解担当の言語翻訳庁職員が誤読したことに由来する名称である。
アレフィスというのはリパラオネ教の母神であり、一方タム(牌:tam2)というのはタムツイ(理:tarmzi、牌:tam2 zui1)の最高神のパイグ語での名前であり、パイグ将棋の共有駒の名前としてリパライン語話者にもよく知られている単語である。タカン(理:takang、皇:takan)というのはタムツイの最高神のタカン語での名前であると同時にタカン民族を表す単語である。
結果として、島に住んでいる民族への配慮を目的とした"takang'd menis"を用いたり、タムツイの最高神を指す名前としてリパライン語話者に最もなじみ深い表現である"tam"を使った"tama'd menis"などの表現が存在する。
一方で、"la alefise'd-menis"という名称がリパライン語において広く定着しているのも事実であり、結果として「誤読」を「正そう」とするこれらの表現を使う話者は政治的な意図があるものだと思われる場合が多い。
言語名
東島通商語
東島通商語で東島通商語を表すリパライン語表現としては、"pemecepe lukup"「PMCFの言語」が最も定着している。東島通商語のファイクレオネでの初めての教科書である「ペメセペ=ルクップを学ぶ人のための書」では
かつては「教養あるラネーメ人」によって「崩れたリパライン語」(hada linepaine)(東:kada linepaine, 理:harda lineparine)や「恨めしい言語」(東:culup lukup, 理:stylup lkurftless)などと呼ばれ蔑まれた ― jo lijuit kije pemecepe lukup leti lata leti kulante 東諸島共和国連合議会 著、針谷 諒太・益当 和智 共訳
とされており、kada linepaineやculup lukupといった表現を過去に受けた不当な扱いを象徴するものと見なしている。ただし、邦訳版の「翻訳者より」にもあるように、「ペメセペ=ルクップを学ぶ人のための書」はその成立経緯からしてかなり政治的意図の込められた教科書であるという点に注意が必要である。
東島通商語を表すリパライン語表現は主に三つあり、"culp"(最も古く、『恨めしい言葉』という意味)"pemecepelukupp"(原語での名称「PMCFの言語」の音写)、"PMS"("pi'ene'd menisesse'd sarmavirle"(東島の通商語)の省略、一番正式な言い方)である。[1]
紛争名
デュイン戦争とDAPE
デュインを主戦場とする連邦・ハタ王国とシェルケン・デュイン政権の戦争はユエスレオネ連邦では「デュイン戦争」(理:Dyine'd elmi'esm)と呼ばれる。しかし、ハタ王国では主導者であるカラム・ケンソディスナルの名前から「カラムの乱」(有:Karamsemdis)と呼称される。その後のデュイン・アレス独立戦争はユエスレオネ連邦ではDAPE(Dyin-ales poltdzarl elm)と呼ばれるが、ハタ王国では「サニスの乱」(有:Sanisasemdis)である。